杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

田中久重の万年時計

2011-08-25 09:30:01 | 歴史

 8月20日(土)夜は、すんぷ時の会第2回勉強会の取材。1回目は徳川家康がスペイン国王から贈られた洋時計について久能山東照宮の落合宮司に解説していただきました(こちらを参照)。

 

 その家康の洋時計のからくりが、日本の職人たちに連綿と受け継がれ、幕末に生み出されたのが、からくり儀右衛門の『万年時計』です。作者は九州久留米出身の田中久重(1799~1881)。幕末のエジソンと称される天才発明家で、東芝の創業者としても知られています。最近ではドラマ『JIN』で、彼が発明した無尽灯が効果的に使われ、仁先生に別れ際にペンライトの電球をプレゼントされて仰天するシーンがありましたね。なかなか粋な演出でした。

 

 私は幕末の本で、佐賀藩で蒸気船を作った発明家として名前が出ていたのをチョロっと覚えていた程度だったので、『万年時計』のことは知りませんでしたが、今回、家康の洋時計の勉強会で取り上げられ、歴史の面白さを改めて実感しました。からくり儀右衛門というのはお茶を運んだり弓を射るユニークなからくり人形を発明したことから名づけられた愛称のようですが、彼はのちに、万年時計の発明家としてのプライドから、“萬年目鳴鐘師”と名乗っていたそうです。

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 講師は安心堂の時計職人だった金子厚生さん。現在は時計研究家として家康の洋時計の研究にもご協力をいただいています。勉強会では、平成17年に放送されたNHK-BSハイビジョン特集『万年時計~江戸時代の天才が生んだ驚異の機械時計』を鑑賞しました。

 

 

 

 

 番組は、田中久重が48歳から51歳まで3年がかりで自らの発明の集大成として創り上げ、現在は国立科学博物館に収蔵されている『万年時計』を、現在の時計職人やハイテク技術者100人が分解・解明し、復元品を造って『愛・地球博』に展示されるまでを追ったドキュメンタリーでした。

 この『万年時計』、冬至や夏至によって文字板の表示間隔が変わるImgp4746
和時計と洋時計を同時に、しかも1年間、自動で動かせるというオドロキの万能時計。天球儀までくっついていて、京都から見た太陽と月の動きを1年間正確に表示するのです。それも、現代の技術者がコンピュータではじき出した動きとほとんど同じ。

 こういう人を単に天才と言ってしまえばお終いですが、金子さんは久重のこの言葉を強調されていました。

 

 「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、そのあとに成就がある」。

 

 

 田中久重は76歳で東京に田中製作所という機械工作メーカーを作り、それが東芝の前身となり、彼自身は82歳で亡くなるまでモノづくりに志を燃やし続けました。詳しくは東芝科学館のHPに紹介されています。

 私自身ももう少し、彼のことを詳しく知りたいと思い、今、あれこれ本を物色しているところです。