楽しみも中くらいなりオリンピック:
余り個人競技の種目は見ないようにしているが、我が代表選手たちが時間制限がない種目で、中国や韓国の者たちに負けていくのを見せつけるのは辛いし、とても耐えきれないのだ。特にバドミントンの桃田賢斗君の敗戦は、途中から一目見ただけで敗色濃厚と解ったのは本当に切なかったので、チャンネルを変えてしまった。これも既に採り上げたことで大坂なおみさんが負けるのはコートに入場してきたときの雰囲気で解ってしまったので、1セットを失ったところで見るのを止めた。卓球の石川佳純さんも駄目だと見えていたが、一縷の望みを託して最後まで見たが辛かった。
個人競技の競技を見ていて辛いところは、時間制限がないところなのだ。サッカー、バスケットボール、ラグビー、グラウンドホッケー等は時間との勝負もあるので、劣勢に立たされているときの辛さは解るが、時間が来れば終わるので悪い意味で解放される。だが、バドミントンや卓球やテニスのような種目は、徐々に負ける方向に向かっていくのが見えるのが辛いし、選手たちの心中は察するに余りあるのだ。柔道は時間制限があるようだが、延長戦に入れば永久に試合が続くのではないかとすら思わせられるので、見ている方が辛い。
昨31日の夜はサッカーがPKにまで持ち込まれて勝った後に、女子のヴァレーボールにチャンネルが合ったしまった。それが何と韓国が相手だった。彼らはスポーツにも怨念の感情と政治と外交情勢をこれでもかとばかりに持ち込んで、異常な集中力で当たってくるので、その相手をしている我が代表の苦衷は見るに堪えないのだ。昨夜も1セットを取られた後で、画面から溢れ出ている雰囲気が最悪だったので観戦を止めた。何と言って良いか解らないが「最終セットまで持ち込まれての敗戦」だったそうだ。何で同じ組に入れられたのだろうかと、彼女らの不運を嘆いた。
そこで、昨夜の最大の呼び物だったのがニュージーランドが相手となったサッカーの準々決勝戦だった。実はこのニュージーランドは難物で、試合開始前まで居合わせたフットボール経験者の二男も「ラグビーの強豪国であるとは承知しているが、サッカーとなるとどんなことをやるのか見当も付かない」と言っていたのと同じで、カタカナ語にすれば「イメージが湧いてこなかった」のだった。乱暴なことをするのではないかと言う予測もあるにはあったが。
試合が始まって暫くの間は「ニュージーランドのサッカーとは」を掴みかねていた。しかしながら、直ぐに閃いたことは「この様子ではPK戦にまでもつれ込むだろう」だった。PK戦などと言うものは何とか回避して欲しいという不安感も襲ってきた。そして、そこまで長引いた予感は当たっていたが「案ずるよりは何とやら」で、見事に勝ち上がってくれてのは大変結構だった。
ニュージーランドのサッカーはと言えば「余り細かい細工はせずに、体格と走力を活かした長いパスを蹴り込んで行く攻め方」と「ラグビーじゃないんだ」と叫んだほどの守りの危機となるような我が代表がデイフェンスラインを突破しそうになると、イエローカードで済むような程度に文字通り抱きついて引き倒してしまうような、乱暴な反則で止める戦法を多用するのだった。要するに、サッカーを単純化して、長いパス戦法で我が方の守備体系が整わない間に突っ込んでいこうという、細かいパス回しなどには依存していないサッカーなのだった。
デイフェンスもそれほど知恵がある訳でもなくと言ったら失礼に当たるが、非常に寄せが早く、我が方よりも長い足を活かしてパスが通らないように防ぎきるし、バスケットボールで言う「リバウンド」ボールを素早い出足で奪って、我が方の攻撃の芽を摘んでいく戦法だった。特に反則で攻撃を止めてしまうのは有効なやり方で、堂安と久保が何度転がされたか解らなかった。この2名を止めれば、我が方には効果的な攻め方出来ないと読み切っていたようだった。
その反則戦法もさることながら、我が方はオフェンスでは堂安と久保以外は極端ない言い方を知れば役立たずばかりで、2名が作った得点機をものに出来ずに終わった。デイフェンスではフランス戦でおかしな判定のために酒井宏樹が出場停止になっていたのが、矢張りマイナス材料になっていた。それで吉田麻也とオーバーエージではない富安に過剰な負担がかかっていたのは仕方がなかった。即ち、代わりに起用された橋岡では酒井のような攻撃参加がなかったので、堂安と久保と遠藤航に余計な負担がかかったと見ていた。
指摘しておきたい問題点は「このテイームでは堂安と久保の両名は攻めの形を組み立てるだけではなく、シュートまで決める役目を背負っていると言う過剰負担」である。それは最初にトップに起用された林が力不足だったので絶好機を逃したし、交替で上田が出ても前田が出ても代わり映えしない得点力と決定力不足なのだ。女子の方も澤、宮間、阪口がいなくなってしまったので今回のような中心の柱がないサッカーになってしまったのと似ている気がする。
オフェンスの組み立てを堂安と久保だけに任せていては、次に当たるスペイン戦をどのようにするかが、森保監督に課された重要な課題だろう。いっそのこと、この二人をトップにおいて少ないチャンスを逃さないようなフォーメーションにしたらどうだろう。尤も本当にそうすれば「誰が中盤を組み立てるか」が最大の課題になるのだが、遠藤航の他にもう一人堂安・久保級が欲しい。
