対日交渉術:
昨日の「思考体系論」について、専門商社のアメリカとオーストラリアに駐在経験があり、海外事情に精通する知人が下記のような感想を知らせてくれた。
<背景・理由から始めて結論は一番あとに開示するのが日本式のような気がします。>
尤もな指摘で、我が国のアメリカに対する交渉の仕方では、結論が述べられているはずの主文に先行して、従文から述べてこられる方多かった。言い換えれば「ズバリ」とは切り込んでこられずに、丁寧に何故そう言わねばならないのかと背景と理由(ワケ)が解説されるのだ。これは日本式に礼儀を尽くされた手法だとは解るが、アメリカ側はこれを感情的であると解釈するのだった。
我が方のマネージャーの一人はこの日本式を「感情論である。I am here to talk about business.なのである。それにも拘わらず話の周囲をグルグル回っているだけで何時まで経っても議論の核心に触れようとしないので(”the sweetest spot of the argument”)イライラする」と表現した。換言すれば「速やかに結論を言って欲しい」なのだ。彼は会談が終了した後で”They are stealing my time”.だとまで言ったのだった。このように、思考体系と文化が違うのだ。
W社の木材製品部門にマネージャーだった頃に「日本人殺し」で社内でも有名だった副社長がいた。1976年頃だったか羽田空港から同じフライトでシアトルに向かったことがあった。その際に好奇心から如何なる手法で成功したのかと尋ねてみた。彼は「確かに日本のビジネスマンは丁寧に縷々理由と背景を説明したるし、その前に時候の挨拶や世間話を延々としたがる。これはかなり退屈でビジネスライクではない。そこで当初は反論もしたし、早く本論に入ってくれとも要求した。しかし、そういう議論の進め方をしている間は中々上手く行かなかった。
そこで、ある時にどんなに退屈で時間の浪費かと思っても、日本側の長い感情的な話に付き合って最後まで聞いてみるかと考えた。そして我慢して口出しもせず、反論もしないで聞き終えた。するとどうだろう、それが劇的な効果を発揮して『あの人は良い人だ。我々の主張を最後まで聞いてくれた。受け入れてくれた』となって、信頼関係が成立し始めたのだった。即ち、”Don’t argue but be a good listener.”ということだと解った」と教えてくれた。即ち、「アメリカ式な短兵急に結論を急ぐのではなく、先方の意見を良く聞いて上げるべし」とでも言える教訓のようだった。
私は「なるほど、尤もな経験談である」と思って拝聴していた。何もこの方式が万能であるとは限らないが、時と場合と相手側の状況次第では十分に通用する戦術であろうと考えるに至った。そこで、毎回引用するテックサーヴィスマネージャーにもこの経験を語ると同時に我が国の独自の文化である「謝罪」の重要性も説いて聞かせたのだった。即ち、アメリカには「謝罪する文化」が存在しないので、容易に潔く自社の非を認めることなく反論しがちで、日本側に要らざる刺激を与え纏まる話も纏まらなくしてしまうことが非常に多かった。
そうならない為には「謝罪が自社が全責任を負うと自発的に言い出すことにはならないのだ」と理解させる必要があるのだ。これは「良き聞き手」に専念させるよりも遙かに難しい文化の違いだった。この二つの文化の違いを何とか克服してくれるようなってからは「彼は信用出来る」と言われるようになり、得意先の本社と現場との間に信頼関係が確立出来たのだった。そして何か難しい問題が発生すると、「兎に角何が何でも彼を呼んでくれ。奴と話し合おう」とまで言い出してくれる客先が増えてきた。
と言うことは、繰り返しになるが対日交渉を上手に進める為の手法として「先ずは良き聞き手となり、徒に反論も論争もしないことであると同時に、謝罪から入ることが自分たちの非を認めて全面的な補償を約束することにはならないと知るべし。更に言えば、事を急いでいきなり結論から入る事を避ける方が無難では」なのである。また「これを言うことで失うものはない」といった主張を展開すると「彼らは高飛車であり高圧的だ」と日本側の感情を無用に刺激するので、要注意となるだろう。
