新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カタカナ語物語

2021-09-22 09:11:48 | コラム
排斥でも批判でもないカタカナ語物語:

昨21日に暫く振りにテレビでその語りを拝聴した小池東京都知事は「感染がぶり返さないように不要不急の外出を控えて下さい」と要請しておられた。意外だった。と言うのは、これまでの小池さんの語りであれば「感染がリバウンドしないように」と来るはずだったものが「ぶり返す」という、言わば古典的な日本語を使われた点だった。まさか、当方の批判が聞こえた訳ではあるまいが、「どちらかと言えばreboundは面倒な使い方をされるで」と学習されたのかも知れない。

この単語は普通には「リバウンド」という発音なのだが、名詞となると「リーバウンド」と「リー」にアクセントを置いて「会社でも団体でもイメージを変えて再出発する」という意味があると、Oxfordには出ている。それほど小うるさい単語なのだ。だから「リバウンド」を回避されたのかと勝手に考えている。

私は「事ほど左様に面倒な英語の単語や表現を、何でもかんでもカタカナ語にしてしまうのは宜しくないのでは」と思っているので、今回はそういう疑問に感じた例を取り上げてみようと思うのだ。

*省略型:
「ヘリ」から行こう。一昨日だったか山中にヘリコプターが墜落したとの報道があった。新聞記事では何時も見出しは「ヘリ」だが、本文はヘリコプターとなっているのは解る。見出しでは字数に限度があるからだ。しかし、テレビのニュースで「ヘリ」という英語の世界にはない省略の形で語るのはおかしいと思う。全部「ヘリコプター」と言ったって時間を1秒も食わないだろう。私には不正確な言葉遣いだとしか思えない。アメリカの俗語にはchopperとなっているので、helicopterよりも3文字少ないだけだが、報道機関は「chopper」は使わないよ。

「アフガン」は以前にも指摘したが省略型であって、しかも言葉の誤用と念が入っている。英語のAfghanは「アフガニスタン人」か「アフガニスタンの言語」の意味でしかない。何方だったかネットで指摘しておられた事は「アフガニスタン」の「スタン」は国を表しているので、省略するのだったら「アフガニだろう」と。ここでも新聞でも雑誌ででも見出しは「アフガン」でも本文は「アフガニスタン」とフルネームだ。有識者の方々は無知なのか、あるいは報道機関に迎合されたかの何れかではないのか。

「インフル」は何度も揶揄した。正式には「インフルエンザ」であり、嘗ては「流行性感冒」であって「流感」に短縮されていたのだった。それが、カタカナ好きの報道機関の仕業かお医者様がそちらを望まれたのか、何とも珍妙な「インフル」にしてしまった。私は「これではinfluenceさんが『俺をどうしてくれるのか』とお怒りだ」と指摘した。マスコミの軽佻浮薄振りの表れではないのか。

「バスケ」と「バレー」にも疑問を感じる。嘗ては「籠球」と「排球」としていた。ところがであるbaseballは「野球」なのだが、マスコミはついぞ「ベースボール」でもなく「ベース」のような省略もしないのだ。私はマスコミが何も運動部の連中の真似をして「バスケ」などという表現に走ることはないと思う。「バレー」もまた奇妙なのだ。「バレー」と表記されているballetはフランス語の通りなので、私は時々何れのことを言っているのかと迷わせられる。短縮せずにvolleyballと言えば良いじゃないかなのだが、細かいことを言えばヴァリーボールなのだ。

ここで面白いのがvolleyなのだ。テニスなどで球が地面に落ちる前に打ってしまうことを「ボレー」と呼んでいるし、サッカーにも「ボレーシュート」なんて言うのがある。ところがである、volleyの発音記号を見れば「ヴァリー」となっているのだ。何の事はないローマ字読みしていたのだった。似たような例にAppleのSteve Jobsがある。あれは「ジョブズさん」ではなくて「ジャブズ」なのだ。先頃、生前のジャブズ氏と親交があった某大手メーカーの元副社長と語り合っているときに、彼が「ジャブズ」と言われたので初めて気が付いた。

この範疇に入るのはbodyの表記がある。「ボディーチェック」もある。即ち「バデイーチェック」であるべきだし、「ボデーブロー」もある。ずっと昔に職業野球と言われていた頃だったか「新人選手」(=rookieまたはrooky)を「ルーキー」としてしまった。「ルキー」だったのだ。これもbookと書いて「ブーク」と言うかであり、lookを「ルーク」と発音するかという問題だ。「パトリオット・ミサイル」というのがあるがpatriot missileを前者はローマ字読みし、後者は誤表記した。あれは普通は「ミスル」であり、誰かが「ミスった」のだ。

*表記の誤り:
私は英語の国には「クライアント」はいないが「クライエント」(=client)はいると思う。また、海上輸送に使う箱のcontainerは「コンテナ」か「コンテナー」ではないと思う。どういう根拠があって原語を無視した表記にしたのだろう。私が初めてラジオに出させて頂いた1996年に何気なく「キャジュアル」と言ったらキャスターさんに「カジュアルではありませんか」と怪訝な顔をされて、初めてカタカナの表記を知ったのだった。私はcatと書いて「カット」とは読まない気がする。

「アワード」も困ったものだと密かに怒っている。報道機関は平気で「何とか賞をアワードされました」とか「何とかアワード」と言っている。解りやすく言えばwarという単語を見て「ワー」と発音するかという問題だ。「アルミニューム」や「シンポジューム」も如何なものかという例だ。aluminumは「アルミナム」でありsymposiumはうるさいことを言えば「シンポウジアム」なのだ。ここまで来ると報道機関を責めるよりも、先人たちのローマ字読みに頼らねばならなかったご苦労を認めねばならないような気もする。

未だ未だ幾らでもあるが、今回はここまでにしおこうと思う。



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