英語を話すときには使う筋肉が違う:
この際、私自身の為にも永年主張し続けて来た「私だけの勉強法」を総括してみようと思うに至りました。勝手な言い分で恐縮ですが、暫くお付き合い下されば幸甚です。恐らく、こういうことを言っているのは私だけだと思うですが、偉そうに言えば「こういう考え方をしない方々がどれほど成功していたのかな」となります。
英語の発音:
私が幸運だったのは昭和20年(1945年)という戦時中に入学した神奈川県立湘南中学で最初に出会った英語の先生は、何と外見は全く白人そのもので、当時は「合いの子」と言われていた人でした。その先生は今にして思えば完璧なアメリカ式発音を教えられ、それまでに敵性語の英語に接したことがなかった私は素直にその真似をして、それがまた上手く行って褒められたので、嬉しくなって真似をし続けました。それが後になって非常に良い結果を生むのです。アメリカ人たちには「君の英語の発音は”clarity“は特徴だから、そこは維持するように」と言われました。
正直に言えば、私は我が国の英語教育の数ある欠点の中の一つに「発音」があると主張してきました。その意味は先ず「ローマ字式の発音」であり「子音で止める発音が出来ないこと」なのです。因みに、韓国語には「子音止め」があります。そういう発音で育ってきた方々が英語教師になって教えるのですから、「外国人離れした発音」になるのは防ぎようがないと思うのです。それに加えて、私が知る限りの同胞で“th”、“a,e,i,o,u”に“r”が続く発音が出来ていない人がほぼ100%だと経験上も言えます。“f”や“v”も“w”も出来ていません。いえ、教えられていないのでしょう。
だから native speakerを連れてきて教えて貰えば良いというのは、物事が解っていない暴論です。私の持論では「日本までやって来て英語を教えて生活しよう」などと考える輩は本国における食い詰め者と見て良いだろう。そういう好い加減な外国人教員を約2校の大学で見かけました。まともな者であれば、自分の国でチャンとした職にありつけるはずです。私は我が家の近くでそういう不埒な若いアメリカ人の夫婦に出会って、「外国人に英語を教える資格を持っていないとは犯罪的だ。この場からそのケースを引っ張って成田に行って帰国しろ」と怒鳴ってやったことがありました。
私はWeycoに移って頻繁にアメリカに出張するようになって気が付いたことが、何点かありました。その一つが“th”の発音をするので舌の先が痛くなったこと、“f”と“v”の為に下唇が腫れてきたこと、“w”の発音で口が横に広がると言えば大袈裟ですが、頬の筋肉が疲れてきたというような現象です。即ち、明らかに日本語とは異なる顔の筋肉を使うのが英語の(正しい)発音なので、馴れてくるほどに、終戦直後あれほど嫌っていた所謂「二世面」になっていったのでした。これは、1990年代に近くなった頃の写真を見れば明らかでした。
しかし、全く英語を話す機会などない今では、完全に日本人の顔に戻りましたが、英語が話しにくくなったのも確かです。その点を強調する意味で、私は「英語の発音を綺麗にしようと思えば、顔の筋肉のトレーニングが必要だ」と言うのですが、その意味は先ず理解されませんでした。当然のように、「そこまで配慮しなくても話が通じれば良いじゃないか」と反論する方はおられます。その方とは敢えて議論はしません。私のもう一つの主張は「発音が綺麗で正確なことは、七難隠す」なのですから。それは「聞いている方に好印象を与える」と確信しているからです。要するに「発音は綺麗で正確になるように努力しよう」ということです。
今回はここまでにして、次回は「英語の品格」と「無意識の非礼を犯さないないよう」辺りに触れてみたいと思います。
この際、私自身の為にも永年主張し続けて来た「私だけの勉強法」を総括してみようと思うに至りました。勝手な言い分で恐縮ですが、暫くお付き合い下されば幸甚です。恐らく、こういうことを言っているのは私だけだと思うですが、偉そうに言えば「こういう考え方をしない方々がどれほど成功していたのかな」となります。
英語の発音:
私が幸運だったのは昭和20年(1945年)という戦時中に入学した神奈川県立湘南中学で最初に出会った英語の先生は、何と外見は全く白人そのもので、当時は「合いの子」と言われていた人でした。その先生は今にして思えば完璧なアメリカ式発音を教えられ、それまでに敵性語の英語に接したことがなかった私は素直にその真似をして、それがまた上手く行って褒められたので、嬉しくなって真似をし続けました。それが後になって非常に良い結果を生むのです。アメリカ人たちには「君の英語の発音は”clarity“は特徴だから、そこは維持するように」と言われました。
正直に言えば、私は我が国の英語教育の数ある欠点の中の一つに「発音」があると主張してきました。その意味は先ず「ローマ字式の発音」であり「子音で止める発音が出来ないこと」なのです。因みに、韓国語には「子音止め」があります。そういう発音で育ってきた方々が英語教師になって教えるのですから、「外国人離れした発音」になるのは防ぎようがないと思うのです。それに加えて、私が知る限りの同胞で“th”、“a,e,i,o,u”に“r”が続く発音が出来ていない人がほぼ100%だと経験上も言えます。“f”や“v”も“w”も出来ていません。いえ、教えられていないのでしょう。
だから native speakerを連れてきて教えて貰えば良いというのは、物事が解っていない暴論です。私の持論では「日本までやって来て英語を教えて生活しよう」などと考える輩は本国における食い詰め者と見て良いだろう。そういう好い加減な外国人教員を約2校の大学で見かけました。まともな者であれば、自分の国でチャンとした職にありつけるはずです。私は我が家の近くでそういう不埒な若いアメリカ人の夫婦に出会って、「外国人に英語を教える資格を持っていないとは犯罪的だ。この場からそのケースを引っ張って成田に行って帰国しろ」と怒鳴ってやったことがありました。
私はWeycoに移って頻繁にアメリカに出張するようになって気が付いたことが、何点かありました。その一つが“th”の発音をするので舌の先が痛くなったこと、“f”と“v”の為に下唇が腫れてきたこと、“w”の発音で口が横に広がると言えば大袈裟ですが、頬の筋肉が疲れてきたというような現象です。即ち、明らかに日本語とは異なる顔の筋肉を使うのが英語の(正しい)発音なので、馴れてくるほどに、終戦直後あれほど嫌っていた所謂「二世面」になっていったのでした。これは、1990年代に近くなった頃の写真を見れば明らかでした。
しかし、全く英語を話す機会などない今では、完全に日本人の顔に戻りましたが、英語が話しにくくなったのも確かです。その点を強調する意味で、私は「英語の発音を綺麗にしようと思えば、顔の筋肉のトレーニングが必要だ」と言うのですが、その意味は先ず理解されませんでした。当然のように、「そこまで配慮しなくても話が通じれば良いじゃないか」と反論する方はおられます。その方とは敢えて議論はしません。私のもう一つの主張は「発音が綺麗で正確なことは、七難隠す」なのですから。それは「聞いている方に好印象を与える」と確信しているからです。要するに「発音は綺麗で正確になるように努力しよう」ということです。
今回はここまでにして、次回は「英語の品格」と「無意識の非礼を犯さないないよう」辺りに触れてみたいと思います。
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