杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

日本鉄道旅行地図帳にハマる

2009-06-23 16:21:52 | 旅行記

 私は昔から地図や鉄道図を眺めるのが好きで、ニュース番組を観る時は手元に日本地図&世界地図帳を置いて、国名や地名をチェックします。覚えようと思って見るわけではないので、すぐ忘れてしまいますが、このところ『日本鉄道旅行地図帳』(新潮社刊)というのにハマっています。

 

 カーナビのないマイカーの車内には、古い日本地図&静岡県地図帳が3冊ぐらい転がっていて、3冊中一番新しい県地図帳の浜松のページに、まだ可美村が載っている…(苦笑)。地図帳ってちゃんとしたものだと、今でも2000~3000円はしますよね。駆け出しライターの頃は、その地図を買うお金がなくて、父から“お下がり”をもらって、地図だけを頼りに取材先を必死に訪ね回ったものです。今は使い物にならない地図帳でも、そんな苦労を思い出すと、なかなか捨てられずにいます。カーナビやGPS携帯を使いこなす人たちには理解できない感覚でしょうねぇ。

 

 地図帳は、仕事上の必需品としてつねに身近にある空気みたいな存在でしたが、『日本鉄道旅行地図帳』を書店で見つけたときは、自分が地図好きになった理由が初めて解ったような気がしました。

 

 

Imgp1044  この地図帳は、正縮尺の地図に、地形に沿って正確に鉄道路線図が組み込まれたもの。

 路線図って、時刻表やスケジュール帳のおまけにくっついるのみたいに、駅名を単に実線でつないだだけのものが多いんですが、これは地図の上に書いてあるので、駅と駅との距離感がわかるし、25%以上の急勾配区間は赤いマーキング、車窓からの景色がいいところは黄色いマーキングでコメントが添えてあるなど、鉄道の旅を満喫するための気配りが隅々まで行き届いています。全国地域ブロックごとに分けて売られていて、1冊680円。内容の割にはかなりリーズナブルです!

 

 

 

 見どころのひとつは廃線鉄道地図。1962年生まれの私にはまったく記憶のない、安倍鉄道・井の宮~牛妻(1934年廃止)、堀之内軌道運輸・堀之内~新池田(1935年廃止)、静岡鉄道静岡市内線・静岡駅~安西(1962年廃止)、静岡鉄道駿遠線・駿河岡部~袋井(1970年廃止)等など、史料の中でしか見たことのない鉄道名と路線図が、地図の上、しかも現在の東海道本線や新幹線の路線図と一緒に書かれています。

 駿遠線なんて、岡部から藤枝~吉田~相良~御前崎~浜岡~袋井まで、海岸沿いをグルッと回る長~い路線だったんですねぇ。「今、バス路線になっているところに、昔、ちゃんと鉄道が通っていたんだ…」とリアルに実感できます。

 

 

 現役路線と廃止路線が一緒になった鉄道地図を眺めていると、日本のインフラは、鉄道を中心に発展してきたことがよく解ります。こんなにたくさん鉄道路線があったなんて、昔は地域にそれほど格差がなくて、どの地域にも必要不可欠なインフラだったんだと解るんですが、やっぱり日本の鉄道は国鉄がメインだったんですね。東京と名古屋を結ぶ東海道沿線が地域発展の中心となり、新幹線の登場で人の動線は劇的に変化しました。

 地方で道路整備が進み、ローカル線はバスにとって代わられ、バス路線も、過疎地を走る赤字路線は便数が減り、時々、バスの運転手が(乗客ゼロだからと)終点まで運行せずズルしてニュースになったりします。

 

 

 5年前の県広報誌・石川知事の対談記事で「ヨーロッパでよく言われることだが、快適な交通手段とは、200km圏内なら自動車、200~500km圏内なら鉄道、500km以上なら飛行機というのが定説。静岡は東京からも名古屋からも200km圏内なので、何もしなければ人もモノもどちらかに吸収されてしまう。500km以上離れた地域や海外と直結することが県の発展に不可欠」と書いたことがあります。この台詞は、鉄道も道路も整っている静岡に空港は不要という意見に対し、石川知事が反論するときの“定説”だったと思います。

 

 鉄道も道路も整っている、といっても、こうして廃止路線図を眺めていると、整っているように見えるのは、東海道沿線だけだし、発展を導くものといっても鉄道である以上はしょせん500km圏内の話。

 たとえば駿遠線は1913~14年に開業した藤相鉄道&中遠鉄道がベースで、1943年から静岡鉄道となり、70年に廃線となった。社会事情にもよりますが、交通インフラというのは30~40年ごとに大きな変革が来るとしたら、鉄道500km圏内での地域発展には限界があり、次の30~40年で500km圏外へのアクセス手段を模索するしかないと、静岡空港を創り出したわけか…。

 

 …そんなことをつらつらと考えている中、両親と『剣岳~点の記』を観に行き、地図を作る測量士の姿に前のめりで見入っていた元土木技師の父の様子に、「この人も道なきところに道を作る仕事をしていたんだ」と改めて思い知らされ、祖父もまた県の土木技師として道路や港湾の整備に従事し、曾祖父は国鉄の駅長を務めていたことを思い出しました。

 自分の中に、交通インフラの開拓者の血が流れていたんだと思うと、小さい頃から地図好きなのもナットクです。

 

 

 Imgp1045 ちなみに私の一番のお気に入り地図は、大阪歴博で見つけた復刻古地図『大日本行程大繪圖』。ホントは壁に貼りたいところだけど、汚れたり色あせたりするのが嫌でファイルにしまってあります。

 

 

 日本の交通インフラが馬と徒歩しかなかった時代の地図は、地名も個性的で、お国らしさが全面から伝わってきます。…貧しくても「分を知る、足るを良しとする」いい時代だったのかも。500km先の相手とつながる時代には、逆に、この“お国らしさ”をちゃんと語れるスキルが必要になる、そんな気がします。