杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

障害者の人権とマスコミを考える会

2010-08-10 12:31:21 | NPO

 7日(土)は静岡市障害者協会と静岡人権フォーラムが共催する『障害者の人権とマスコミを考える会』に参加しました。

 

 私は『朝鮮通信使』の脚本監修をしていただいた金両基先生のご縁で、先生が世話人代表を務める静岡人権フォーラムに、たまにしか参加できませんが会員登録をし、情報を扱う仕事をする上でいろいろと勉強させてもらっています。日頃、福祉分野のNPO団体の取材や福祉事業の広報物を制作する機会も多いので、自分の活字表現が被取材者の人権に配慮が欠けていないか、逆に配慮し過ぎたりしていないか、行政プレスや大手マスコミの報道に問題はないか等など、以前から関心の強いテーマでもありました。

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 この日は障害を持つ当事者の立場から、北川俊哉さん(市障害者協会理事)が問題提起をし、当事者、その家族、支援者などさまざまな立場の方が意見交換をし、会を取材に来て、唯一最後まで立ち会っていた静岡新聞の記者さんや、フリーライターでは唯一参加の私も発言の機会をもらいました。

 

 

 障害を持つ人が報道対象になるのは、①スポーツや芸術や起業など“障害を乗り越えて素晴らしい成果を残した”例か、②事件の被疑者や被告に“精神障害があった”“入院歴・通院歴があった”という例。

 

 ①では、「車いすの弁護士」とか「盲目のアスリート」など等、障害がその人の“まくら言葉”にされることがありますが、意見を述べた当事者の一人からは「自分が車いすで生活しているのは、たまたまそういう病気を持っていただけのこと。障害を持つ人が全員、障害を乗り越えて努力しているわけではなく、アスリートだって障害を乗り越えるために頑張ったんじゃなくて、スポーツが好きで普通に打ち込んだ結果のひとつ。何かに打ち込んで頑張る人は頑張るし、多くの障害者は、無理せず障害とつきあって適当に暮らしているんですよ」と率直な声を聞かせてくれました。

 

 これは、障害者固有の問題ではなく、ある職業や属性の人の中から特別な人がマスコミに露出するとき、全員が同一視あるいは類似視されるケースと同じかもしれません。

 ・・・属社会の枠組みが濃い農耕民族社会固有のケースというべきでしょうか。同列に語るのは申し訳ない例かもしれませんが、たとえばコピーライターと聞くと、多くの人がテレビに露出している、テレビCMのキャッチフレーズをネーミングするだけで高い報酬を得るバブリーな業界人、みたいなイメージを持たれるでしょう。でも多くのライターは、いろんな「書く」仕事や「企画する」「調べる」地味な仕事で汗を流しています。世間のイメージなんて、いい加減なんだと割り切るしかない部分もあるんじゃないでしょうか・・・。

 

 行政施設で障害者が運営するカフェを、県内テレビ局2社が取材した際、代表のSさんは「障害という言葉をなるべく使わないで、自分のパーソナリティや考えをしっかり取材してほしい」と頼んだそうです。

 

 静岡第一テレビは彼の自宅での日常生活にも密着し、“障害者の暮らし方が変わるきっかけにしたい”と熱く語る彼に、ディレクターが“どうやって変えたいの?”と問いかける。そんなやりとりが障害者への理解につながるだろうし、VTRの後のアナウンサーのコメントも「Sさんの活動は普通の若者にも刺激を与えてくれるんじゃないでしょうか」と前向きなトーンでよかったと。…最近の第一テレビのニュース特集は、私も日頃からディレクターの誠実な姿勢を感じることが多く、アナウンサーのコメントも的確で好感を持っています。

 

 ところがもう一社は「作業所で働く障害者は外に出る機会がなかったが、こういう場所が出来てよかった」というありきたりのトーンだったとか。Sさんは「取材ディレクターは自分の話をきちんと聞いてくれたが、局の上司の指示でそういうトーンになってしまったそうです」と残念そうに振り返ります。

