時代の変化の象徴では:
ここ数日の間に数店の十合の閉店が報じられ、徳島県が山形県に続いてデパートがない県になったと県民が嘆いておられた。私はこれまでに何度か述べてきたことで、1951年から足かけ4年間三越銀座支店で実習生という名のアルバイトをしてきた。そこで多少なりともこのような大規模小売業を実際に経験してきた。その経験だけから言うのではないが、もう30年近くにもなる前の在職中から「デパートのような大規模小売業の将来は極めて暗い」と指摘して来た。
その理由を今更ここに詳細に論じる必要はないだろうと思うほど、デパートは衰退し業界再編成は急速に進み「今日は三越、明日は帝劇」(だったかな)と言われた時代の有名店で昔の店名のまま残っている店が何軒あるだろうかという時代になってしまっている。簡単に言えば、私は定価というかメーカー希望小売価格でしか売れないデパートの弱みが決定的だったと思っている。私はウイルス問題を警戒した訳でなくとも、今年になってからデパートで買い物をしたことがなかった。
デパートは自社ビルなのだろうが社屋を所有していればそれだけでも維持費がかかるだろうし、営業時間を往年よりも延ばしたので経費が嵩んでるだろうし、店員(と言っても仕入先と問屋からの応援も含めて派遣社員が多数いるのだが)を多数雇用し、店員たちの商品知識も専門店に負けないほどの水準に高めておかねばならないのだし、幅広い商品を在庫し(と言っても買い取りは多くはないが)、配達網も整備しておかねばならないのだから、競争力が低下したのも止むを得ないと見ている。そこに新型コロナウイルスが襲ってきたのだから堪らないのだろう。
私はもう10~15年以上も懐かしき三越の日本橋本店に行っていないが、その頃でも裏側の入り口にはベンツだのキャデラックだのロールスロイスで乗り付けている恐らく古き良き時代の店員の隠語で言う「お帳場前主」(外商に専属の担当者がいて、ツケて買っていく大口のお客様の意味)だろうと思われる方が来ておられるのを見ていた。そういう時代は終わってしまったのだろうか。アマゾンだの楽天だのメルカリだのという時代にあっては対人販売のデパート等はどう変化すれば良いのかを考えているのだろうが、先行きが明るいとは思えない時代になってしまったようだ。
ここ数日の間に数店の十合の閉店が報じられ、徳島県が山形県に続いてデパートがない県になったと県民が嘆いておられた。私はこれまでに何度か述べてきたことで、1951年から足かけ4年間三越銀座支店で実習生という名のアルバイトをしてきた。そこで多少なりともこのような大規模小売業を実際に経験してきた。その経験だけから言うのではないが、もう30年近くにもなる前の在職中から「デパートのような大規模小売業の将来は極めて暗い」と指摘して来た。
その理由を今更ここに詳細に論じる必要はないだろうと思うほど、デパートは衰退し業界再編成は急速に進み「今日は三越、明日は帝劇」(だったかな)と言われた時代の有名店で昔の店名のまま残っている店が何軒あるだろうかという時代になってしまっている。簡単に言えば、私は定価というかメーカー希望小売価格でしか売れないデパートの弱みが決定的だったと思っている。私はウイルス問題を警戒した訳でなくとも、今年になってからデパートで買い物をしたことがなかった。
デパートは自社ビルなのだろうが社屋を所有していればそれだけでも維持費がかかるだろうし、営業時間を往年よりも延ばしたので経費が嵩んでるだろうし、店員(と言っても仕入先と問屋からの応援も含めて派遣社員が多数いるのだが)を多数雇用し、店員たちの商品知識も専門店に負けないほどの水準に高めておかねばならないのだし、幅広い商品を在庫し(と言っても買い取りは多くはないが)、配達網も整備しておかねばならないのだから、競争力が低下したのも止むを得ないと見ている。そこに新型コロナウイルスが襲ってきたのだから堪らないのだろう。
私はもう10~15年以上も懐かしき三越の日本橋本店に行っていないが、その頃でも裏側の入り口にはベンツだのキャデラックだのロールスロイスで乗り付けている恐らく古き良き時代の店員の隠語で言う「お帳場前主」(外商に専属の担当者がいて、ツケて買っていく大口のお客様の意味)だろうと思われる方が来ておられるのを見ていた。そういう時代は終わってしまったのだろうか。アマゾンだの楽天だのメルカリだのという時代にあっては対人販売のデパート等はどう変化すれば良いのかを考えているのだろうが、先行きが明るいとは思えない時代になってしまったようだ。
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