世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

窯印をもつサンカンペーン溶着盤

2015-08-17 10:23:43 | サンカンペーン陶磁

 サンカンペーンで窯印をもつ盤は、過去から知られていた。当該ブロガーも×印の窯印を持つ盤を2つ所有している。過日、チェンマイ大学陶磁資料室を訪問した時、それを見たので紹介する。
 それは窯址(物原)出土の溶着盤で、上下共に+印と云おうか×印の窯印が刻まれている。

 上の写真で、下側に写っている盤の窯印は、若干不明瞭なのでズームした写真を撮った。それが下の写真である。

 サンカンペーンの盤で、窯印を持つ盤は稀である。幾つかの窯印があるものと考えるが、当該ブロガーは×印以外の窯印を知らない・・・まだまだ勉強不足であろう。

 次回は初めて見るサンカンペーンの壺を紹介する。この壺を見ると、サンカンペーンは奥深く、他の北タイ諸窯との大いなる関連が伺われるが、不思議な点を多々抱かえており興味は尽きない。 





白亜のワット・ロンクン

2015-08-16 09:40:25 | タイ王国
 メーサイからの帰途、チェンライ市街の南郊で国道1号線沿いの、ワット・ロンクンに立ち寄った。タイ国政府観光庁のHPによれば、アーティスト「チャルーンチャイ・コーシピパット氏」が私財を投じて建立。しかし未だ工事中で、完成までに90年を要すという。まさにサグラダファミリア風で、話題性もあってか観光客が途切れない。周囲は今出来の門前街までできている。地域活性化には話題性が欠かせない好例である。
 寺は白亜と光を反射する鏡を多用しており、これだけでも話題性があるが、更に3Dで地獄と天国を表現している。
 三途の川であろうか?地獄の様がリアリティーである。中央には橋があり陰陽太極図があしらわれている。
 その地獄を見下ろす2体の像。見識がなく分からないが、天部の眷属であろうか、それとも閻魔の類か?
 それに対して、こちらは天国であろうか? 見える像は半人半鳥でキンナリーである。仏教では護法の一尊で、帝釈天の眷属とされている。とすれば背後の工事中の仏塔は須弥山であろう。
 下はウボーソット(本堂)かウィハーン(礼拝堂)か、どちらであろうか?正面に建つ御堂の堂内である。白亜の伽藍が立ち並ぶ中で、写真の色彩である。一際きわだち色彩感覚に優れている。さすがデザイナー。どっかのデザインを盗作している、佐野というデザイナーとは大違いである。
 参拝して感じたのは、頭を使えということ。話題性にすぐれれば、どんな田舎でも人を集めることができる好例であった。










20年ぶりのメーサイ

2015-08-15 09:54:27 | タイ王国
 ダブルのツーリストビザでタイに入国して3か月目の期限が迫って来た。期限は8月15日である。1度出国し再入国する必要がある。チェンマイからの航空便で最安の行先は、近場のビエンチャンやラングーンではなく、クアラルンプールで夫婦2名で約8,000バーツであり、宿泊代を含めると日本円で4万円を超える。
 そこで当地のVISA関係業者に尋ねると、メーサイからミャンマーのタチレクに出国して、即時にメーサイへ入国すればよいとのこと。費用はミャンマー入国のビザ料金500バーツ・1人と、車のチャーター料金3,500バーツで、2人で食事代も含めて5,000バーツ(約18,000円)であった。但し片道4時間、車に揺られ、雨季もあって途中集中豪雨で大変だった。
 往路、写真のDoi Tungの山系は、豪雨のため見ることはできず、帰路に車中から写したものである。石灰岩の山系で、これを見るとメーサイに来た感じが湧く。山中にはロイヤルプロジェクトのドイ・トゥンコーヒーの豆が栽培されている。
 メーサイは20年ぶりである。変わった点は、写真の出入国事務所で、国境にかかるサーイ川の橋の手前に建つ。橋をわたってすぐにミャンマーの出入国管理事務所が在る。双方ともに手続きはいたって簡単であった。
 実は当地に来るのに一抹の不安があった。8月4日にサーイ川が雨季の増水で氾濫したとのこと、タイ北部では雨が続いており、今日も途中が集中豪雨だったので、国境(サーイ川)を越えて入出国できるのか・・・との不安である。
 見ると、通常より増水しているそうだが水嵩は低く、国境橋は難なく渡ることができた。しかし川岸をみると、氾濫の痕跡をみることができ、土砂が堆積しているところまで水位が上昇したことがわかる。
 8月14日現在、サーイ川の水位は低く、ミャンマーとの出入国に支障はない。しかし断続的に集中豪雨は続いており、出かけられる方は事前に情報入手が不可欠である。

Baan Tong Luangの少数民族村・ヤオ族

2015-08-14 09:12:37 | 東南アジア少数民族
 ヤオ(ミエン)族は、中国雲南に居住する。漢族に追われて南下したものと考えられる。住居は土間式で、道教の盤古神を信仰し、日本の原形かと思われる歌垣も存在するという。
 なるほど住居は土間式であった。衣服は雲南のヤオ族とは異なるようだ。その変化の過程も知りたいが、そのような研究者は?


 女性が頭に被り物をしているのは、雲南のヤオ族女性と同じである。


Baan Tong Luangの少数民族村・モン(Hmong)族

2015-08-13 07:49:29 | 東南アジア少数民族
チェンマイ盆地の先住民モン(MON)族とは異なる。多くが雲南に居住するモン(中国では苗族、タイではモン:Hmong)族集落である。
先日TBS「世界不思議発見」でベトナムの黒モン族について放映されていたが、ここバーン・トンルアン同様土間式住居であった。


ベトナムの黒モン族も、ここバーン・トーンルアン同様黒を基調とした民族衣装であった。それを藍染で染め上げるようだが、バーン・トーンルアンではどうであろうか?