私はこうしてnative speakerたちから学んだ:
私はこれまでに繰り返して「我が国の学校教育における英語と、native speakerたちが話して書くEnglishは別なものである」主張してきた。実際に彼らの中に入って日常的に使われているEnglishを聞き且つ見ていれば、英語とは似て非なるものどころの騒ぎではないことが、良く解ってくるというものだ。
先日は「誰のために」か「誰が」ということを明確にしたいためには、”for me”か”for 誰それ”を明確にしなければならないという点を取り上げた。今回は、現実にnative speakerたちがこのような表現を使っていたことで未だに鮮明に記憶している例文を、幾つか挙げておこうと思う。
先ずは未だ帰国していないこれからの帰国子女の、小学校低学年の女児から。シアトルから帰国する便の機内で隣の席にアメリカ駐在が終わって目出度く帰国される商社の一家4人が来たことがあった。未だビジネスクラスなどという有り難い席がなかった頃の話だ。ご夫婦と小学校と学齢前のお嬢さんたちだった。その小学校のお嬢さんが立ち上がって、離れた席に座っていた商社マンに向かって、"Daddy, get that comb over there for me. Thank you."と語りかけたのだった。
それは文字通り「お父さん、そこにある櫛を取ってよ。有り難う」なのだが、注目して貰いたい事は、アメリカ生まれで小学校にまで通っていたから言えることで、ちゃんとfor meが入っている点なのだ。省略しても通じる日本語での会話ならば、何も「私に」と言わないでも済むのだが、この女児は英語(English)脳になっていたのだ。
この語りかけはお父さんには通じたが、奥方は「何時もこれなので、解り難くて困っています」と正直に打ち明けておられた。即ち、「アメリカで生まれ育ったお子さんが日常的に言葉遣いもアクセントも日本で教えている英語とは非常に違う、アメリカのEnglishで話すので困る」ということなのだ。
次はウエアーハウザーの本社内でのことから。私がお客様と話し合おうと会議室に入ると、その前に会議をしていた連中の書類がテーブルの上一杯に散乱していた。お客様を案内してきた副社長秘書さんが慌てて言ったことは”I will put those out of your way for you.“だった。要するに「直ぐにテーブルの上を片づけます」なのだが、ここにもfor youが入っている。勿論、そこまで言わずとも済むかも知れないが、それを必ず言うのが英語の理屈っぽさなのだとご理解願いたい。
最後はfor youから離れる幼き将来の帰国子女の英語を。この場合は某商社のシアトル支店に駐在していた従兄弟の息子である。彼の家に食事に呼ばれていた。確か当時は3歳だった男の子がLegoを使って一人で遊んでいた。やがて一人遊びに飽きて、それが入った箱から何個かを抜き出して母親に”Mammy. Do you think you can make something out of these?“と言ったのだった。ここにはout ofが使われているなど、かなり熟れた立派な英語の文章だった。
「これを使って何かが出来ると思う」と言っているのだが、逆に「この日本語の文章をこのような英文に仕上げて見ろ」と言われれば、そう簡単な作業ではないのではないのかな。
母親は当惑した表情で、前出の商社マンの奥方と同様に「何時もこういう難しいことを言わせられるので困っています」と嘆いていた。それは「何かを組み立てられるとしても、そのことを英語で言うのはかなりの難問だ」という意味。私は感心してその男の子に向かって思わず「へー、そういう時にはそう言えば良いの」と日本語で言ってしまった。上手いなと感じた点は、Do you thinkから入って行った辺りだ。
実はこの男児には、彼の大叔父の葬儀の際に20数年振りに再会した。そして「覚えているかい。20何年か前にシアトルで君と英語で会話をしたことを」と振ってみた。既に大学も卒業して社会人である彼は「全く覚えていません。第一、今では英語なんて全く話せません」と言うのだった。従兄弟も「帰ってきてから直ぐにこいつの英語は何処かに雲散霧消したよ」とまで言う始末。将に「帰国子女は辛いぜ」だった。