新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

言い訳

2024-03-15 07:36:01 | コラム
何故、鳥山明氏の存在を知らなかったのか:

既に、この高名な作家を知らなかったと回顧してあったが、何故知らなかったのか、あらためて何故そうなったかの言い訳をしておこうと考えるに至った。

私は漫画、アニメ、ゲームとうに全く関心がなかったし、鳥山明氏を始めとしてその分野が栄えていた頃には、精神的にも時間的にも余裕がなかったので無視せざるを得なかったし、何らかの知識を得る暇もなかった。

告白すれば、村上春樹や司馬遼太郎の存在すらも知らなかった。この二人の作家の人気が高かった頃は、ウエアーハウザー全社として対日輸出の最盛期であり、我が事業部も多忙を極めていた。特に、所属していた紙パルプ事業部門は全ての製品で日本の輸入の50~75%のシェアーを抑えていた。

だからこそ、私は1年に6回も7回もアメリカと日本の往復で1年の3分の1はアメリカにいた。また、東京にいれば、取引先との会談や交渉事があるし、副社長と技術サービスマネージャーと取引先の本社と地方の工場の訪問で1年の3分の1程を費やしていた。週末でも本社との電話連絡等で休んではいられない日があった。

ここで強調しておきたいことがある。それは、ウエアーハウザーは1980年代末頃から、アメリカの全部の会社の中で対日輸出の金額が第2位の地位にあったということ。因みに、第1位はボーイング・カンパニーだった。会社の方針として、対日輸出をしている全事業部が日本担当マネージャーを1人だけしか東京に駐在させていなかったのだから、我々が非常に多忙だったのは当然だし、それ故に利益も挙がっていた。

だが、ウエアーハウザーとボーイングがどれ程努力しても、当時は(当時も)アメリカは膨大な対日貿易赤字を抱えていたのだった。通産省もその点には大いに気を遣ってか、アメリカの貿易赤字を大幅に減らした会社としてウエアーハウザーを表彰したことがあった。我が社は簡単に言えば「一次産品の会社」なのだから、我々から見れば「他の製造業界の会社は何をやっているのか」と疑問に感じたのだった。

こうなってしまったことの背景には「アメリカは基本的に輸出立国ではなく、経済の面では内需に依存している」という動かしがたい事実がある。それに加えて、アメリカの大量生産から大量販売/消費という構造から生産される製品の品質基準が甘く、我が国の需要家や消費者が求める厳格な要求を容易に満たせなかったという点がある。言いたくはないが、その問題の他に「労働力の質の低さ」も障害になっていた。

そもそも、内需で成り立っていたアメリカの産業界からすれば、品質に対してアメリカの消費者が絶対言わないような小難しい注文を付けるし、頻繁にクレーム(complaint)は付けるし、国内での過当競争のために安値を求めるユーザー弥消費者が多いので、そのような難しい日本市場に努力を集中する会社は多くはなかったと言って誤りではない。トランプ前大統領などは、このような実情を把握しておられたとはとても思えない。だから、無理無体を言われたのだと思っている

本稿の趣旨は日米貿易戦争の激しさを回顧することはない。アメリカからの対日輸出がどれ程難しかったのか、その国の市場を開拓し、製品の販路を拡張し占有率を上げていく仕事が多忙であり、国内の情勢や事情の変化に気を配っている暇がなかったという反省と言い訳の弁なのである。

なお、その嘗ては従業員58000人で売上高が円換算で2兆数千億円のウエアーハウザーは、2017年で完全に紙パルプ産業からの撤退を終え、木材部門だけを残して株式会社でもなくなっている。企業としてITC化とディジタル化に圧倒された印刷用紙の将来を見限ったという事だった。