新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月18日 その2 終の棲家の選択

2016-04-18 16:37:21 | コラム
終の棲家の選択に見る人生の運不運:

この度の熊本大地震の何と形容して良いか解らない厳しさを見るにつけ、自ら選んだことではありながら、運命のというものの難しさを感じさせてくれることがある。それは私の親戚と知人がそれぞれ一人、熊本県を終の棲家と決める選択をしていたという事実なのだ。

一人は10数歳年下の従兄弟で某大企業の役員と系列会社の社長業を終えて、環境の良さとその地区の人情の優しさに触れて南阿蘇村を引退後の安住の地に選んだと数年前に知らせてきただった。一度来てみて下さいと挨拶状にあった。良い場所を見つけたものだと感心していた。今どうしているか知る術もないが、彼乃至はその子供たちの心中を思う時に、消息を尋ねてみる気にはなれないのだ。

もう一人は昭和30年(1955年)に新卒で採用して頂いた日本の会社(おかしな表現かも知れないが、私は17年目にアメリカの会社に転身したので)に同期で入社した人。昨年だったか、年賀状の住所が芦屋市から熊本市に変わっていて転居されたと知ったのだが、そういう事情に詳しい往年の取引先の方から、一度大災害に遭った芦屋の家を処分されてお嬢さんの嫁ぎ先に移転されたと教えられた。

この二人は何という運命の苛酷さに出会われたのだろうかと思うと、世の中というものは本当に先が読み切れないものだと、この年齢になってあらためて思い知らされている。この二人が無事でおられると祈っているだけだ。


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