4月5日
今年も、昨年の野外美術展、ワークショップ、アートグッズ、鷲見君のモアイのかぶり物によるパフォーマンの印象がめでたく「各務原桜まつり」での美術展を開催する事が出えきました。
今年で2年目ということで気楽に考えていた所もあってスタートが出遅れた所もありますが、この2週間程前に「小牧アートフェスタ」に参加していたこともあって流石の岐阜都実行委員会のスタッフの皆さんも、こうしたお祭り騒ぎに少しお疲れ気味だったかな。
でも、やはり20万人の集る桜まつりの会場の雰囲気に押されるような感じで盛り上がってしまいましたわ。
で、今年は嵯峨芸術大学の梶田晋介君が参加。京都市内から岐阜県各務原市までした道を軽自動車で5時間かけて搬入に来てくれました。
夜7時半を過ぎ真っ暗な中、おまけに土砂降りの雨の中よく頑張って作品を搬入してくれたと感謝、感謝です(寒かった。。。)
岐阜で中学校の美術教員をされている清水英樹先生の教え子と言う事でご紹介があり、今回の参加となった梶田君。これを機会に僕達の活動に関わってみたいとの事でした。
このブログを読めば分かると思いますが、普通の美術大学では教えてもらえない市役所との交渉ごとや、企画の立案と持ってゆき方、それら全ての要素がくみ合わさって成立しているのが作品表現だと気が付くように誘えたら、彼にとって良い経験となるのではと思います。
そして、清水英樹先生の作品
昨年から、一貫して同様の作風で展示をお願いしています。
こうしたインスタレーションは1回大きな展示をしてしまうと、作者にしてみれば繰り返し同様の表現で発表し続けることに抵抗を感じるものなんですが、テレビのバラエティー番組の芸人さんと同じで、こちらが、もう飽きたと思ってからしつこく繰り返さないとなかなか世間では認知してもらえないように思うんですね。
増してや、大いなる岐阜の地で発信しようと思うと並大抵の事ではないはずなんです。
パーッと派手にダイナミックである事も重要ですが地道にしつこく何度もくり返しやってみせる事は、もっと重要だと思うんですよ。
そりゃ、メディアとしては新しい情報が欲しいので常に新作を求めて動いて欲しいでしょうが、その作家の本来のペースを乱してしまうような無理な変化を要求してしまう事も多いのです。
だから、逆を言えば、こうした岐阜の地だからこそ、じっくりと野外美術展示に取り組めるのだと思うのです。
また、大垣日大高校美術の大庭正也先生や、若手作家の野口君も、回数を重ねるたびに、的を得た展示方法を行なうようになってきたと思うんですね
大垣日大高校 大庭正也先生
造形作家 野口雄也君
名古屋芸術大学の学生さん 赤井教祐君
何度も繰り返す事によって育まれる感性というものを大切にしてあげる。簡単なようですがなかなか難しいことです。
ひょっとしたら、これから10年ぐらいはそうした接し方を世の中に求めてゆく必要があるのではないかと思えています。
どのような形で、訴え、表現してゆくか考えなければならないように思いますね。
アートグッズ
アントニオ・モアイ?
*
小澤紀代美さんの参加型のアート。
小澤さんからは
「参加型アートを何とか一つですが作りました。自分で言うのもなんですが、受けると思います。ただし、オリジナリティはないといっても良いでしょう。」
とのこと。
まぁ、難しい芸術論とか桜を見て盛りあがっている会場の雰囲気の中では全くの無力なのでね。これもまた効果的な接し方であったように思います。
桜祭モナニ~って感じですね?
以前、「岐阜加納ふるさと中仙道まつり」の役員さんから
「お芸術」という一段高い所から物を見るのではなく、祭りとして盛り上がる方向での参加を期待している」とのご助言をいただいた事もありますが、確かにその通りだと実感しましたね。
今年も、昨年の野外美術展、ワークショップ、アートグッズ、鷲見君のモアイのかぶり物によるパフォーマンの印象がめでたく「各務原桜まつり」での美術展を開催する事が出えきました。
今年で2年目ということで気楽に考えていた所もあってスタートが出遅れた所もありますが、この2週間程前に「小牧アートフェスタ」に参加していたこともあって流石の岐阜都実行委員会のスタッフの皆さんも、こうしたお祭り騒ぎに少しお疲れ気味だったかな。
でも、やはり20万人の集る桜まつりの会場の雰囲気に押されるような感じで盛り上がってしまいましたわ。
で、今年は嵯峨芸術大学の梶田晋介君が参加。京都市内から岐阜県各務原市までした道を軽自動車で5時間かけて搬入に来てくれました。
夜7時半を過ぎ真っ暗な中、おまけに土砂降りの雨の中よく頑張って作品を搬入してくれたと感謝、感謝です(寒かった。。。)
岐阜で中学校の美術教員をされている清水英樹先生の教え子と言う事でご紹介があり、今回の参加となった梶田君。これを機会に僕達の活動に関わってみたいとの事でした。
このブログを読めば分かると思いますが、普通の美術大学では教えてもらえない市役所との交渉ごとや、企画の立案と持ってゆき方、それら全ての要素がくみ合わさって成立しているのが作品表現だと気が付くように誘えたら、彼にとって良い経験となるのではと思います。
そして、清水英樹先生の作品
昨年から、一貫して同様の作風で展示をお願いしています。
こうしたインスタレーションは1回大きな展示をしてしまうと、作者にしてみれば繰り返し同様の表現で発表し続けることに抵抗を感じるものなんですが、テレビのバラエティー番組の芸人さんと同じで、こちらが、もう飽きたと思ってからしつこく繰り返さないとなかなか世間では認知してもらえないように思うんですね。
増してや、大いなる岐阜の地で発信しようと思うと並大抵の事ではないはずなんです。
パーッと派手にダイナミックである事も重要ですが地道にしつこく何度もくり返しやってみせる事は、もっと重要だと思うんですよ。
そりゃ、メディアとしては新しい情報が欲しいので常に新作を求めて動いて欲しいでしょうが、その作家の本来のペースを乱してしまうような無理な変化を要求してしまう事も多いのです。
だから、逆を言えば、こうした岐阜の地だからこそ、じっくりと野外美術展示に取り組めるのだと思うのです。
また、大垣日大高校美術の大庭正也先生や、若手作家の野口君も、回数を重ねるたびに、的を得た展示方法を行なうようになってきたと思うんですね
大垣日大高校 大庭正也先生
造形作家 野口雄也君
名古屋芸術大学の学生さん 赤井教祐君
何度も繰り返す事によって育まれる感性というものを大切にしてあげる。簡単なようですがなかなか難しいことです。
ひょっとしたら、これから10年ぐらいはそうした接し方を世の中に求めてゆく必要があるのではないかと思えています。
どのような形で、訴え、表現してゆくか考えなければならないように思いますね。
アートグッズ
アントニオ・モアイ?
*
小澤紀代美さんの参加型のアート。
小澤さんからは
「参加型アートを何とか一つですが作りました。自分で言うのもなんですが、受けると思います。ただし、オリジナリティはないといっても良いでしょう。」
とのこと。
まぁ、難しい芸術論とか桜を見て盛りあがっている会場の雰囲気の中では全くの無力なのでね。これもまた効果的な接し方であったように思います。
桜祭モナニ~って感じですね?
以前、「岐阜加納ふるさと中仙道まつり」の役員さんから
「お芸術」という一段高い所から物を見るのではなく、祭りとして盛り上がる方向での参加を期待している」とのご助言をいただいた事もありますが、確かにその通りだと実感しましたね。
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