杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「駿府から始まる江戸の町」その3~セイコーミュージアム

2012-04-26 09:41:36 | 歴史

 人形町の次は向島にあるセイコーミュージアムを訪ねました。開業間近の東京スカイツリーの近く。この4月にリニューアルオープンしたDsc00187
ばかりです。

 

 世界のセイコーですから、最新型の時計はもちろん、時計の歴史を学ぶには格好の教材がズラリ。要予約ですが入場無料で、スタッフがつきっきりで丁寧に解説してくれます。私たちグループは和時計コレクションコーナーから案内してもらいました。

 

 

 

 以下はいただいた資料を抜粋してみました。

 

■機械時計の伝来

○日本には室町時代の末期からキリスト教とともに、欧州の機械時計とその技術が伝来した。

 

○最も古い記録は天文20年(1551)、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の国(山口)の大名大内義隆にキリスト教布教の許可を願い出た時、贈った品々の中に自鳴鐘(機械時計)があったといわれる。

 

日本に現存する最古の時計は、静岡市の久能山東照宮に宝物として保存されているもので、慶長17年(1612)、当時スペイン領であったメキシコの総督から徳川家康に贈られたゼンマイ動力の置時計

 

 

■日本での機械時計の製作

○キリスト教宣教師たちは九州や京都に教会付属の職業学校を設け、印刷技術やオルガン、天文機器等とともに時計の製作技術を教えた。ここで日本の鍛冶たちが指導を受けながら時計を製作したのが日本の機械時計製作の始まり。

 

■江戸時代の時刻制度

○一日を昼と夜に分け、等分に分割する不定時法を採っていた。

 

○時の基準を夜明け(明け六ツ)と日暮れ(暮れ六ツ)とし、これを境に一日を昼と夜に分け、それぞれを6等分した。

 

○分割した単位時間(一刻)の長さは、昼と夜で、さらに季節によって変わるという複雑な時刻制度だった。

 

○時の呼び方は、12の刻に十二支をあて、子の刻、丑の刻等と呼んだ。

 

○これとは別に、子の刻(24時)と午の刻(0時)を九ツとし、八ツ→七ツ→六ツ・・・と数で呼ぶ方法もあった。これだと一日に同じ数が2回あるので、夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツというように昼夜&明暮の区別が必要だった。

 

Dsc00194
 こ~んな複雑な時刻を調整する機械時計を作った日本の職人って、改めてスゴイ!ですね。外来の学識技術に創意工夫を加えて日本流に仕立てて行く日本のモノづくりの伝統って、時計作りから来ているんじゃないかと実感します。事実、江戸時代の職人にとって、時計を作るということが最高難度の技への挑戦だったようで、田中久重が万年時計に挑んだことがその象徴だとされています。

 

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 こちらは1500年頃、ヨーロッパで作られた鉄枠塔時計。重錘式の冠型脱進機、棒テンプ、時打ちといった1300年代に発明された機械式塔時計の仕組みを備えていて、一日の誤差は30分程度だそうです。

 

 

 

 そしてこちらはセイコーが誇る競泳用のタッチ板時計。Dsc00199
ミュージアム出口で、陸上100メートルのボルトの世界記録(9.58秒)と同じタイムでパネルをタッチできるかアトラクション体験できるのです。黒澤先生がチャレンジし、おしくも9.50でした!

 

 

 時計を題材に、モノづくりの歴史と、人が時間というものにどのように向き合ってきたのか、文明史的な考察もできるセイコーミュージアム。大人も子どもも楽しめるおススメ産業観光スポットです!