昨日の「思考体系論」について、専門商社のアメリカとオーストラリアに駐在経験があり、海外事情に精通する知人が下記のような感想を知らせてくれた。
<背景・理由から始めて結論は一番あとに開示するのが日本式のような気がします。>
尤もな指摘で、我が国のアメリカに対する交渉の仕方では、結論が述べられているはずの主文に先行して、従文から述べてこられる方多かった。言い換えれば「ズバリ」とは切り込んでこられずに、丁寧に何故そう言わねばならないのかと背景と理由(ワケ)が解説されるのだ。これは日本式に礼儀を尽くされた手法だとは解るが、アメリカ側はこれを感情的であると解釈するのだった。
我が方のマネージャーの一人はこの日本式を「感情論である。I am here to talk about business.なのである。それにも拘わらず話の周囲をグルグル回っているだけで何時まで経っても議論の核心に触れようとしないので(”the sweetest spot of the argument”)イライラする」と表現した。換言すれば「速やかに結論を言って欲しい」なのだ。彼は会談が終了した後で”They are stealing my time”.だとまで言ったのだった。このように、思考体系と文化が違うのだ。
W社の木材製品部門にマネージャーだった頃に「日本人殺し」で社内でも有名だった副社長がいた。1976年頃だったか羽田空港から同じフライトでシアトルに向かったことがあった。その際に好奇心から如何なる手法で成功したのかと尋ねてみた。彼は「確かに日本のビジネスマンは丁寧に縷々理由と背景を説明したるし、その前に時候の挨拶や世間話を延々としたがる。これはかなり退屈でビジネスライクではない。そこで当初は反論もしたし、早く本論に入ってくれとも要求した。しかし、そういう議論の進め方をしている間は中々上手く行かなかった。
そこで、ある時にどんなに退屈で時間の浪費かと思っても、日本側の長い感情的な話に付き合って最後まで聞いてみるかと考えた。そして我慢して口出しもせず、反論もしないで聞き終えた。するとどうだろう、それが劇的な効果を発揮して『あの人は良い人だ。我々の主張を最後まで聞いてくれた。受け入れてくれた』となって、信頼関係が成立し始めたのだった。即ち、”Don’t argue but be a good listener.”ということだと解った」と教えてくれた。即ち、「アメリカ式な短兵急に結論を急ぐのではなく、先方の意見を良く聞いて上げるべし」とでも言える教訓のようだった。
私は「なるほど、尤もな経験談である」と思って拝聴していた。何もこの方式が万能であるとは限らないが、時と場合と相手側の状況次第では十分に通用する戦術であろうと考えるに至った。そこで、毎回引用するテックサーヴィスマネージャーにもこの経験を語ると同時に我が国の独自の文化である「謝罪」の重要性も説いて聞かせたのだった。即ち、アメリカには「謝罪する文化」が存在しないので、容易に潔く自社の非を認めることなく反論しがちで、日本側に要らざる刺激を与え纏まる話も纏まらなくしてしまうことが非常に多かった。
そうならない為には「謝罪が自社が全責任を負うと自発的に言い出すことにはならないのだ」と理解させる必要があるのだ。これは「良き聞き手」に専念させるよりも遙かに難しい文化の違いだった。この二つの文化の違いを何とか克服してくれるようなってからは「彼は信用出来る」と言われるようになり、得意先の本社と現場との間に信頼関係が確立出来たのだった。そして何か難しい問題が発生すると、「兎に角何が何でも彼を呼んでくれ。奴と話し合おう」とまで言い出してくれる客先が増えてきた。
と言うことは、繰り返しになるが対日交渉を上手に進める為の手法として「先ずは良き聞き手となり、徒に反論も論争もしないことであると同時に、謝罪から入ることが自分たちの非を認めて全面的な補償を約束することにはならないと知るべし。更に言えば、事を急いでいきなり結論から入る事を避ける方が無難では」なのである。また「これを言うことで失うものはない」といった主張を展開すると「彼らは高飛車であり高圧的だ」と日本側の感情を無用に刺激するので、要注意となるだろう。
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