「若さ」と「年功序列制」の考察:
小泉進次郎氏の場合には「若さ」というか「若いこと」を取り上げて疑問視する人がいます。そこで、日本とアメリカにおける「若さ」と「年齢を重ねて得た経験」の何れが重要かを考えて見ようかと。
我が国でも何処でも(アメリカでも)そうでしょうが、国の根幹をなしているのは政治と経済であり、陳腐な言い方をすれば「車の両輪」でしょう。私はその片方の経済というか、経営者に使われる側で40年ほどを日本とアメリカの両方で過ごしてきたので、珍しいと自負する「二国間の比較」が出来ます。
我が国では、その文化というか仕組みと社会通念で「年功序列」と「長幼の序」が重んじられてきました。この文化は西欧にはないと言える我が国の独自の美徳であると認識しています。その文化を活かして「失われた何年」と言われる前までは、わが国の産業は驚異的に進歩し発展し、先進国の中でも優位に立っていました。それは簡単に言ってしまえば「極めて優秀な先達が実績を挙げ、後継者を指導し、育ててきたから」でした。
そこでは「若くして入社してきたも者たちが一斉にある年齢に達すれば段階を経て地位が上がり、段階毎に経験を積んで、そこまでの蓄積の知識と技術で後継者を育ててきたから」なのですが、往年は技術革新もIT化の進歩と発展の速度が穏やかだったので、積み上げてきた経験も古物化していなかったので、時代に通用したので「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時期があったのでしょう。
だが、現代の変化と進歩・発展の状態を考えてみてください。私は1994年1月末で引退した頃には、アメリカでも有数の企業だったWeyerhaeuser の日本法人Japan会社でも、各マネージャーはPCを与えられていませんでした。私が携帯電話を持つようになったのは、引退後の1997年からお手伝いした某社と契約したからです。PCを導入する羽目に陥ったのは、70歳で引き受けた仕事の為でした。
何が言いたいのかと言えば、止むを得ず時代の変化と進歩に追いつかないと仕事が出来ない時代になっていたという意味です。自分からディジタル・デイバイド世代と嘆いて見せたように、その変化に追いつかざるを得なくなったのは辛かったのだという事。昨年からはらくらくスマートフォンからiPhoneに繰り上げて、一層苦労が増えてしまいました。
ここでの要点は「積み上げてきた経験といくらかの技術では、もう何ともならない時代になってしまった」という事で、年功を積んで昇進されてきた方々が時代に即応できるように研鑽を積まれたら、現代の若手を使って企業体を牽引して世界の市場でも遺憾なく活躍できるのでしょうかと言うこと。私はドイツに抜かれて第4位の元・経済大国に成り下がり、インドにも抜かれそうだという原因の一つに、年功序列制があるのではと疑っています。
翻って、アメリカを見てみましょう。年功序列制等ない我が国とは文化が異なる国ですから、企業社会でも様相が異なっているのは当然でしょう。ウエアーハウザー第8代目のCEO兼社長のジョージ・ウエアーハウザーは確かにYale大学のMBAでしたが、就任したのは39歳の時。「名字と会社名が同じだから社長になれたのではない」と言っています。ハーバードの法科大学出身で法学博士だった#2のチャーリー・ビンガムが、その地位に抜擢されたのは36歳でした。
即ち、年齢を気にしないし、問題にも障害にもならない世界であるのです。と言うことは「実力が備わっていれば良いのか」と言われれば。「必ずしも壮図ばかり言えない世界だった」と認識しています。
我が事業部の自称天才の州立大学の4年制しか出ていない副社長兼事業部長は、抜群の能力と頭脳を遺憾なく活かして、地方の工場から本社の組織に引き上げられた例外的な人物。しかも類い希な能力を発揮して39歳で事業部長に昇進し、MBAではない珍しい副社長に、遅いと言われた42歳で登り詰めていました。
この例が示すように、確かに能力が高く実力が備わっていて、学歴(MBAやPh.D.)があれば、若くしても抜擢されるし、地位は急上昇するでしょう。だが、その一流の私立大学で年間1,500万円以上にもなる学費を負担できる富裕な家に生まれないと、この「スピードトラック」に乗って上昇する世界には容易に入っていけないのです。しかも、その能力と経験を如何にして上層部に認識させ、抜擢の機会を掴むかはまた別の問題です。我が事業部の副社長は出来すぎが疎まれたのか、50歳で辞表を出して去って行きました。本当に惜しい人物でした。
要点は「MBA等の高学歴と誰にも劣らない明晰な頭脳と実力と実績が上層部に認識されて、初めてスピードトラックに乗れるのであり、仮令乗れたとしても、もしも上層部とそりが合わないとか嫌われでもすれば、生き残れないことになりかねない世界です。だが、我が国と基本的に違うことは「雇用というか、職を得る機会に流動性がありますから、他社に職を得るチャンスがある」のがアメリカです。
私はアメリカでは年齢は問題にならず、飽くまでも高い学歴に裏打ちされた能力と、言いにくいのですが社交性の高さが求められる世界だと、経験からも理解していました。他人と競争するのではなく、どうすればこの会社で生き残れるかと、自助努力する世界でした。換言すれば「能力があればという世界ではない」と認識しているとなります。