昨日(1日)は、東京の敬愛する酒徒である共同通信のNさんから「うちの主催事業で朝鮮通信使の友情ウォークというのがスタートしたよ」というメールが届き、静岡新聞夕刊にその記事を見つけました。…嬉しいですね、日本酒愛好家仲間が、酒とは関係のない朝鮮通信使のことを気にかけてくれて!
ちょうどテレビではサッカーW杯アジア最終予選韓国―北朝鮮戦を生中継していました。野球の日韓戦同様、韓国が隣国と戦うスポーツってやたら熱いですよね。とくにサッカーのように敵味方が入り乱れて全身ガチンコぶつかる肉体ゲームの南北対決だとなおさら、観ていて熱くなります。日本代表の試合じゃないから傍観者として安心?して楽しめるし、改めてサッカーって面白いスポーツだなぁとつくづく実感。…そして今更ながら、韓国という国の不思議な魅力を思い知らされます。
明日(3日)から6月28日まで、私の好きな京都高麗美術館で春の企画展『きらめく朝鮮の技~螺鈿漆器と象嵌青磁』が始まります。
その案内と一緒に送られてきた美術館官報に、興味深い一文が載っていました。韓国茶学会顧問の金明培氏が寄稿された『朝鮮の茶母について』という論文です。
みなさんは「茶母」という言葉、聞いたことありますか? 私は韓流ドラマ(歴史もの)を観たことがないので知りませんでしたが、朝鮮王朝時代、各官庁に所属し、接賓茶礼を担当していた官婢のことで、今風にいえば、お役所お抱えの日本茶インストラクターのような存在かしら。ただしこの時代はお茶は薬として珍重されていたので、「茶母」になった女性の多くは医学院出身でした。
金氏によると、「毎月女医生徒の学力を試験で考査し、成績の優れた生徒三人には褒賞として米を賜給、成績不良な生徒は惠民局(貧民を無料で治療し鍼術を教えた官庁)付けの茶母に格下げして、一定期間ののちに再試験を行った」「茶母には惠民局や、咸鏡道観察使に随行した男茶母をはじめ、巷の茶店で雀舌茶湯を売る茶母など数々あった。奉常寺(祭礼や諡号に関することを司った官庁)にも茶母がおり、茶礼を挙行した」そうです。本人の能力次第で、出世する茶母と、そうでない茶母がいたんですね。
高官に仕えた茶母の中には、乳母と同じような立場で政治に介入したり、捕盗庁(警察庁)に所属し、犯罪捜査で活躍した者もいたそうです。なんでも捕盗庁で茶母を選抜するときは、身長151.1cm以上で、米5斗を軽々素早く持ち上げられ、どぶろくを沙鉢3杯は一気飲みできる、気が強くて男性的な女子を採用したとか。
茶母は男性と違って他人の家に比較的楽に出入りができ、主人に隠れてその家の召使や女中を手なずけることにも長けていたので、内偵捜査にうってつけ。裳(チマ)の中に60cmぐらいの鉄製の武器「五羅・捕縄」を隠し持ち、犯人の家に突撃した茶母もいたそうです。…こういうの、ドラマにうってつけじゃないですか!
第11回朝鮮通信使の書記官だった金仁謙が記した『日東壮遊歌』には、一行がソウルを出発して慶尚道醴泉郡の客舎に到着したとき、この郡の守庁茶母が美しかったこと、一行の武官たちから醴泉に着いたら一等美女を選べと言いつけられ、ふだんからソリの合わない武官たちに悪戯半分に色香のない茶母を選び与えて失望させた…なんて記述もあります。
王朝が倒れ、文明開化した頃には、宮殿から解放された宮女たちが飲茶の風習を民間に広め、ソウルには営業用の茶房(喫茶店)がたくさんできたそうです。中には色っぽい衣裳で客を呼び込んで雀舌茶湯を売る者がいたり、一方で寺の門前の茶房で風味絶佳な茶を供した母娘を、高僧が寺に招いて茶を点てさせたなんて例もありました。
いずれにしても、茶母というのは、特殊な時代の中でも、女性が頭脳や体力やときには容姿など自らのスキルを存分に活かし、たくましく生きた証しの一つなんでしょう。
ごく限られた特殊な例だとは思いますが、朝鮮半島には婢子階級からも試験を受け、資格を得るチャンスがあり、職業選択の機会もあった…それを裏付けるこういう話を読むと、「日本だけには負けられない」「北朝鮮には負けるわけにいかない」という確かな目標のもと、闘志むき出しでガンガン攻めまくる韓国チームのエネルギーが、歴史の中に連綿と培われていたんだなぁと分かります。
WBC決勝で日本に敗れた韓国の国民総意を背負って、世界フィギュアのリンクに上がったキム・ヨナ選手を観ると、たくましい茶母的DNAを感じずにはいられませんでした。