杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき・道の駅よつくら港へ静岡の食を届けました(その1)

2011-06-12 14:49:02 | 東日本大震災

 

 6月11日は東日本大震災3カ月目の節目ということで、多くの被災地で追悼行事が開かれました。

 私は4月中旬に上川陽子さんに同行して視察(こちらを参照)した福島県いわき市の『道の駅よつくら港』を再訪し、多くの被災者のみなさんと直接ふれあう貴重な時間を過ごしました。

 

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 今回の訪問は、上川陽子後援会事務所と静岡市内の農業や食品加工業の方々が協働で行う炊き出し支援です。ふだん事務所で『食育カフェ』を運営する女性スタッフを中心に19人の仲間が、小型バスをチャーターして前日22時に静岡を出発。11日朝7時に現地入りして、共同募金会と日本赤十字社福島県支部からお借りしたテントを設営し、静岡から持参したお茶、つきたて餅、黒はんぺん、葉しょうが、バラの花等を振る舞いました。

 

 私は取材同行者としてただ見ているだけだったんですが、300~400人分の食材を手配して25人乗りの小型バスにぎゅう詰めし、現地では2時間足らずで無料配布できるようにした女性たちの手際の良さには、ほとほと感心。

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しかも既製品は黒はんぺんぐらいで、無料配布した飴、マーマレード、わさびの茎酢漬けは手作り。各々家庭から持ち寄った鍋やフライパンなどを駆使して、わさび漬けは現地でお客さんにもわさび漬け作り体験してもらうなど、“組織化された支援隊”というよりも、静岡の家庭のおばちゃんたちがそのまんま台所を移動させてきたという感じ。準備には1週間かかったと聞いて、みなさんのやる気の程がひしひしと伝わってImgp4543
きました。

 

 

 

 

 

 『道の駅よつくら港』では、11日昼から、いわき青年会議所と福島中央テレビさんが『灯そうふくしまに光を IN 道の駅よつくら港』という3カ月追悼イベントが開かれました。クラシック音楽イベント、大道芸パフImgp4562
ォーマンス、炊き出し支援、衣類の配布、キャンドル点灯等、さまざまなイベントが行われ、スペシャルコーディネーターとしてCandle JUNEさんも来場されました

 そんなイベントがあることを現地に来るまで知らなかったので、ちょっとビックリしましたが、当初は天気予報が悪く、お客さんの出足を心配していたので、これである程度見込める・・・とホッとしました。

 

 

 

 600本持参した静岡のバラの花は、Candle JUNEさんから「2時46分の献花式で使わせてほしい」という申し出をいただきました。また追悼イベントの冒頭では、Candle JUNEさんからこちらのブースImgp4534
のことを紹介していただき、上川陽子さんも挨拶の時間を頂くなど、望外の待遇をしていただきました。ご配慮くださった関係者のみなさまに感謝いたします! なおイベントの詳細は道の駅よつくら港のブログをご参照ください。

 

 

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 朝、準備をしていた頃は小雨まじりで港一面に霧が立ち、その中でクレーン車がガレキの撤去作業をしている物寂しげな雰囲気だったのですが、地元の人が「朝、霧が立つと晴天になる。9時になれば陽が出てくるよ、安心しな」と声をかけてくれました。

 

 

 でもその人が、「いつもとは違う北側(福島原発方面)から風が来てるから、親御さんは子どもを外に出したがらないかもしれないなぁ」とImgp4512
ポツンとつぶやいた一言が胸を突きました。

 言葉通り、本当に9時過ぎから天気が回復したのですが、お天気が良くても子どもたちが外で遊べないなんて…。今更ながらこの地が置かれた状況(いわき市四倉は原発から南に35キロ地点)の不条理さを実感しました。

 

 

 そんな状況にもかからわず、お客さん第一号は、自転車に乗ってやってきた小学4~5年生ぐらいの男の子2人でした。女性スタッフたちは大喜びで、つきたて餅を焼いてきなこをまぶした安倍川もち、大根おろしのからみもち、海苔を巻いた磯辺焼きの3色仕立てにし、焼き黒はんぺん2枚を添えてふるまいました。そして手土産に手作り飴を渡し、「お父さんお母さんやお友達も連れておいで~」と見送りました。

 

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 お茶ブースでは、茶娘にふんした3人が大勢のお客様にとびきり美味い静岡茶を、何杯でも同じように美味しく淹れる裏技を発揮してくれました。煎茶をすり鉢に入れて細かくくだき、お湯で溶かしてから急須に移して淹れるのです。ひと手間加えるだけで、深蒸しじゃない煎茶でも、深蒸しのように色鮮やかで味もImgp4514
濃く、栄養価もたっぷりの飲み応えあるお茶になります。

 茶娘スタッフに後で「リピーターが多かった」「お連れ様に勧める人も多かった」「湯呑の準備が間に合わなくなって途中から紙コップを使わざるをえなかった」等など大評判だったと聞いて嬉しくなりました。

