我が国は衆愚の国となったのか:
報道では連日のように渋谷区の区長さん他が「如何にして31日のハロウインには渋谷に人が来ないようにするか」の作戦に腐心しておられる様を取り上げている。私はそれを見る度に「何故、我が国はかくも愚か者ばかりが集う国になり果てたのか。一億総白痴化に一層近づきつつあるのか」と、何とも言いようもない情けない思いに囚われてしまう。若者(馬鹿者?)たちは他に発散の方法を知らないのかとも思う。何で渋谷のあの交差点なのかと理解不能だ。
これまでに何度か回顧したが、私は不勉強にしてアメリカに頻繁に出張し長期間滞在しても、“Halloween”なるお祭りか習慣が存在するとは知らなかった。それがケルト人(Celt)たちに起源があると後になって知ったほど無知だった。初めてその存在を知ったのは、偶々その日に本部にいて奇妙な魔女のような服装をした女性社員が出勤してくる様や、社内をその格好で歩いているのを不思議に思って、普通の服装でいる副社長秘書に「あれは何だ」と尋ねてそういうお祭りがあると知ったのだった。その時はそれだけで終わった。
80年代の末期だったか、本社に来訪された最大の得意先の担当常務さんを副社長の自宅にお招きして、夕食会となったことがあった。その日がHalloweenだったのだ。玄関にはキャンディ等が一杯詰め込まれた大きなガラス瓶が置かれていた。その夕食会の最中に仮装をした子供たちが何組か“Trick or treat.”と言いながらやって来るのだった。その度に食事を中断して副社長夫妻が玄関に出てお菓子を配るのだった。それだけのことで何組かの襲来で終わった。常務さんも私も良い経験ができたということ。
ところが、我が国では年々その馬鹿騒ぎの規模が拡張されて、警察の出動までがある始末だ。だが、“Trick or treat.”のような本来の(?)お祭りは一向に導入される気配はない。私の見るところでは、我が国の得意技である「外国から輸入した(真似た?)製品でも催し物でも、その元の形を我が国風に勝手に作り直すか編曲するとでも言うかして、我が国独得の似て非なる新製品に仕上げてしまう」のである。私が知る限りのアメリカ人はお祭り騒ぎだ大好きだが、我が国では原作者には思いもよらない形にしてしまう傾向が顕著だが、ハロウインはその典型的な例だろう。
昨日だったか、何処かの局で「渋谷に行けなくなったので」と称する5~6名の若き女性が、その手のパーティーを開催できる時間貸しの家を借り、思い思いの仮装をしてパーティーを楽しんでいる様子を報じていた。これならば穏当な発散の仕方だし、渋谷区長さんを悩まさないだろう。そこで記念写真となったのだが、私がかねがね不思議に思っているお定まりの現象が起きた。それは全員がじゃんけんの「チョキ」を出すことだ。如何なる意味があるのかが知らないし、何故チョキを出さねばならないのかが分からないのだ。
私と雖も、あれが「ピース・サイン」であるくらいは承知しているし、その起源も聞いたことがある。(尤も、しつこく言うと「サイン」は言葉の誤用で「シグナル」だと思うが)ではあっても。写真撮影となる必ずチョキを出せという決まりでもあるのかと、奇異な決め事だと思っている。何故、皆がやっているからと言って真似るのだろうか。そこが分からない。私にはハロウインの馬鹿騒ぎと同様に、我が国の衆愚化の一つの表れのように思えてならないのだ。
報道では連日のように渋谷区の区長さん他が「如何にして31日のハロウインには渋谷に人が来ないようにするか」の作戦に腐心しておられる様を取り上げている。私はそれを見る度に「何故、我が国はかくも愚か者ばかりが集う国になり果てたのか。一億総白痴化に一層近づきつつあるのか」と、何とも言いようもない情けない思いに囚われてしまう。若者(馬鹿者?)たちは他に発散の方法を知らないのかとも思う。何で渋谷のあの交差点なのかと理解不能だ。
これまでに何度か回顧したが、私は不勉強にしてアメリカに頻繁に出張し長期間滞在しても、“Halloween”なるお祭りか習慣が存在するとは知らなかった。それがケルト人(Celt)たちに起源があると後になって知ったほど無知だった。初めてその存在を知ったのは、偶々その日に本部にいて奇妙な魔女のような服装をした女性社員が出勤してくる様や、社内をその格好で歩いているのを不思議に思って、普通の服装でいる副社長秘書に「あれは何だ」と尋ねてそういうお祭りがあると知ったのだった。その時はそれだけで終わった。
80年代の末期だったか、本社に来訪された最大の得意先の担当常務さんを副社長の自宅にお招きして、夕食会となったことがあった。その日がHalloweenだったのだ。玄関にはキャンディ等が一杯詰め込まれた大きなガラス瓶が置かれていた。その夕食会の最中に仮装をした子供たちが何組か“Trick or treat.”と言いながらやって来るのだった。その度に食事を中断して副社長夫妻が玄関に出てお菓子を配るのだった。それだけのことで何組かの襲来で終わった。常務さんも私も良い経験ができたということ。
ところが、我が国では年々その馬鹿騒ぎの規模が拡張されて、警察の出動までがある始末だ。だが、“Trick or treat.”のような本来の(?)お祭りは一向に導入される気配はない。私の見るところでは、我が国の得意技である「外国から輸入した(真似た?)製品でも催し物でも、その元の形を我が国風に勝手に作り直すか編曲するとでも言うかして、我が国独得の似て非なる新製品に仕上げてしまう」のである。私が知る限りのアメリカ人はお祭り騒ぎだ大好きだが、我が国では原作者には思いもよらない形にしてしまう傾向が顕著だが、ハロウインはその典型的な例だろう。
昨日だったか、何処かの局で「渋谷に行けなくなったので」と称する5~6名の若き女性が、その手のパーティーを開催できる時間貸しの家を借り、思い思いの仮装をしてパーティーを楽しんでいる様子を報じていた。これならば穏当な発散の仕方だし、渋谷区長さんを悩まさないだろう。そこで記念写真となったのだが、私がかねがね不思議に思っているお定まりの現象が起きた。それは全員がじゃんけんの「チョキ」を出すことだ。如何なる意味があるのかが知らないし、何故チョキを出さねばならないのかが分からないのだ。
私と雖も、あれが「ピース・サイン」であるくらいは承知しているし、その起源も聞いたことがある。(尤も、しつこく言うと「サイン」は言葉の誤用で「シグナル」だと思うが)ではあっても。写真撮影となる必ずチョキを出せという決まりでもあるのかと、奇異な決め事だと思っている。何故、皆がやっているからと言って真似るのだろうか。そこが分からない。私にはハロウインの馬鹿騒ぎと同様に、我が国の衆愚化の一つの表れのように思えてならないのだ。
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