新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

給料が上がらない時代

2023-07-23 07:52:26 | コラム
「経営者の劣化」だけが原因ではないのでは:

これまでずっと「何十年もろくに給料が上がらないのは『経営者の劣化が主たる原因であり』社員たちに責任はない」という風に論じてきた。40年ほど前には方々の若手社員たちから「課長たちから上の人たちを今のうちに何とかしておかないと、我が社は必ず衰退していく」と聞かされていた。そして、長い間給料が上がらない不況の時代に入っていった。「彼らが言う通りだった」とも思わせられた。

だが、良く考えてみるまでもないことで、給料が上がるように努力しているのは(我が国の会社組織内では)現実には実務の現場で働いている社員たちであり、実務から離れているとしか見えない管理職や取締役たちではないとしか思えないのだ。1972年にアメリカの会社に転出して、外から見ていると「本当に経営者たちの劣化だけが原因と言えるのかな」と思うようになった。だが、社員たちの味方のように言ってきた。

それと言うのも、3年も経たずに離職する者たちが増える傾向が顕著だとか、本当にやりたいことができる場ではなかったとか、最近では何かと言えば(何のことか良く分からない「パワハラ」だのなんのと言う)上司を非難する者が多くなったと聞けば、会社そのものの劣化ではないかとすら疑いたくなった。昭和の時代のように「会社に対する忠誠を誓う時代」ではなくなったのではないだろうか。

一方、翻って20年以上も勤めたアメリカの会社ではどうなっているかを考えてみよう。誰が何処を見て言いだしたのかも知らない「job型雇用」の世界の話だ。自分にその形式が当て嵌まると仮定して考えてみよう。我が国との大きな違いが数々あるが、私はその最たる点が「人事部がないこと」だと思っている。即ち、評価し査定するのは直属上司の事業部長であり、その基準は「職務内容記述書」であることだ。

その通りか、その範囲内及び範囲外の分野までで見るべき実績を残せたか否かが査定されるので、過去1年間の自分がどれだけのことを成し遂げてあったかは先ず解っている。即ち、他者である人事部がなくても「成し遂げていたか、いなかったか」は殆ど自覚しているのだ。要するに、全ては自分の責任だと解っているのだ。しかも、査定は会社全体の実績には左右されないし、第三者の評価とも殆どの場合無関係なのだ。駄目ならば馘首もある世界だ。

我が国の会社を考えてみよう。査定の評価が低かったからと言って「馘首」はあり得ないのではないだろうか。こちらの方が余程有り難く人情味がある世界だと思う。上司は部下を指導し育てていく責任があるのだから、アメリカよりもずっと情があって、法的にも“You are fired.”などと言えない世界だと思う。人が人を感情抜きで評価するのは難しいと言われている。

であれば、アメリカ式の「職務内容記述書」のような基準を上司と各社員双方の了解の上で設定しておくのも一つの方法かと思う。だが、こういうやり方が我が国に適しているのか、短期間に我が国に根付くのかなと考えてしまう。「job型雇用」などと言えば聞こえは良いが、アメリカの会社組織とは「中途採用」の世界なのだ。

我が国式の年功序列に基づいて昇任した経営者が劣化してしまったのであれば、それも問題だと思う。だが、何処かの中古車会社のように「経営者になってはならなかった者が経営すれば、会社は劣化すると実証されたのではないか」と思うのだが。



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