余り個人競技の種目は見ないようにしているが、我が代表選手たちが時間制限がない種目で、中国や韓国の者たちに負けていくのを見せつけるのは辛いし、とても耐えきれないのだ。特にバドミントンの桃田賢斗君の敗戦は、途中から一目見ただけで敗色濃厚と解ったのは本当に切なかったので、チャンネルを変えてしまった。これも既に採り上げたことで大坂なおみさんが負けるのはコートに入場してきたときの雰囲気で解ってしまったので、1セットを失ったところで見るのを止めた。卓球の石川佳純さんも駄目だと見えていたが、一縷の望みを託して最後まで見たが辛かった。
個人競技の競技を見ていて辛いところは、時間制限がないところなのだ。サッカー、バスケットボール、ラグビー、グラウンドホッケー等は時間との勝負もあるので、劣勢に立たされているときの辛さは解るが、時間が来れば終わるので悪い意味で解放される。だが、バドミントンや卓球やテニスのような種目は、徐々に負ける方向に向かっていくのが見えるのが辛いし、選手たちの心中は察するに余りあるのだ。柔道は時間制限があるようだが、延長戦に入れば永久に試合が続くのではないかとすら思わせられるので、見ている方が辛い。
昨31日の夜はサッカーがPKにまで持ち込まれて勝った後に、女子のヴァレーボールにチャンネルが合ったしまった。それが何と韓国が相手だった。彼らはスポーツにも怨念の感情と政治と外交情勢をこれでもかとばかりに持ち込んで、異常な集中力で当たってくるので、その相手をしている我が代表の苦衷は見るに堪えないのだ。昨夜も1セットを取られた後で、画面から溢れ出ている雰囲気が最悪だったので観戦を止めた。何と言って良いか解らないが「最終セットまで持ち込まれての敗戦」だったそうだ。何で同じ組に入れられたのだろうかと、彼女らの不運を嘆いた。
そこで、昨夜の最大の呼び物だったのがニュージーランドが相手となったサッカーの準々決勝戦だった。実はこのニュージーランドは難物で、試合開始前まで居合わせたフットボール経験者の二男も「ラグビーの強豪国であるとは承知しているが、サッカーとなるとどんなことをやるのか見当も付かない」と言っていたのと同じで、カタカナ語にすれば「イメージが湧いてこなかった」のだった。乱暴なことをするのではないかと言う予測もあるにはあったが。
試合が始まって暫くの間は「ニュージーランドのサッカーとは」を掴みかねていた。しかしながら、直ぐに閃いたことは「この様子ではPK戦にまでもつれ込むだろう」だった。PK戦などと言うものは何とか回避して欲しいという不安感も襲ってきた。そして、そこまで長引いた予感は当たっていたが「案ずるよりは何とやら」で、見事に勝ち上がってくれてのは大変結構だった。
ニュージーランドのサッカーはと言えば「余り細かい細工はせずに、体格と走力を活かした長いパスを蹴り込んで行く攻め方」と「ラグビーじゃないんだ」と叫んだほどの守りの危機となるような我が代表がデイフェンスラインを突破しそうになると、イエローカードで済むような程度に文字通り抱きついて引き倒してしまうような、乱暴な反則で止める戦法を多用するのだった。要するに、サッカーを単純化して、長いパス戦法で我が方の守備体系が整わない間に突っ込んでいこうという、細かいパス回しなどには依存していないサッカーなのだった。
デイフェンスもそれほど知恵がある訳でもなくと言ったら失礼に当たるが、非常に寄せが早く、我が方よりも長い足を活かしてパスが通らないように防ぎきるし、バスケットボールで言う「リバウンド」ボールを素早い出足で奪って、我が方の攻撃の芽を摘んでいく戦法だった。特に反則で攻撃を止めてしまうのは有効なやり方で、堂安と久保が何度転がされたか解らなかった。この2名を止めれば、我が方には効果的な攻め方出来ないと読み切っていたようだった。
その反則戦法もさることながら、我が方はオフェンスでは堂安と久保以外は極端ない言い方を知れば役立たずばかりで、2名が作った得点機をものに出来ずに終わった。デイフェンスではフランス戦でおかしな判定のために酒井宏樹が出場停止になっていたのが、矢張りマイナス材料になっていた。それで吉田麻也とオーバーエージではない富安に過剰な負担がかかっていたのは仕方がなかった。即ち、代わりに起用された橋岡では酒井のような攻撃参加がなかったので、堂安と久保と遠藤航に余計な負担がかかったと見ていた。
指摘しておきたい問題点は「このテイームでは堂安と久保の両名は攻めの形を組み立てるだけではなく、シュートまで決める役目を背負っていると言う過剰負担」である。それは最初にトップに起用された林が力不足だったので絶好機を逃したし、交替で上田が出ても前田が出ても代わり映えしない得点力と決定力不足なのだ。女子の方も澤、宮間、阪口がいなくなってしまったので今回のような中心の柱がないサッカーになってしまったのと似ている気がする。
オフェンスの組み立てを堂安と久保だけに任せていては、次に当たるスペイン戦をどのようにするかが、森保監督に課された重要な課題だろう。いっそのこと、この二人をトップにおいて少ないチャンスを逃さないようなフォーメーションにしたらどうだろう。尤も本当にそうすれば「誰が中盤を組み立てるか」が最大の課題になるのだが、遠藤航の他にもう一人堂安・久保級が欲しい。
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