我が国民が劣化したのか:
故安倍晋三元総理の国葬を巡っての否定的な騒ぎを連日見せられるのは、本当に心から情けないことだと嘆いている。国葬に賛成か反対かの世論調査をする感覚にも恐れ入っているが、それにも増して品性下劣な輩があれほど多いのかと悲憤慷慨しているのは「故安倍晋三元総理の業績の中から、彼ら反対勢力がモリカケ桜等々を抜き出してここを先途と論い、如何にも故安倍元総理が極悪人であったかの如くに吹聴していること」だ。
本日の渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」では、北野幸伯氏が「安倍元総理の本質」で詳細に述べておられたように故安倍元総理が残された功績は立派どころか偉大なものがあるのだ。それを全く無視して一党一派のためなのかあるいは一紙の虚栄と見得のためなのか、あれほどまでに故人を卑しめる日本人がいたのかと思うと本当に情けないのだ。何時から我が国にはそういう品性下劣な者どもが、世論調査上では過半数に達するようになったのかと、怒り且つ慨嘆している。
私は我が国では「死者に鞭打つ」かのような行為は、下等であり無礼であると否定されてきたと信じてきた。それにも拘わらず、公党であり与党第一党の立憲民主党の泉健太(敢えて敬称も何も省く)は散々異論を唱えたかと思えば、逡巡して見せた後で「欠席」を表明したのだった。どれだけ非難攻撃しても飽き足らない愚行である。また、彼らに同調して「反対」のデモンストレーションまでする者どもがいたのも、見苦しい出来事だった。
この不敬な態度を見るにつけ、彼らが政敵だったかも知れない自由民主党総裁だった安倍晋三氏の業績を否定すれば、彼らの人気が浮上するとでも思っていたかと思うと、こんな連中を選んだ国民の質まで気にしたくなってしまう。北野幸伯氏が採り上げられた数多くの功績から、仮令彼らが未だに論っている「モリカケ桜」などなどを引いても、実績と功績の方が比較するまでもなく遙かに大きいのではないか。
だが、そのような品性下劣な連中に格好の岸田内閣と自民党を貶める材料を提供したのが、旧名統一教会問題である。私は岸田総理が茂木幹事長に命じた内部調査は後手だったし、かえって反対派が盛り上がる材料に使ってしまった経過を見ていると、総理は側近に人を得ておられないのかと気懸かりだ。特に、側近と報じられている木原官房副長官の今頃になって関連があったと認めるような発言は、負の貢献でしかないだろう。