3月22日 その2
小牧アートフェスタの様子です。
岐阜都実行委員会で参加した学生の女の子達。
気が付くと、イベントに参加されていた着付けの紹介をされていた人達のはからいで祭りらしい華やいだ雰囲気に変身。
ついでに、モアイも変身。
モアイは名古屋造形大学研究室助手の鷲見広孝君によるパフォーマンスで、彼のかぶり物によるパフォーマンスの試みは、会場を活気のある非日常的な状態へと誘う役割を果たすものというコンセプトで行なわれています。
昨年の「各務原桜まつり」から登場したモアイですが、昨年一年間いろいろな会場を舞台でパフォーマンスを試み、彼の意図する狙いを見事に実現していたように思います。
イタリアのベニスで行なわれているベニスビエンナーレでも仮装が盛んに行なわれていますが、この試みはひょっとしたらそうした方向へと繋がる可能性があるのかも知れません。
そんな視点で、着物をまとった学生の彼女達を思い出してみると、衣服など身にまとう物には街の雰囲気を一転させる力がある事に気付きますね。
ひょっとしたら、「ファションをまとってもらうこと」が街の活性化には重要な要素で、衣料や繊維関係が衰退している現状はそのまま日本の現状を示しているのかも?と思えたりしきましたw
*
美術展示とう事で、野口雄也君の作品が光っていましたね。
彼は、この数年、カラーリングをした洗濯バサミによるグラディーションを野外空間で展開させてきました。
実は、こうしたインスタレーションの展示場所を決めるのはかなり難しい作業なんです。安全性と展示場所の管理者とやり取りもあるんですが、それよりもメンタル的なところで問題が大きくて、「責任」とか「こんな所を提案しても良いのだろうか」とか戸惑い悩むものなんです。
展示してしまえば、「なぁ~んだ」とうことになってしまう事が多いのですが、美術館とか画廊とかとは違い、そもそも作品を展示するべき場所ではない所へ、自分の意図する位置に作品を置く訳ですから並大抵のプレッシャーではありません。
そんなメンタル面で強くなったことを高く評価してあげたいですね。
あとは、グループとか団体などを頼らず、単独でインスタレーションを行なえるようになると作家としての方向性を示す事に繋がります。
またそんな作家が沢山集ると面白いですよね。
*
ワークショップの様子です。
「はんこ作り」のワークショップは、どの会場に行っても安定した集客力があります。
また、岐阜都実行委員会としてワークショップに参加してくれている学生も、日大大垣高校美術の大庭正也先生が「作業の導入部分でどのように子供達、大人達の心をつかむか」といった技術を実践してみせてくれているので指導力、教育法といった、これからの美術科教育に必要なものを吸収し学び取っている気がしましたね。
*
アートグッズの販売
アートグッズの販売は作品の運搬費用などを捻出する目的で運営しています。
とはいえ、実際の収益は一人当たりで平均すると数百円程度。電車賃やガソリン代にもなりません。
しかし、ここで得られたお金は、金額は少なくても「買ってもらえた」という絶対的な評価に重要な意味があって、作家としての自信に繋がっています。
また、自分たちで作った作品を売る為の接客行為には、作家として何が求められているか肌身で感じる良い機会にもなっています。
自分の制作活動をはじめる時、何が足りないのか、何が必要なのか。
それが自分にとってどのような意味があるのか。
先生から教えてもらうのではなく、自ら探るようになります。
作品表現をする者としての「造形理念」が形成され、経験に基づくより確かな作品を見つめる目も養われます。
作家が孤独に意固地になってアトリエに閉じこもるものではなく、拡大に広がるフィールドに自ら挑戦してゆくことが必要だと気が付くのではないでしょうか。
岐阜都実行委員会としての活動も常にその方向での展開に目を向けて行きたいものだと考えます。
。。。。もちろん、お楽しみ会の要素を残しながら(笑)
小牧アートフェスタの様子です。
岐阜都実行委員会で参加した学生の女の子達。
気が付くと、イベントに参加されていた着付けの紹介をされていた人達のはからいで祭りらしい華やいだ雰囲気に変身。
ついでに、モアイも変身。
モアイは名古屋造形大学研究室助手の鷲見広孝君によるパフォーマンスで、彼のかぶり物によるパフォーマンスの試みは、会場を活気のある非日常的な状態へと誘う役割を果たすものというコンセプトで行なわれています。
昨年の「各務原桜まつり」から登場したモアイですが、昨年一年間いろいろな会場を舞台でパフォーマンスを試み、彼の意図する狙いを見事に実現していたように思います。
イタリアのベニスで行なわれているベニスビエンナーレでも仮装が盛んに行なわれていますが、この試みはひょっとしたらそうした方向へと繋がる可能性があるのかも知れません。
そんな視点で、着物をまとった学生の彼女達を思い出してみると、衣服など身にまとう物には街の雰囲気を一転させる力がある事に気付きますね。
ひょっとしたら、「ファションをまとってもらうこと」が街の活性化には重要な要素で、衣料や繊維関係が衰退している現状はそのまま日本の現状を示しているのかも?と思えたりしきましたw
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美術展示とう事で、野口雄也君の作品が光っていましたね。
彼は、この数年、カラーリングをした洗濯バサミによるグラディーションを野外空間で展開させてきました。
実は、こうしたインスタレーションの展示場所を決めるのはかなり難しい作業なんです。安全性と展示場所の管理者とやり取りもあるんですが、それよりもメンタル的なところで問題が大きくて、「責任」とか「こんな所を提案しても良いのだろうか」とか戸惑い悩むものなんです。
展示してしまえば、「なぁ~んだ」とうことになってしまう事が多いのですが、美術館とか画廊とかとは違い、そもそも作品を展示するべき場所ではない所へ、自分の意図する位置に作品を置く訳ですから並大抵のプレッシャーではありません。
そんなメンタル面で強くなったことを高く評価してあげたいですね。
あとは、グループとか団体などを頼らず、単独でインスタレーションを行なえるようになると作家としての方向性を示す事に繋がります。
またそんな作家が沢山集ると面白いですよね。
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ワークショップの様子です。
「はんこ作り」のワークショップは、どの会場に行っても安定した集客力があります。
また、岐阜都実行委員会としてワークショップに参加してくれている学生も、日大大垣高校美術の大庭正也先生が「作業の導入部分でどのように子供達、大人達の心をつかむか」といった技術を実践してみせてくれているので指導力、教育法といった、これからの美術科教育に必要なものを吸収し学び取っている気がしましたね。
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アートグッズの販売
アートグッズの販売は作品の運搬費用などを捻出する目的で運営しています。
とはいえ、実際の収益は一人当たりで平均すると数百円程度。電車賃やガソリン代にもなりません。
しかし、ここで得られたお金は、金額は少なくても「買ってもらえた」という絶対的な評価に重要な意味があって、作家としての自信に繋がっています。
また、自分たちで作った作品を売る為の接客行為には、作家として何が求められているか肌身で感じる良い機会にもなっています。
自分の制作活動をはじめる時、何が足りないのか、何が必要なのか。
それが自分にとってどのような意味があるのか。
先生から教えてもらうのではなく、自ら探るようになります。
作品表現をする者としての「造形理念」が形成され、経験に基づくより確かな作品を見つめる目も養われます。
作家が孤独に意固地になってアトリエに閉じこもるものではなく、拡大に広がるフィールドに自ら挑戦してゆくことが必要だと気が付くのではないでしょうか。
岐阜都実行委員会としての活動も常にその方向での展開に目を向けて行きたいものだと考えます。
。。。。もちろん、お楽しみ会の要素を残しながら(笑)
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