新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

言っても所詮は無駄かも知れないが

2024-07-10 13:33:31 | コラム
「マスコミ報道への疑問」など言うだけ無駄かも:

昨日、帰宅した後で9日までの5日間の色々なニュースを見ていると「インドのモディ首相とプーチン大統領が熱い抱擁」という違和感満載の画面に出くわした。マスコミの連中は諸外国の人たちの挨拶の仕方がどのようになっているかを知らないとは思えないが、インドとロアシア両国の首脳がまさか恋愛関係でもあるまいと思うが「熱い抱擁をするのか」と大いなる違和感を覚えた。言葉遣いが適切ではないという意味でもある。

第一に私はhugを「抱擁」とした辞書を知らない。ジーニアス英和辞典には「人が人・物を愛情・愛着を持って両腕でしっかりと抱きしめる」とあるだけ。UKのOxford English Dictionaryには「両腕を(相手に)回してきつく抱く事で、特に相手に親愛の情を示す時に」とある。

私はそうであると同時に「親しき間の挨拶の一種である」と解釈してきて誤りではないと信じていた。だが、自分自身は長年の馴染みの工場の事務課長級の女性に「もう好い加減に他人行儀の握手ではなく、我々の挨拶の仕方であるハグをしろ」と半ば強制されて経験したのが最初で、それ以外には一度しか自発的に挨拶のハグをしたことなどなかった。言いたい事は「異文化の国の挨拶である」という点。

私は22年以上もアメリカの会社に在籍して、事業部内ではアメリカ人の中にただ一人の外国人として過ごしてきてもこの程度である。故にと言うか何と言うべきか、西側諸国と「ロシア、中国、DPRK(あるいはイランも含めるか)のグループ」の間に立って、巧みに振る舞う「インド太平洋経済枠組み」の中のインドの首相を、プーチン大統領が西側にその協力関係を誇示せんが為に特に儀礼的な挨拶ではないハグを演じて見せたのだと解釈した。

マスコミが「熱い抱擁」という表現で昨今積極的にプーチン大統領が習近平氏主席や金正恩氏と会談して見せている姿勢の危険さというか、西側を畏怖させる姿勢を強調したかったのだとは思う。だが、そのような意図があったのならば、何も「熱い抱擁」などと言う西欧諸国の文化を弁えない報道をするのではなく、モディ首相の狡猾とでも形容したい態度を真っ向から解説すべきではなかったのか。

余計なことかも知れないが、補足をすれば、私が1970年8月に生涯初の海外出張(旅行)で東南アジア諸国を歴訪する前に、先人に注意されたことがあった。それは「東南アジアの諸国には華僑に次いでインド人が数多く拠点を構えている。そのインド人たちの商法は非常に狡賢いというか狡猾なことが多々あるから十分に注意するように」という注意だった。その教訓が50年以上を経た現在になって「なるほど、そういう事だったのか」と実感が湧いてきた次第なのだ。


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