杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

スプーン一杯の種から実った農園の夢

2011-08-23 10:49:00 | 本と雑誌

 8月20日(土)は、午後1時から『カミアカリドリーム夏合宿@さくら咲くがっこう』に参加し、松下明弘さん(稲作農家)、平野正俊さん&常代さん夫妻(キウイフルーツカントリーJAPAN)、岩本いづみさん(柿島養鱒)の“授業”を聴講しました。

 

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 3名ともこれまで再三、取材等でお世話になった元気のよい生産者。松下さんと岩本さんは当ブログでも何度か紹介しており、平野さんは一度、カミアカリドリーム勉強会で講師を務め、松下さんと対談していますが(こちらを参照)、ご本人を詳しく紹介したことがないので、今回は私が平成10年(98年)に書いた記事を再掲したいと思います。古い記事でスミマセン。

 

 

 

スプーン一杯の種から実った農園の夢~キウイフルーツカントリーJAPAN 平野正俊さん・常代さん

<静岡県文化財団刊「静岡の文化54号」(1998年10月発行)掲載>

 

 

 キウイフルーツは外観がニュージーランドの国鳥『キーウイ』に似ていることからその名が付けられ、主産地もニュージーランドだが、原産地は中国の揚子江沿岸。マタタビ科の食用果実である。ニュージーランドには1900年ごろ渡って改良され、キウイフルーツの名で全世界に広まった。

 日本に輸入されたのは1964年(昭和39年)。当時は“ベジタブルフルーツ”としてアメリカから入ってきた。69年(昭和44)には導入した苗や実生苗から初めて結実した。

 それから5年後の1974年(昭和49)、一人の農業青年がアメリカの農場に立った。2年間の農業研修の後、彼はティースプーン1杯分のキウイの種を持ち帰り、日本で初めて、本格的なキウイ栽培に着手した。キウイフルーツカントリーJAPANの平野正俊さんである。

 

日本にないキウイなら独自の考えでやれる

 東名掛川ICから車で5分、掛川市上内田にあるキウイフルーツカントリーJAPANは5万平方メートルの広大な敷地でキウイのもぎとりやミカン狩り、柿狩り、山菜採り、自然探検等が楽しめる体験学習農園。キウイ農園としては日本一の規模を誇る。

 この地で従来、ミカンやお茶を栽培する農家に生まれた平野さんは、アメリカの研修で農業という職業を自ら選び、誇りと主体性を持って取り組む人々と出会い、農業観が一新したと言う。「日本では農家の長男に生まれた者が継いで守る。しかしアメリカは教職にあった人やジャーナリスト等の知識人、または大リーグで活躍した一流のプロ野球選手が、人生の選択として農業に入っていく。農業とは何かを改めてじっくり考えました」。

 この研修中にキウイフルーツと出会った平野さんは、日本ではまだ馴染みのないこの果実ならば、独自の考えで自由にやれると思い、在米中から準備を始めた。ところが帰国直前、植物免疫法でキウイの苗木を持ち帰ることができないと判り、気落ちする平野さんに、ホスト農家の人々が種を寄付してくれた。それがスプーン一杯のキウイの種だった。

 実家に戻った平野さんは、キウイ栽培に猛反対した父の留守中、ミカンの木40本を切ってしまうという強行に出た。父はしぶしぶその土地を有償で貸すことにした。平野さんは賃貸料をアルバイトで英会話教室の講師をやりながら稼いだ。このとき生徒だった常代さんと結婚することになる。

 福祉施設で働いていた常代さんは、「農家に未来はない」という兼業農家の生まれ。農業に意欲的で英会話のできる平野さんを不思議な人だと思ったそうだ。この人と一緒なら面白い人生を送れそうだとも。

 周囲の白い目をよそに、2人は「言いたいことを言い、やりたいことをやり」、種をまいてから通算8年がかりで成木、結実へとこぎつけた。

 

自分が雄花になった気持ちで。

 キウイは日当たりよく風当たりが少なく、水はけのよい土地でよく育つ。比較的寒さに強いので、ミカンや柿が育つ場所なら十分だ。

 5~6月、花が咲くこの時期、平野さんたちは最も気が抜けない。実は雌花に雄花の花粉が授粉され、結実するわけだが、ミツバチ等の虫媒で行い場合はその日のコンディションに左右される。とくに日本では入梅時期になるので気象条件に振り回されることが多く、確実に授粉を行うには人間がやるしかない。やるからには花粉を最良の条件とタイミングで交配させなければならない。