 

 これも、マスメディアにありがち、というのか、大きな組織ならどこでも「現場」と「デスク」、上下の温度差はあるんでしょうね。現場記者の気持ちをよく理解し、そのとおりに報道させてくれるメディアが今の日本に存在するのかしら・・・。

 大きな組織の中にいては現場の思いが伝わらないとあきらめ、腹をくくって独立したフリージャーナリストやビデオジャーナリストもたくさんいますが、彼らに陽の目が当たるのは「日常に密着した映像」よりも「非日常を切り取った刺激的な映像」が多い。

 

 取材される側にしたら、自分の考えをまるごと伝えてくれるメディアを探そうと思ったら、今の静岡では自分で映像を作り、テレビ局の番組枠を買うしかないでしょう。極論かもしれませんが、テレビ取材を受けた経験のある人なら、不本意感や不十分感はだれでも実感することだろうと思います。限られた時間内で不特定多数の視聴者に伝えるため、あらかじめ練っておいた企画や筋書きどおりに編集せざるをえない番組制作者の事情がそこにあります。

 そういうメディア側の問題も、障害を持つ人に理解してもらう必要があると思いました。

 

 

 一方、②の事件報道に関しては、とくに精神障害を持つ人に対し、報道従事者は真摯に配慮すべきではないかと私も思います。事件を起こした背景をわかりやすく説明しようとするあまり、警察発表をうのみにし、深く取材せず、「容疑者は精神科に通院歴・入院歴あり」「意味不明の発言を続けている」というような文章表現をします。北川さんたちがマスコミに抗議をすると、決まって「報道の自由」や「読者に知らせる義務がある」と返ってくるそうです。

 

 私見を言えば、殺人を犯すような人は、どう考えたってまともな精神状態であるはずはないんで、通院歴や入院歴があるなしなんて報道する意味はないと思います。「意味不明の発言をしている」なんて報道も、情報として何の意味があるんだろう・・・事件と精神障害の因果関係がよくわからない時点なら「慎重に取り調べ中」でいいじゃないのかと思います。

 このような一方的な決めつけ報道が、精神障害の治療やリハビリに努力している人々の人権を深く傷つけているということを改めて知り、こういう勉強会に参加して、耳を傾ける報道記者は静岡にいないのか・・・と暗い気持ちになりました。

 実際、主催者は県内全マスコミを訪問して参加を呼び掛けたそうですが、実際に参加どころか、取材に来たのも静岡、中日の新聞2社だけでした。

 

 

 

 最後の質問時間でマイクを振られた私は「私はライターなので率直にうかがいたいのですが、みなさんが使ってほしくない言葉や、気になる活字表現はありますか?」と聞いてみました。

 

 参加者からは「授産所という言葉は、仕事が出来ない障害者に作業を授けてやる、みたいな上から目線言葉でとても嫌です」、「障害のために働きたくても働けない娘が、家に引きこもっているからといって、ニート扱いされるのが辛いと言っていた、なぜこんな言葉が一般に使われるようになったんでしょう」、「『更生施設』の更生は、本来、犯罪者を更生させるという意味なのに、障害者に対しても平気で使われる」など等、活発な答えをいただきました。こうして実際にうかがってみないと、気がつかないことばかりでした。

 

 参加者の一人から最後にうかがった、「できれば、障害者という言葉に変わるものがあってほしい。障害は、個人にあるのではなく、社会にあるのだから」という言葉はとても重かった・・・。

 

 

 主催者は、11月6日(土)13時からこのテーマのシンポジウムを開く予定です。この時はマスコミ側からもパネリストに招いて、当事者同士の意見交換を行う予定だそうです。詳細が決まりましたら、お知らせしますので、ぜひ一人でも多くのライターやメディア関係者に来てもらいたいと思います!