新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月26日 その2 アメリカの異文化の一面を語ってみよう

2024-03-26 10:03:33 | コラム
アメリカには賭け事が好きな陽気な人が多い:

“You bet.”って何ですか:
水原一平元通訳がギャンブル依存症だと告白したそうだが、彼が「賭け事」即ちbetしていると聞いて、思い出したことがあった。それは「アメリカ人たちは賭けるのがお好き」だった。私には我が国文化とは異なる習慣ではないかと感じていた。そういう考え方の相違が、日常的な会話にも出てきているのだった。

何時のことだったか、本部から来た技術者と取引先の工場を訪問した時に、輸入代行の商社の若手も同行した。熱心な彼は私とアメリカ人との会話を一所懸命に聞いていたようだった。その彼が2点の質問をしてきた。それらとは「ユウベッっていうのはどういう意味ですか」と「疑問文でも平叙文の語順の儘であるのは何故ですか」だった。

技術者が「ユウベッ」を多用した訳ではないが、確かに不思議な表現だと思う。私も初めて聞かされた時には、躊躇うことなく“What do you mean by saying you bet?”と訊いたものだった。これは口語的な言い方で「確かにその通り」であり「勿論」でもあり「必ず」のことなのだと説明された。

だが、「betでは賭けるではないか」と追求してみれば、“You bet on yourself.”で「自分に賭ける程間違いないことはない」と解説された。解ったような、解らないような答えだったが、一つ新しい表現を覚えたのは確かだった。しかし、使ったというか、使いこなせた記憶はない。

なお、平叙文の件は余談になるが、確かに語尾を一寸上げて言うだけで疑問文にする傾向がある。彼等がそうしているので、気が付かない間に真似をしていたのだった。

帝国ホテルに到着する時刻を賭けよう:
1988年の9月のことだった。我が国のデミング賞を獲得したTQCに優れた工場を回って「日本から学ぼう」という崇高な目的で、我が社の紙パルプ部門の全事業部がスタディー・グループを派遣して勉強することになった。アメリカがわが国を追っていたという時期だった。私はその第一陣だった洋紙部の副社長以下の団体と行動を共にして、2週間日本全国を回って歩いた。“bet”即ち賭け事は横須賀の追浜の工場を訪れた帰路に発生した。

とんでもない渋滞に巻き込まれて、何時になったら有楽町まで戻れるのか予想もつかない状態になり、全員が我が国の道路事情の悪さをも学ぶ機会となった。すると、誰が言い出したか「帝国ホテルに着く時刻に賭けよう」となって、その賭けの担当者が任命されて予想時刻を5分刻みで設定した。全員が生き生きとして思う時刻を登録した。淀んでいたかのような車内の空気が一気に明るくなり、陽気なアメリカ人を取り戻していた。

こういう時に賭けよう、即ち「betしよう」という異文化の発想は、私には到底思いつける性質ではなかった。兎に角、帝国ホテルに到着するまでの間は、当たるかどうかのスリルを何の屈託もなく明るく楽しみながら賑やかに過ごせて、大渋滞の煩わしさなど全く感じられなかった。私がこの異文化から学んだことは「賭けること」はスリルもあるが、陽気で朗らかな彼等の文化の一部だったという辺りだった。博打とは違うと感じた。

水原一平元通訳氏はbetの悪い面に飛びついていたようだったのは、異文化の負の面に惑わされたか、呑まれていたように思う。YM氏も指摘していたことで、究極的には胴元が勝つように出来ていると知らなかったのが、水原氏の至らざる点だろうという点で意見は一致した。


思いつくままの話題を幾つか

2024-03-26 07:27:02 | コラム
色々なことが起きる世の中だ:

ロシアでISがテロ攻撃:
なりを潜めていたISがモスクワに潜り込んで、一般人(だったのだろう)を相手にしてテロ行為に出るとは「未だ健在だったのか」と非常に驚かされた。しかも、広く世界にその存在を知られていたKGBの国で敢行したのだから、恐れ入るのだ。イスラム教徒とロシアの間には如何なる因縁か対立感覚があるのか、不勉強な当方には見当もつかなかった。

9.11の際にも「何故こうなってしまったのか」と彼等モズレムには理解不能だったが、今回は西欧諸国を敵に回している感が濃厚な彼等がロシアを標的にしたとは、「この世には色々の事件が起きるものだ」と感じ入っていた。しかも、プーチン大統領はアメリカからの警告を無視した上に、その責任をウクライナに押しつけるようなことを言っているのも「矢張りロシアは何処まで行ってもロシアなのだ」とあらためて認識させられた。

