新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国と欧米人との物事の考え方の違い

2022-09-18 08:01:24 | コラム
プーチン大統領は「向こうが止めると言わないのだ」と言った:

私はこのプーチン大統領がインドのモディ首相に向かって言ったと報じられた一言に興味を感じた。我々と欧米人(白人としても良いと思うが)との思考体系の違いが良く現れていたからだ。

プーチン大統領は「ウクライナとの戦争を止めなさい」と言われて「向こうが止めると言わないのだ」と答えたと報道されたことを取り上げたのだ。我々の理解と認識では「侵攻を開始したのはロシア側」である。そのような状態で始まった戦争を、ウクライナが「止めない」と宣言することがあり得るとは思えないのだ。それでも、プーチン大統領は「ウクライナ側」の責任の如くに言うのだ。

私はこの辺りに白人の世界というか、ヨーロッパやアメリカの人たちの我が国の思考体系にはあり得ない「自らの非を潔く認めずに、悪いのは先方である」と決めつける物の考え方が見えていると思って聞いた。拙著「アメリカ人は英語がうまい」の中でも「海の向こうの謝らない面々」と題して、この辺りの文化と思考体系の違いを表現した。

即ち、プーチン大統領は事がここまでに及んでも「戦争を止めない非はウクライナ側にある」と平然としてインドの首相に言うのだ。私はこのことはプーチン大統領が途方もない鉄面皮であるのではなくて、彼らの世界では当たり前のことであり、彼らはそのように物事を考えているのだという思考体系の表れに過ぎない。マスコミもこの発言を取り上げるのならば、この彼らの「自らの非を認めず、謝罪などしない文化の表れ」と解説しておいて欲しかったと思っている。

ここで強調しておきたかったことは、「我が国のように常に潔く綺麗に対処して『自らの非を認める』を認めるのは、我が国の文化であり美徳であると思う。だが、この綺麗な姿勢は先ずヨーロッパやアメリカの人たちには「美しいとは認識されず、矢張り非を認めたか」と解釈されるのだと考えておくべきだろう。

“I am sorry.”と言うな:
彼らの思考体系には「自分たちが悪う御座いました」と認めることは先ずないのだ。この思考体系が最も良く現れているのが“I am sorry.“という謝り方はしない点だ。それは、ビジネスの場以外でもそう言ってしまう事は「私が悪かった。如何なる経済的な補償要求にも応じるから、お許しを」と認めたのと同じ事になるからだ、彼らはこのように考えているのだ。

彼らの自分たちの過ちを認めない態度は、彼らが傲慢な訳でも、責任感が無いからでもなく、自分たちを防御するためにそう言い方しか出来ない頭脳造になっているだけのことだと認識しておく必要あるのだ。

私は別に「彼らはそういう人種だから認めて上げなさい」などと言うつもりはない。彼らの我が国とは正反対の思考体系を承知した上で交渉に臨まれれば、腹を立てること無く、彼らを説得して話し合いを進めることが出来ると言いたいのだ。私は彼らが“We regret such an accident happened.“と言ったならば、最大限自らの非を認めたと解釈して頂きたいと、我が国の取引先に申し上げてきた。

だから、例えばアメリカにでも行って、何か事件にでも出会ったしまったときに、素直に自分から“I am sorry.”などと言ってはならないのである。

こういう違いがある以上、プーチン大統領がインドの首相に勧められても「では、戦争(侵略)を止めましょう」と言わないのは、ごく普通の現象であり彼が傲慢である事にはならないとは思う。

アナウンサーは“Gone!”と絶叫する:
これは大谷翔平がホームランを打ったときに、アメリカのアナウンサーが叫ぶ台詞。即ち、我が国のアナウンサーが「打球が入りました」とホームランを形容するのに対して、アメリカでは「ボールが行っちゃった」と形容するのだ。この辺りは私が「逆さの文化」と表現してきた物の考え方の違い出ていると思って聞いている。

アメリカでは「観客席にボールが行ってしまった」と言うのに、我が国では「観客席に入りました」と正反対(誰が何時から「真逆」と言う事にしたのか)の見方をしているのが興味深いのだ。

この一言だけで断じるのどうかなとは思うが、ダルビッシュがMLBに行って2~3ヶ月経ってから「何か異種の競技をやっているのかと思った」と語ったように、彼はMLBではbaseballをやっているのに対して、NPBでは「野球」をやって来たことに衝撃を受けたのだった。