杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

小田原の史跡散策

2009-04-16 11:25:21 | 旅行記

 昨日(15日)は東京新聞暮らすめいとの取材で、丸一日、小田原を歩き回りました。写真映えする絶好のお天気。桜が終わり、新緑が鮮やかさを増すには今一つといDsc_0011う中途半端なタイミングでしたが、小田原という街が、こんなに撮影ポイント目白押し!だったとは・・・。今まで箱根に行く時の乗り換えぐらいで市街に降り立ったことのない私には、新発見の連続でした。

 

 

 まず小田原駅の新幹線口(西口)におわすのが北条早雲像。すんごくカッコいいです。静岡駅前にも最近、徳川家康の竹千代時代の像と大御所になってからの銅像が建てられましたが、戦国武将なら現役時代の気力体力みなぎる年頃の像じゃないと迫力ないですよね…。早雲像を目の前にすると、静岡は子どもと隠居の街なんだ(苦笑)…と改めて身に染みます。

 

 もっとも、北条氏はそれまで小田原を治めていた大森氏を攻め追い出したわけで、小田原市民の中には「なんで侵略者の像を駅前に建てるんだ」と異議を唱える人もいるそうです。

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  戦国時代には日本最大規模を誇った小田原城。江戸末期まで譜代大名の居城として重要な役割を担っていましたが、明治維新で廃城となり、関東大震災で壊滅的な被害を受けました。

 その後、国の史跡に指定されてから保存や復興が進み、昭和35年には天守閣が、46年には本丸正面の常盤木門が復興、平成9年には銅門が復元され、21年今春、二の丸正面に位置する馬出門(うまだしもん)が復元完成しました。

 Dsc_0017 …駿府城と違って、復元根拠史料がちゃんと残っている=国や県の補助対象になるから出来るんですよねぇ。城址公園には昔懐かしいミニ動物園やミニ遊園地があって、桜や藤や花菖蒲・紫陽花などの花も楽しめ、イベントができるフリースペースもふんだんにあります。中心にお城がちゃんとあるから、周囲にごちゃごちゃあってもサマになるんだと実感します。

 

 

 

 

 お昼は、小田原の街おこし事業で展開中の『小田原どん』というのを食べました。市内の飲食店で、①地元の食材を1品以上使う、②小田原漆器(伝統工芸品)の器に盛って提供する、③小田原のPRをするという3条件を満たした丼メニューを考案。現在、10店舗で、天丼や海鮮丼や中華丼などさまざまな“小田原どん”を味わうことができるのです。

 

Dsc_0047  小田原城の本丸茶屋で『小田原武将茶漬け丼』という、茶飯にぎりの梅茶漬け丼を見つけましたが、小田原どんのパンフレットを見ると、他の店の写真映えしそうな丼があれこれ載っています。お茶漬け丼ももちろん魅力的ですが、暮らすめいとの担当誌面で食は1点しか紹介スペースがないので、お茶漬けを小田原グルメの代表選手として取り上げるのはどうかな…と一瞬悩み、結局、国道1号線沿いにある、創業400余年という老舗割烹旅館・小伊勢屋の食事処『古い勢』まで足を運び、“小田原鯵天丼”をいただきました。

 

 鯵はいろんなところで獲れるので、地モノといってもホントはどっから来たのかわからないというのが多いと聞きますが、この丼は小田原漁港で水揚げされた鯵だけを使うことに誇りをかけている、とお店スタッフ。確かに身が厚く甘さも十分の美味しい鯵でした。お隣には、小田原らしく、かまぼこの天ぷらものっかって、小田原漆器の重厚な丼鉢、寄木細工の箸と箸置きで味わうと、ちょっぴり大名気分?

 

 

Dsc_0082  古い勢の人に器の製作元である『漆・うつわ・ギャラリー 工房石川』を紹介してもらい、お土産になりそうな梅型のかわいい箸置きを取材しました。小田原の漆器は室町中期に箱根山系の木材で木地挽きした器に漆を塗ったのが始まりで、北条氏の時代に彩漆塗の技法が確立され、今は、天城・丹沢山系の優良なケヤキを原料に、自然の木目の美しさを活かした塗りが人気を呼んでいます。

 

 伝統工芸がショーケースに中におさまってしまって、ふだんの生活からかけ離れてしまっている中、地元食材とコラボして、地の味を出すという試み、ぜひ静岡でもやってもらいたいと思いました。

 

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 この後、北原白秋や尾崎一雄の住まい・書斎が残る小田原文学館(右写真)、電力王と呼ばれた実業家松永安左ェ門の美術コレクションや茶室・老欅庵(左写真)が残る松永記念館、そDsc_0116 して石垣山一夜城歴史公園まで足を伸ばし、小田原の街並みと相模湾の眺望を楽しみました。

 

 

 

 

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 石垣山一夜城は、関白秀吉が北条攻めのときに本営として築いた城址。その名の由来は、歴史ファンならおなじみですが、山頂の林の中に堀や櫓の骨組みを作り、白紙を張って白壁のように見せかけ、それを見た小田原城の将兵がひと晩で城が出現したと思いこんだ…という伝承から。実際には4万人が動員されて80日で建てたそうです。

 

 

 Dsc_0099 今も、井戸曲輪の石垣は、400余年前の築城当時のまま残っていて、石積みに駆り出された近江の穴太衆(あのおしゅう)の野面積(のづらづみ)技術の高さが伝わってきます。歴史の表舞台のストーリーも面白いのですが、私は、その舞台を陰で支えたこういう職人集団の技の凄さとか、職人たちが置かれた境遇というものにとても惹かれます。日本の歴史は、名もなき彼らがその土台を作ったんだという視点を大事にしたいと…。

 復元された小田原城は確かに見ごたえがありましたが、400余年のまま残る石垣山一夜城の井戸曲輪が醸し出す空気感というのは、復元では得られない、なんとも形容しがたい質感がありました。

 それにしても、小田原って街中に、攻めるものと護るもの、双方の城址がちゃんと残っているんですね。石垣山の展望台からは小田原城の天守閣がよく見えます。「この距離感で戦っていたのか・・・」とリアルに実感できます。

 

 

 今回は、前回暮らすめいとの取材でお世話になった井上靖文学館の松本亮三館長が小田原にお住まいだったというご縁で、松本館長ご夫妻と、そのご友人の山川睦子さんの3名に懇切丁寧にご案内いただきました。本当にありがとうございました!

 

 小田原は一度の取材では収まりきれないほど、まだまだたくさんの見どころがあります。また昨日は水曜定休の場所が多くて見学できなかったところもあったので、天気の良い週末にもう一度訪ねるつもりです。

 小田原市街のおススメスポットや味情報をお持ちの方がいらしたら、ぜひ教えてくださいまし。