新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本製鉄のUSスティール買収について

2024-09-04 14:43:14 | コラム
カマラ・ハリス副大統領も日本製鉄の買収に反対を表明と聞いて:

ドナルド・トランプ氏が既に反対を言いだしていた以上、ハリス副大統領が同調するのは充分に予測できていた。私はトランプ氏が真っ先に日本製鉄のUSスティール反対を唱えたのは、彼の重要な支持基盤が労働者階層である事から考えれば「言うだろうな」と三歳の童子にも読めることだと思っている。

勝手に想像を逞しゅうすれば、私は「トランプ氏はUSスティールのUSWに所属する労働組合員たちは、日本製鉄に買収されれば、さぞかし如何なる処遇をされるかと不安な心理状態に陥っているだろうかと考えたのだろうと思っている。その悩みを和らげる為にも強硬な反対の意思を表明して組合員を安心させ、彼らの支持を揺るぎないものにしようと企てられたのだろう」と読んだ。という辺りから反対論の疑問点を取り上げていこう。

鉄は国家なり:
これは嘗ての新日本製鐵(現日本製鉄)の社長だった稲山嘉寛氏が唱えたと言われる有名な言葉である。「鉄というか製鉄業が国家の根本を為している」と喝破されたと遍く認識されていると承知している。だが、信ずべき新日本製鐵の元役員だった方から伺ったことでは「鉄は国家の為なり」と稲山社長が言われたことが、何時の間にか「鉄は国家なり」になってしまったのだそうだ。英語にすれば“You believe it or not.”なのだが。

閑話休題。鉄即ち製鉄という事業が国家の産業とその発展には欠くべからざる素材であり、その供給が万全でなければ、国家の経済の根本が揺らぎかねいと言う事は明らかであると思う。私はその歴史には暗いが、だからこそ、八幡製鉄所は官営であり、そこに稲山嘉寛氏が入所されたのだろうと思っている。一国の経済の進歩と発展と成長は鉄なくしてあり得ないのである。

ところが、私が未だ日本国内の会社で国内市場向けの紙類の販売に従事していた頃に、社員教育で勉強会が開催されたことがあった。そこで登壇された講師が冒頭言われたことが、我々受講者の心胆を寒からしめたのだった。それは「紙類も鉄も所詮は一次産品で素材産業の製品である。その最終製品に何処のメーカーの紙や鉄が使用されているというような表示はない。かかる素材は何時の日か、代替する素材に取って代わられると承知しておく必要がありはしないか」だったのだから。

「取って代わられる」という事も然る事ながら、ICT化の進歩・発展とインターネットの普及によって、紙という素材に依存しない媒体が急増し需要が減少した。鉄を使わずに済ましている軽量化された合成樹脂の製品が最終消費者の段階では増えている。又、現在の我が国のように経済が停滞すれば、設備投資も振るわずに鉄製の機械類の需要も減少しているかのようだ。

中国のように急成長した国では鉄鋼の生産量が世界最大になってしまったところで、何故か需要が伸びていないという例もある。アメリカにしたところで、製造業が空洞化したし、大手需要先である自動車産業があれほど落ち込んでは、鉄という素材の需要が停滞する訳ではないのか。トランプ氏もハリス氏も、その窮状を見た日本製鉄が現れたことを何と理解したのだろう。何の根拠があって反対するのだろうか。

日本とアメリカの労働組合の違い:
私が懸念することは「それでなくとも国の内外の事情というか、実態を充分に学んでいたとは思えないトランプ氏が、我が国とアメリカの労働組合の在り方が根本的に違うことなど知り尽くしての発言ではないだろう」と、本気で疑っている。即ち、アメリカの職能別組合(craft union)に対する我が国の企業内労働組合(in-house labor union)との違いである。全く違うのである。

我が国ではアメリカのように労働組合が会社とは別個の存在であることはないし、その存在が法律で保護されてはいないし、労働組合に所属していても社員であるという根本的な相違を、トランプ氏もハリス氏も知悉して反対を唱えているのかという点が疑問なのである。日本では企業の業績が低迷すればアッサリとリストラクチャリング(=リストラ)をして組合員や社員を解雇するような経営はしないのだと承知しているのだろうか。

製造業の種類によって違うかもしれないが、大学からの新卒者でも最初は一組合員として工場に配属されて、現場での経験を積ませてから本部に引き上げて本社員となり、年功と成績次第で段階的に幹部にまで昇進させる仕組みになっているという事まで承知して反対を唱えているのだろうかと疑問に感じている。換言すれば「日本とアメリカの企業社会における文化の違い」をご存じで反対しているのかということなのだ。

日本製鉄はUSスティールの買収に乗り出されたのであれば、この辺りのアメリカとの間に重要な企業社会における文化の違いが存在していることを弁えてのことだろうという前提で論じている。22年以上もの間二つの異なる企業社会の文化の違いの間で、その見えざる障害を乗り越えてアメリカ合衆国の製品の輸出に励んできたからこそ、ここに取り上げて論じているのだ。