 

 

 「ふだんから静岡茶を送ってもらっている」「いわきで静岡茶を売っていたお茶屋さんが被災して店を閉じてしまい、美味しいお茶が飲めなくて淋しかった」等という声も聞き、もともとお茶好きな方が多いのかな~と思っていましたが、やっぱり気になるのは静岡茶も放射線セシウムが基準値以上出たというニュース。道の駅の構内で豆腐を売っていた店主からは「今日はお茶売らないの?静岡茶支援のために買わせてもらいますよ」と激励されてしまいました。

 

 道の駅よつくら港は4月に訪問したときからあまり変わらず建物が半Imgp4477
壊状態で、構内では豆腐やさん、漬物やさん、弁当やさん、お菓子屋さん、パン屋さん、野菜農家の方々等が、自分の店や工場が被災して商売が出来ず、かろうじて作れる分だけ持ち寄って細々売っているという状況でした。

 

 そんな方々から励まされるなんて、申し訳ないという気持ちと同時に、「静岡市から来たの?葵区は大丈夫?」なんて声をかけていただき、原発放射能のニュースにどれだけみなさんが敏感でよくご存じかが判って、何か“つながる”ようなものを感じました。

 

 静岡茶を飲みに来られたあるお店の女将さんは、「工場が流され、再建のめどは立っていない。子どもは親戚の家に“疎開”させ、今は主人と2人でなんとか踏ん張っているんです」と涙ぐんでおられました。道の駅内の女将さんのブースを訪ねて少しばかり購入させてもらい、「通販か何かで買う手段は?」と訊いたのですが、そういうところまで気が回る段階ではないようで、言葉に詰まる彼女の表情を通し、復興の遅れのしわ寄せが地域の個人事業者を追い詰めている現実をまざまざと見るようでした。(つづく)

 


「100,000年後の安全」を観て

2011-06-08 23:16:36 | 映画

 

 7日(火)は午前中、県東京事務所で県広報誌の取材、午後はANAインターコンチネンタルホテルで日本ニュービジネス協議会連合会総会の取材と、丸一日東京でお仕事でした。元外交官、元経産省事務次官という一線級の知識人による、いずれも、震災後の日本のたち位置や、地域再生の在り方について地球レベルの文明論的な高説に、私の軽い脳では処理能力が追いつかず、ドッと疲れてしまいましたが、大いに聞き応えがありました。

 

 

 日本ニュービジネス協議会連合会では東北地方の会員企業が被災状況や復興活動について報告をしてくれたんですが、その中に、思いがけず釜石の地酒『浜千鳥』 の新里進さんがおられて、懇親会でも『浜千鳥』が試飲出来ました。

 蔵は津波の直撃を免れたものの、義姉を亡くされ、3月中はお先真っ暗状態だったそうですが、4月になって急に注文が入り始め、なんでも4~5月は前年比180%という売り上げでびっくり仰天、注文ストップ状態なんだそうです。

 

 新里さんご自身は「阪神淡路大震災の後、被災地支援ということで神戸の酒の注文が一時増えたが、2ヶ月後の地下鉄サリン事件でその流れがストップし、結局灘の酒蔵の4割が廃業した。ただでさえ右肩下がりの日本酒業界、体力が弱っているのは変わらない」と冷静に分析しておられました。

 

 

 東北の地酒を支援しようという活動は、一種のトレンドなのかもしれませんね。トレンドだろうと何だろうと、日本酒を飲む人が増えるのなら喜ばしいことだと思いますが、実際のところ、「東北」なら売れるけど、同じように被災した北関東の酒は見向きされない“支援格差”が生じているとも聞きます。日本酒を消費して復興支援しようと考えている愛飲家は少し冷静になって、ふだんの飲酒習慣を続けてみても・・・と思います。私自身はふだんは変わらず静岡酒主義です。

 

 

 さて、『浜千鳥』でエネルギーを補填した後、渋谷の映画館アップリンクで『100,000年後の安全』を観ました。この映画のことは震災が起きる前から、社会派ドキュメンタリーのひとつとして注目していて、やっと観る機会が出来ました。疲れていたけど、週末にいわき市を再訪問するにあたって、その前にぜひとも観ておきこうと思ったのです。

 

 話題の作品なのでご存知の方も多いと思いますが、かいつまんで紹介すると、フィンランドの孤島で建設中の、原発や核関連施設で排出される使用済核燃料を埋めて永久貯蔵する「オンカロ(フィンランド語で“隠れた場所”)」という施設を取材したもの。10万年というのは、放射性物質が生物にとって無害になる(=半減期になる)までかかる時間のことです。

 高レベルの放射能から人間を遮蔽するため、最も安全な方法を求めて、太陽に向けて飛ばす、海底に埋める等の方法も検討されたそうですが、いずれも何かトラブルが起きて漏れたら一大事。結局、地中に埋めるしかないと判断し、100年かけて造ることになったのです。・・・100年がかりの工事というのもスゴイけど、耐久年数10万年なんて施設、人間は造ったことがありませんよね。