昨日も何時ものように、ジムのサロンで見出しだけ拾い読みしたNY TIMESでは「プーチン大統領は言う程には、自らの国を守れていなかった」と皮肉っていた。序でだが、珍しく日本の関連の記事の範疇に入るのだろうか、大谷問題も「ハッキリしない」と論じていた。

大谷翔平への疑問:
野球の選手としてではない場合に、大谷翔平という人はハッキリと態度を表明するとか、意見を述べることがないのは決して得策ではないのではと思わせてくれる。もしかすると、秘密主義が最善の手法だという信念の持ち主かも知れないと疑う。日本時間の26日には記者会見をすると報じられたが、そこでは質問禁止という条件を付けたのは「何様のつもりかな」と些か疑問に感じた。

Dodgers(ダジャースであり、アメリカでは「ドジャース」とは発音しない)の選手として大谷をキャンプから見せて貰って、何となく「おかしいな」と感じていた。それはマスコミ報道ではフリーバッテイング(batting practiceだと思うが)で柵越えを何十本も打ったと褒め称えていたが、私の目には昨年の肘の故障前のスゥイングではないと見えていた。

上原浩治は24日のTBSの関口の番組で「力みすぎ」と言っていたが、私は振っている時の後半が水平ではなく、そこから所謂「アッパースゥイング」になっていたとしか見えなかった。大谷本来の振り方ではもっと水平に目にも止まらぬ速さでフィニッシュになっていた。だから、ソウルでの当たりの殆どが球の上っ面を叩いていたので、フライボールにならず、打球の速度も上がっていなかった。

いや、ハッキリ言えば「不調」か「調整不足」だ。そのような状態にある大谷を褒め続けるのを止めるべきだ。言いたくはないが、あの打てない大谷からは水原問題の陰が見えてしまうので困る。

サッカーを忘れたくなった:
昭和20年4月の中学入学前から蹴球に慣れ親しんできた私は、残念ながら昭和36年(1961年)だったかに「サッカーから距離を置こう」と決意していたように、昨夜のU-23代表の対ウクライナのオリンピック出場代表ティームとの試合を観ていて「また、暫くサッカーを忘れよう」というか「何か批評めいたことを言わないようにするべきだ」と考えていた。私には「詰まらないサッカー」でしかないから。

理由を解りやすく言えば「もう、WMフォーメイション時代に育った私には、現代のサッカーは余りにも難解で「何故、自分で抜いてやろうとしないのか」だし、「責任回避のパスをして逃げるし」あるいは「折角相手のペナルティエリアに入りながら、躊躇なくGKにまで戻す」というような戦法にはついていけないから。妙なカタカナ語に言う「アグレッシブ」ではないのは面白くないのだから。

意外な点は「あれほどリフティングが巧くても、パスの際に球種の蹴り訳が出来ていないか、しないこと」である。この意味は「強く蹴って受け手の走力(例えば伊東純也)に期待する」か、あるいは「長いパスを蹴る時にはバックスピンをかけて、受け手が追いつきやすいように配慮するか、ディフェンダーの頭上を越して地面の落ちた後は転がらないように配慮する」のを殆ど見た記憶がない。尤も、W杯の対ドイツ戦だったかで浅野がトラッピングしたパスなどは見事なバックスピンがかかっていたと見えたが。

現代の指導者たちが、少年サッカーの頃にどのような教え方をしているのか知る術もないが、見ていて苛立たされるようなサッカーを観戦しているのにはもう飽きたという嘆きなのだ。それに加えて敢えて森保一監督の手法を批判すれば「どう見ても、監督さん自身の好みの(真摯敢闘型の)選手しかか起用せず、私の好みでは繊細な技巧派である久保建英は補欠扱いであり、中間派の感がある堂安律も交代要員にしている点は好ましくないから。

念のために回顧しておけば、サッカー観戦から離れていた時期でも、何故か藤沢市の「四十雀」には加入して「リクリエーションとしてのサッカーを楽しむ」傍ら、アメリカででもこちらにいても「アメリカのフットボールの観戦を楽しんでいた」のだった。(アメリカン)フットボールは(悲しいかな)未だに我が国では「マイナースポーツ」の域に止まり続けているが、「鑑賞法」を知れば「何故、アメリカの三大スポーツの中で最高の人気か」が解るのだ。