新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月19日 その2 ようこそアメリカ合衆国へ

2024-09-15 11:02:59 | コラム
BARTから見たアメリカという国:

BARTとは「バート(BART)は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンフランシスコで運行されている鉄道である。正式名称はBay Area Rapid Transit(ベイエリア高速鉄道)で、「BART」は頭字語である。サンフランシスコ・ベイエリア高速鉄道公社(San Francisco Bay Area Rapid Transit District)が運営している。」とWikipediaにある。モノレールではなかった。

知人がサンフランシスコに行って、空港(SFO)からBARTを利用して目的地に行くと聞いて、2010年1月に初めてこの鉄道を利用したのを思い出した。それは、SM氏に案内されてLos Angelesから遙か北にあるOaklandまで行って、BARTを利用してUCのバークレー校で開催されたUCLAとのバスケットボールの試合を観戦に行った時のことだった。

40年近くアメリカに住んでいるSM氏も券売機でやや手間取っていたが、無事に切り抜けて乗車。車内は広くて快適。暫くして、あの自転車専用とでも言うのか、斬新なデザインのヘルメットをかぶった若い東洋系の女性が、電動アシスト付き自転車を抱えて乗ってきた。我々が立っていた場所が自転車を置く場所だったようだった。と言うよりも、そういうかなり広い場所が用意されているのだ。

そこで、その女性に色々と尋ねてみた。アメリカでもこの種の自転車は普及し始めていて、その価格も日本と同様に10万円以上するとの話だった。この女性は勤務先への通勤にはこの自転車を利用する方が、自動車通勤よりも経済的なので(今風に言えば「コスパが良い」か)使っているそうだった。

但し、勤務先ではこの服装では宜しくないので、ロッカーに着替えは用意してあるとも語っていた。「なるほど。如何にもアメリカ風の合理的考え方だな」と思って聞いた。因みに、彼女は二世のベトナム系アメリカ人だった。

さて、我々の目的地(バークレーという駅だったかどうか、全く記憶がない)で下車して、改札口を通過して気が付いたことがあった。それは「自転車を担いだ人専用の幅が広いゲートがあったこと」だった。何時からBARTが運行を始めて、何時頃から電動アシスト付き自転車が普及し始めたのか知らないが、それ専用のゲートまで用意するとは、アメリカらしい物の考え方だなと感じた。

アメリカにも「省エネ」という思想が普及し、あの女性のように自転車+BART通勤者が増えたと見るや、直ちにそれ専用の改札口まで儲けてしまうという手を打っていたのだ。我が国でも、このようなアメリカ式の合理主義というか、必要とあれば即断即決する方式は取り入れられないかもと考えた。

我が国では土地が狭くて余裕がないにも拘わらず、都内の駅の周辺に有料の駐輪場を設けても、違法駐輪者に悩まされている状態なのである。土地が有り余っているかのようなアメリカでは駅周辺に駐輪場を設けるのではなく、車内持ち込みを認め専用の改札口まで作ったのだ。アメリカを礼賛するのでないが、彼等の手法は受け身ではなく、自分の方から行動を起こしていくのである。

アメリカでは駐車場は屋内・屋外とも充分にあるし、その気になれば駐輪場も併設が可能だろう。それでも、自転車の車内持ち込みを認めるのだ。もし、我が国で自転車の車内持ち込みを認めれば、都内などでは毎朝自転車持ち込み専用の列車を運行せねばならなくなるのではないだろうか。都内に急増する高層建築のオフィスビルには、駐輪専用の場所は設けられているのだろうか。

いや、そんな事を心配する前に、自転車専用のレーンもなく、狭い幅の歩道を我が物顔で疾走する自転車が絶えない事態を解消できない道路行政の不行き届きの解消を図って貰いたいし、同時進行で自転車利用者の道路交通法違反を厳しく取り締まって貰いたい物だと思う。

岸田政権の医療費対策に思う事

2024-09-15 07:40:14 | コラム
被保険者(受益者)の窓口負担増に:

新聞の見出しは「医療費3割負担 拡大検討」と大きく出て「75歳以上、政府が大綱明記」と補足して、間もなく92歳を迎える超後期高齢者の心胆を寒からしめただけではなく、彼は矢張り何時になっても「増?メガネ」だったのだと正直憤慨している。

産経新聞の報道によれば「その大綱とは現在75歳以上の窓口負担は原則一割で、一定以上の収入があれば二割、単身で年収383万円以上など現役並みの所得の場合は三割で、所得に応じて応分負担となっている」とあった。要するに「一定以上」の者の負担を場合によっては三割にしようと言っていると解釈した。

超後期高齢者だって負担を増やさねばならなくなった事情は分かっているし、そうしたいという意味くらいは理解している。何処の官庁がそう言いだしたのか知らないが、考え方が安易すぎると言いたくなると同時に「何処まで高齢者の懐具合を把握できているのか」と尋ねたくもなる。

また、60歳にも達していない官僚と議員たちは、一度でも大病院や繁盛せざるを得ない医院やクリニックに群がる高齢の患者の様子を視察したことがあるのだろうかと疑う。当方が6週間置きに通って検査と診断を受けている国立国際医療研究センター病院の循環器内科などは、一寸した老人クラブの様相を呈している。その老人たちを観察してみれば、闇雲に3割負担などを押しつけるのは宜しくないだろうと思わずにはいられない。

負担を増やすことを企画している者たちは「引退して楽になったであろうはずの生活に入った高齢者たちは、決して身体的に楽ではない勤務とその緊張感から解放されると、それまで遠慮したのか、なりを潜めていた病気という名の悪魔が衰え始めた免疫という障壁を乗り越えて循環器系を始めとしてありとあらゆる器官を責め始めるので苦しめられている」と認識できているのか。

当方をその理不尽な攻撃から救ってくださったのがお医者まであり、近代医学なのである。その医療費を負担できたのは在職中に懸命に積み立ててきた健康保険料である。病気ばかりしている老人に、この際患者たちに負担を増加させて苦境を切り抜けようと企画した所管の官庁と国会議員たちはその現実の状況を見て言っているとは思えない。知らないだろう。知らないから「負担増」に持っていこうとするのだろう。

という具合に批判はしてみたが、どうすれば負担増を回避できるかなどを考えてもいない。何故かと言えば、それは私の仕事ではないし、そんな事を考えねばならない時期はとっくの昔に通り越したのだ。言いたい事は「足りなくなってしまったから直ちに病気ばかりする高齢者から取り立てようという発想しかない人たちの単純な思考体系だ。

当方だって好き好んでステントを7本も入れるとか、慢性心不全になった訳でもないし、前立腺癌対策でホルモン治療をしているのではない。負担を増やそうというのならば「発病しないようにする方法を専門のお医者様方にお伺いを立ててからにしろ」と言ってやりたくなるというもの。彼等の負担増派は頭が良いのか良くないのか、良く分からないが、好ましくないことをやるのは良くないのでは。