新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月9日 その2 街角景気診断のつもりが

2022-09-09 15:01:01 | コラム
国葬だなんて言って!!!:

本9日は早朝から国立国際医療センター(NCGM)に止むを得ぬ事情で出掛けて、言わば診察なしに近い状態で処方箋を頂いてから、高田馬場駅前のジムに回ろうと外に出た。そこには運悪く折り畳みの傘では間に合いそうもない雨降り。ジムまでにはバスを3回乗り継がねばならないので、この交通手段を諦めて、思い切ってタクシーを利用することにした。

折角の機会なので、好みである「街角景気診断」を試みようと「運転手さん、景気はどうですか」と振ってみた。穏やかな語り口の人だったが「とてもダメです。一向に上向きません」と答えてくれたまでは良かった。だが、話が岸田総理に及ぶと俄然口調がきつくなってきた。「こんな時に国葬をやるなんて言い出して。あれだけ税金を使うのだったら、そっちを止めてこっちに回して欲しいですよ」と憤慨していたのだった。

私には大袈裟に言えば「目から鱗」の感があった。それは世論調査とやらで、国葬反対が50%を超えてしまうのは、今回は立憲民主党の泉健太が代表するような野党とマスコミ連合軍が誘導している結果だろうと本気で疑っていたのだから。だが、たった一人のタクシー運転手さんから聞いただけだが、不景気に悩まされている言わば個人事業主のような人たちは「岸田さん、税金の使い方がおかしいぜ」と憤っているのだろうと解釈したのだった。

まさか、年金生活者である後期高齢者が度々タクシーを利用することでもないが、今回のような形で「街角景気診断」を試みてみることもまた、為政者にとっては必要ではないのかと何時も思うのだ。議員は安全のためにもタクシーを利用しないだろうが、数を抱えておられる秘書さんたちなら出来ることではないだろうか。憤慨する運転手さんを慰める間もなく、タクシーがNCGMの玄関に到着した頃には雨も殆ど止んでいた。


アメリカの企業に見る「今昔物語」

2022-09-09 08:04:29 | コラム
アメリカでは製造業が衰退:

私が既に取り上げた「今昔物語」に関連して、畏メル友RSと意見交換をしたので、新たにアメリカにおける企業の今昔物語を考察してみようと思う。

私は「製造業こそ会社のあるべき姿であり、製造業の繁栄が国の成長発展に貢献するのである」というような時代に育ってきたと思っている。そして、未だ未だ我が国では「物を作る会社」はアメリカほどに衰退していないと思っている。

例えばア、メリカではデトロイト、鉄鋼業、紙パルプ業界等は衰退と言えるだろうし、古くは繊維産業には見る影もないのがアメリカの製造業だ。だが、GAFAMはあの盛況である。一方、我が国には日本版「GAFAM」は登場していないと思って見ていて誤りではあるまい。

企業というものは創意工夫して時代に対応するか、自ら変化を創りだしていくか、自分で時代に即応して変化して行かない限り、生成発展もできないし、長続きできないのではないのか。嘗て、シアトル市郊外のショッピングセンターの片隅に誕生したマイクロソフト社とは「コンピュータのソフトを創っている」と聞いた時は、そんなことが商売になるのかと奇異に感じた。PCなど影も形もなかった頃のことだ。

シアトル市の南の外れにあったスターバックスは、最初はコーヒー豆屋だったとWikipediaにあった。それが82年に今の業態に変え、80年代後半には我が社の広大なカフェテリアの片隅に幟を立てて進出。「あれは何ですか」と副社長に尋ねると「何でも、これまでのコーヒーではなく、苦いのが売りだそうだ。一杯試して見ろ」と言われて飲んでみれば、我が国にあるような普通に苦いコーヒーだった。「これがアメリカで受けるか?」と誰しもが思っていたが、今日の盛況。

2,000年にリタイアした後で初めてアメリカに「pleasure trip」で出掛けていったときのことだった。歓迎してくれた旧知の元は大型貨物船部門の副社長だったP氏の日本人の奥方が、旦那にせがんでスターバックスコーヒーの店舗の長蛇の列に並んで「カフェラッテ」を自宅で出来るマシンを買って、夕食の後で振る舞ってくれたのだった。これが、あの古いビルに本社があったコーヒー会社かと、僅か6年の間にこの成長かと驚嘆させられた。

この元P副社長はアメリカ最大のコンテイナー船のSeaLandから、我が社が作った自社の大量の対日輸出の製品を運ぶための会社に引き抜かれてきた人物。そのウェアーハウザーの船舶部門のWestWoodも、SeaLandも、APLも消えてしまった。だが、今や我が国のNYKもMOLもKーLineも大繁盛。時代の変化は解らないものだし、急速なのである。

ウエアーハウザーはドイツからの移民がワシントンとオレゴン両州の森林をインディアンから買い取って材木会社として発展して成功し、1900年に法人化した。そして、更に自社の木材(天然)資源を有効活用すべく川下である紙パルプ産業へと縦方向への多角化経営に成功し、アメリカ国内での上位50社に入るまで発展した。だが、インターネットとディジタル化の急速な発展に遭い、印刷(紙)媒体の将来を不安視して2005年から紙パルプ部門からの撤退を開始していた。

製紙産業の将来に見切りを付けたという点では、アメリカ最大即ち政界最大のインターナショナルペーパー社も同様で、ウェアーハウザーに遅れること2年で撤退を開始した。最早アメリカ国内では印刷用紙類の生産はしていない。私はこの辺りの果断に見える経営判断は「二進法的思考体系の為せる業だ」と断じている。即ち、「継続か完全撤退か」の二択である。我が国の思考体系にではあり得ないことではないだろうか。

アメリカは未だに建国以来250年に満たない国であるから、創業100年などという会社が少ないのだろうが、我が国には江戸時代から存続している店は幾らでもある。紙流通業界の大手である新生紙パルプ商事株式会社を構成している一社の元の岡本商店は、その起源は元禄時代にあり、大昔の電信略号は「げんろく」だったのだ。

「何だ。結局はそれが言いたいのか」と言われそうだが、この辺りに我が国とアメリカとの文化と思考体系と価値の基準の相異があるのだと思っている。このように言う事が正しいかどうかは知らぬが、我が国には未だ斬新なこと、先例が少ない物は容易く受け入れて貰えない感があるのだ。だが、長命の会社や商いの形態は残っている。