証拠となる(evidence)の裏付けがない発表は信用されない:
経験から言えることで「彼ら(ヨーロッパも含めるべきか)は記憶を信じていない」ようなのである。ここに取り上げる異文化は「アメリカのビジネスマンを信用させるためには、裏付けになる確固たる資料の準備が必須なのである」ということ。
彼らのビジネスの世界ではevidenceによる裏付けがない事を信じないし、受け入れもしないのである。これは「記憶から発言したら容易に認めたがらない」という事だった。私は異文化に慣れる前には記憶力に自信があったので、会議などではごく普通に知っているまま、覚えているままに、滔々と発表していた。感心させたと自負していた。ところが、記憶から語っただけだとして、完全に認められていた訳ではなかったのだ。
ウエアーハウザーに移って暫くしてから事業部の幹部の一人に「会議では書類を見て発表せよ。君のように何の資料も見ずに発言するのは宜しくない。白紙でも何でも良いから何か持参せよ」と、言わば「勧進帳」をせよと勧告されたのだった。実は「何を言っているのか」と即座にこの文化の相違を理解できなかった。
すると、何度目かの本部出張の際に、割り当てられた出張者用のオフィス(パーティションで仕切られている個室)に入ると、MMのイニシャルが入ったカンパニーカラーの緑色のブリーフケースが置かれていた。直属の上司からは「今後はこれを必要な書類が入ったファイルホールダーを常に持ち歩くように使え。我々が納得するようにevidenceの裏付けがある語りができるよう準備せよ」と指導されたのだった。
また、後年に、他の事業部が「新工場の稼働を開始して、そこで生産する日本が輸入に依存している印刷用紙の輸出を企画しているので、日本市場の状況を知らせてくれ」と要望してきた時のことだった。急遽ジャパンの社長が招集した対策の会議で、私は「お任せください」とばかりに、その件で知るところを余すところなく発表した。完璧なプリゼンテイションだったと自負していた。社長は「これほど完全なin house informationがあるとは期待していなかった」と称賛。私も鼻高々だった。
ところが、社長はその市場調査を、ハーバードでPh.D.を持つアメリカ人が運営するコンサルタント事務所に依頼していた。要するに「記憶からの話では納得しておらず、裏付けを取ろうとした」のだった。やや憤慨したが、アメリカ人の思考体系では「記憶からの発表では不安だったのだろう」と解釈して、それまでのことだと理解することにした。これが異文化である。
本筋から離れるが、この件には後日談があった。その調査を依頼された事務所がしたことは「その調査を某銀行の有名な調査部に依頼した」のだった。そして、その銀行から「新製品の市場開拓ですか」と問い合わせがあって、下請けに出したことが判明した。コンサルタント事務所が提出してきた、いや銀行の資料は、私の説明を裏付けただけのものだった。
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