世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

タイ人に円を描いてもらった

2015-08-12 09:21:37 | 陶磁器
 北タイ陶磁の魚文の頭部の向きは、多少大雑把であるが右向き左向きの比率は、50:50である。右利きの場合、筆の運びは左から右で必然的に頭は左を向くことになる。では北タイの人々は左利きであろうか? 調べるとタイ人も日本人同様左利き比率は10-15%と同じである。

 では何故魚文に右向きが多いのか? 1995年4月から1999年10月までの4年半、仕事の関係で当地に滞在していた。その時家内はタイ人の先生のもとで、フルーツカービングを習っていた。その時のカービングナイフの動かし方は、右から左で、円弧をカービングする際は、右から反時計(左回り)方向にナイフを動かしていたという。生徒は6人で6人全員そうであったという。
 そこで実験である。調査人数は少ないが過日、円図形の描き方を調べてみた。対象はカンタリーヒルズの従業員である。

 すると、9人中5人が時計回り、4人が反時計回りの運筆で、先の魚文の頭部の向き、左対右の50:50とほぼ一致した。
 反時計回りに円を描いた人に、その理由を尋ねると、コンムアン(北タイ人)だからという。その意味がもうひとつ飲み込めないが、その言質と調査結果から、北タイ陶磁の魚文の頭部の向きに右向きが約半分と、その多さが納得できそうで、利き腕との関連はあまりなさそうだとの印象をもった。

Baan Tong Luangの少数民族村・ラフ族

2015-08-11 10:08:45 | 東南アジア少数民族
 中国では雲南に居住する。チェンダオのラフ族村では高床式住居には住まいするが、服装は洋服であった。
 ここBaan Tong Luangでも高床式住居で、女性は民族衣装を着用し、土産物を販売している。時間があれば、それらを手作りして日がな1日をゆっくりすごしている。人間動物園との批判があるようだが、そこに暮らす少数民族の人々は、意に介していないように見受ける。









北タイ少数民族の風俗#5

2015-08-10 07:50:22 | 東南アジア少数民族
 写真はバーン・トーンルアンのアカ族村で見たミニブランコである。俗に言うブランコ祭りと関連がありそうである。
 アカ族のブランコ祭りは、8月末から9月初めの丑の日から4日間続く、祖霊信仰の儀礼の一つであるという。
 その2日目に、村の高台に高さ10メートルもあろうかと思われる4本の木が建てられ、ロープが吊り下げられる。鳥越健三郎氏は「ブランコは稲作の豊穣をイメージさせる類感呪術である」と説く。そこでは歌垣も行われるという。
 ブランコ祭りとは別に建てられるのが、写真のような小型のブランコである。そこでは子供たちが遊ぶという。ここバーン・トーンルアンでも巨大なブランコを建てるのかどうか?である。






初見のサンカンペーン印花文盤片?

2015-08-09 09:50:22 | サンカンペーン陶磁

 8月6日にチェンマイ大学陶磁資料室を再訪したが、またもや担当教授は不在であった。目的はサンカンペーン陶磁についての質問である。翌8月7日に出直した。そこで見たサンカンペーン印花文盤片である。

 特徴は鍔縁の幅が広い点、その外側の縁が丸く立ち上がっており、カベットとの境目も丸く立ちあがっている。サンカンペーンでは珍しい鍔縁である。

 見込みの外周で、カベットの立ち上がりの部分が、盛り上がるように轆轤引きして特徴をもたせ、それを挟んで○を基調とした印花文を巡らしている。大きな○のなかに一つの小さな○を押し、その周囲に小さな丸を配するのは、日輪と思われる。更には中央の大きな丸に、小さな三つの丸を配しているものもあるが、何を意味しているのだろう。

 更には、高台脇にも円周に沿って大きな○の中に、小さな三つの○を配した印花文が見える。これも何を意味しているのか不明である。
 胎土は、写真をみればわかるが半磁器質で固く、白化粧なしで青磁釉が掛っている。そして重ね焼きの形跡もない。サンカンペーンのどこの窯址から出土したのか、聞き忘れた。サンカンペーンの窯址から出土した、他の北部窯の陶片であろうとの感触も捨てきれない。昨日の記事に載せた複合技法の盤片も、縁と縁を重ね焼きした形跡が認められない。これらの盤片がサンカンペーンで焼成されたとすれば、驚き以外のなにものでもない。
 いずれにしても現品に表示される識別番号は、サンカンペーンに分類されており、少なくともサンカンペーンから出土したことに、間違いはなさそうである。






驚きのサンカンペーン複合装飾技法?

2015-08-08 07:45:02 | サンカンペーン陶磁

 チェンマイ大学陶磁資料室への初回訪問時、担当教授は不在だったが、幸いにも陶磁資料室を見学することができた。窯址発掘調査で出土したと思える、サンカンペーンの破片を展示するケースの中に、青磁刻花文の断片が展示されていた。
 そのことは、2015年7月1日付けの当該ブログ「チェンマイ大学陶磁資料室#2」で紹介した通りである。それは当該ブロガーにとっては初見であった。しかし異なる窯址の断片の可能性もあり、再確認は必須であった。
 それに関し、8月6日に再訪したが残念ながら、またもや担当教授は不在であった。事務室のような部屋にいる人に尋ねると、アポイントがとれるとのことで、8月7日午前10時半とした。その時刻に三度目の訪問である。

 20年ぶりに正門からのアプローチである。そこから構内循環の1番バスに乗り込み、目的の陶磁資料室にむかった。

 破片を取り出し手で持ち、写真撮影も許可して頂いた。○と左右に○があるような結び文は印花文で、山谷のような二重線の文様は刻花文で、その二重線の間に点を刻んでいる。更に鍔縁には盛り上がった波文様をみる。これは細く伸ばした粘土紐を貼花にしたものである。

 上の写真はその鍔縁を拡大したものである。印花、刻花、貼花とおよそすべての技法を用いている。サンカンペーン愛好家には御存知の方もおられたと考えるが、当該ブロガーにとっては初見である。
 その文様は、パヤオやナーン・ボスアックに通じるような印象であり、従来考えていた以上に、サンカンペーンは幅広く奥行きも深いものがある。ただ残念だったのは、またもや聞き忘れた。サンカンペーンのどこの窯址から出土したのか?

 聞き漏らしたもののヒントは胎土にある。みると薄い灰色で磁器質に近く白化粧されていない。過去この種の胎土を見た記憶がある。それはワット・チェンセーン古窯址で陶片採取すると、固く焼きしまった灰色胎土であった。その採取片に白化粧があったのか、無かったのか思い出せない。帰国後その陶片の再確認が必要である。

 いずれにしても、サンカンペーンには、この種の複合技法は存在しないと、思っていただけに想定を超える印象である。再度サンカンペーンのオリジンや影響関係の再構築が必要であるとともに、サンカンペーン陶磁ではなく、サンカンペーンの陶工が参考にした他窯の陶磁が、サンカンペーンの窯跡から出土した可能性も残っている。更なる追求が必要であろう。誰か当件に関し見識をお持ちの方は、コメントをお寄せ頂きたい。