 「明日咲くだろうと思われる雄花を選んで夕方ごろ採集し、つぼみの中にある葯(ヤク・・・花粉が入っている袋)を取り出し、開葯する。このときの温度や湿度が大切で、摂氏1℃でも違ったら花粉の受精能力は落ちる。いい状態で開葯できれば、1年でも2年でも保ちます」。

 ちなみに1gの花粉を採るのに100の花が要る。平野さんの農園では毎年500gを使うので、5万もの雄花を「明日咲くだろう」というタイミングで見極めて採集しなければならない。失敗したらその1年は棒にふる羽目になる。

 「開葯の時期に大雨が降って湿気が増え、収穫量が3分の1になってしまったこともありました。失敗を糧に自分なりに基礎知識を応用し、最後は自分が雄花の木や雄花になったつもりでやっています」。

 

ニュージーランドからも視察が来る

 平野さんが育てるキウイフルーツの種類は、最もポピュラーなヘイワード(甘みと酸味のバランスが良い)以外に、アップルキウイ(りんごの形で香りもりんご風味。クリーム色の果肉でとろける甘さ)、ブルーノ(ソーセージのような形)、ゴールデンイエロー(鮮やかな黄色の果肉)、香緑(香りよく濃い緑色の果肉)など合計80系統にも及ぶ。

 キウイは樹の上では成熟しにくいので、一度に収穫して追熟のため貯蔵させるのが一般的だが、平野さんは樹上完熟の「ファーストエンペラー」という品種にも取り組んでいる。外皮に毛がなく、中がゼリー状で、スプーンですくって食べるタイプ。酸味が少なく、デザート感覚で味わえる。こういうキウイがある農園なら、もぎとってその場で食べる楽しみも満喫できるだろう。

 「品種が増えたことで収穫時期が延び、冷蔵保存で周年出荷ができるようになりました。ヘイワードだけではなく、いろいろな種類のキウイを食べる機会を増やして、キウイの美味しさのバリエーションを伝えたい」という平野さん。その背景には自身で確立した栽培技術への自信がある。

 キウイフルーツは樹の発育が旺盛で、負け枝性(親枝から分かれた枝のほうが勢力が強い)特性を持つので、夏でも剪定が欠かせない。枝葉が茂り過ぎると棚下が暗くなり、翌年の実なりが悪くなるのだ。

 開花は体力を消耗するので、摘蕾(てきらい)といって1本の枝につぼみ2個程度に減らす。多収穫は望めないが、結果的にひとつひとつが1年間貯蔵しても味が落ちない健康的な果実になる。このように多品種・高品質のキウイ栽培に取り組む平野さんのもとには、本場ニュージーランドからも視察団が来るそうだ。

 

■『伝えよう自然の雄大さ・農業の大切さ・本物の味。共に学ぼう人生の豊かさ』

 農業とは何か。平野さんがアメリカ研修で自ら課したテーマは、今、新たな展開を見せている。農業の本質と自然の持つ豊かさを正しく伝えるため、体験学習農園に切り替え、多くの人々に開放した。フルーツ狩りのほか、木登りやターザンごっこが楽しめる『冒険の森』、自然教室、農業教室、料理教室など400メニューにもおよぶ『体験学習』、キウイやミカンを栽培管理から収穫まで楽しめるオーナー制度等・・・。自身が主宰する「体験学習農園を育てる会」では6年前から“自然と農業の芸術祭”を開催し、自然と農業を題材にした写生・創作を国内外から募集し、入賞作品は全国各地で巡回展示している。

 農業を取り巻く環境は厳しい。しかし平野さんのように、農家にまれた事を宿命ではなく「与えられたチャンス」であり、「自ら選んだ道」と考えられる人材が増えれば、常代さんの直感のように「面白い」世の中になるかもしれない。

(文・イラスト 鈴木真弓)

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 なお、この記事は1998年当時の取材ですので、最新の情報はキウイフルーツカントリーJAPANのHPをご確認ください。