 

 

 観る前は、原発反対のプロパガンダ作品かなと思ったのですが、少し印象が違いました。ドキュメンタリーといっても、手持ちカメラで生々しく現場を追いかけるようなざらついたテイストではなく、マイケル・ムーア以降、よく見かける“わかりやすい演出を加えた構成映像”仕立てで、これが世界のドキュメンタリーのトレンドかと別の意味で感心した次第…。

 

 意外だったのは、フィンランドというのは原発反対どころかエネルギーの3分の1が原子力で、今も新しい原発が建設中なんですね。受付でもらったチラシにスウェーデン社会研究所の須永昌博所長がこう紹介しています。

 

『フィンランドは地政上、ロシアの恐怖がトラウマとして潜在的にあり、今もエネルギー資源をロシアに依存している。ロシアがパイプラインを閉めたらフィンランド人は凍死してしまうのだ。ロシアのくびきから開放され、エネルギー源を確保することはフィンランドにとって最大の安全保障。チェルノブイリ原発事故で一時、原子力に反対する機運が盛り上がったが、国の安全保障という観点から原発を推進している』

 

 

『放射性廃棄物を原発の問題とリンクすれば、すでに発生している廃棄物の問題から目をそらすことになる。賛成反対を問わず、今の問題を処理しない限り、将来の世代に害を与えることになると警告している。さらに大切なのは情報公開。フィンランド国民が原発を容認している大きな要因は、徹底した情報公開にある。情報公開が人々の不安を除く不可欠のシステムで、パブリックアクセプタンスのもとになる』

 

『放射性物質、使用済核燃料の処理には再利用する方法があり、日本原燃が青森県六ケ所村に核燃料サイクル工場を試験運転中で、最終的にウランとプルトニウムを取り出して再利用する計画。フィンランドが地下貯蔵のみで再利用しないのは、プルトニウムが核爆弾の原料になるから。国際的なテロ組織が核爆弾を手にする脅威を避けるためである。同じ理由から原子力発電施設の輸出もしない』

 

 

・・・そんなことを予習した上で観ると、「核物質」を扱う者には、本当に人類に対する責任というのか、大きく気高い哲学が必要だということが切に伝わってきます。

 

 北欧の人はもともと病気になる前に「予防する」「未病を治す」ほうが病気になった後で治療するよりもコストが安いという価値観で社会保障を整備し、他の問題についてもリスクを先読みして万全の対策をとるという生き方。税金が高いのもそんな理由からのようです。

 

 それがいいか悪いかは別にして、映画の中で印象的だったのは、100年後、1000年後、1万年後の人類に、ここがどういう場所かどう説明すべきかを一生懸命悩んている姿でした。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、危険な物質を扱う者の責務として情報公開に努めるといっても、そんな遠い未来のことまで心配するのかと驚き、またそれほどまでの覚悟で造っているのだと深く感銘しました。

 

 目を転じると、わが日本の原子力関係者の「覚悟」とはいかほどか。地震や津波やテロといった外部リスクをどれだけ「先読み」していたのか。・・・いずれにしても東京電力福島第一原発事故の後の日本で、この作品がこのタイミングで公開されるなんて、意味がありすぎますよね・・・。原発事故がなければ、また私自身、いわき市へ行く機会がなければ、これほど真剣に考えなかったかもしれません。

 

 なお静岡では7月9日からシネギャラリーで上映が始まります。原発事故に関心のある方は必見です


風評被害に負けない静岡茶

2011-06-04 11:17:06 | 農業

 

 お茶の放射性物質の検査基準の問題が取り沙汰され、ちょうど大震災発生の3月11日にお茶の取材をしていた私にとっても心配なニュースでした。急須で淹れて飲む日本茶の需要が落ち込む中、作り手も売り手も今までの価値観や手法を見直し、懸命に消費拡大の努力をしている姿を間近に見ただけに、まさか原発問題に静岡茶が巻き込まれるなんて寝耳に水でした。

 5月の連休中に牧之原茶園をドライブしたときも、漠然と、「浜岡で事故があったらこの茶畑はどうなるんだろう・・・」と不安に感じたものの、まさかこんな形で危機に見舞われるとは・・・。

 

 さらに、当初、川勝知事が荒茶の検査を拒否すると断言したときは、ちょうど静岡県の新総合計画づくりの取材をしていて、「県民の生命と財産を守る」ことを第一に掲げ、危機管理対策に全力を挙げるという力強い文言を目にしていたので、どことなく違和感を感じました。検査拒否が危機管理と整合するのか、「静岡茶は検査を拒否した」という言葉だけが独り歩きし、かえって風評被害を増大させるのではないかと・・・。

 

 静岡の茶業界では、消費拡大に向け、「T-GAP」という業界独自の厳しい生産管理基準を設けて、品質に国際基準レベルの高い“お墨付き”を与える自助努力をしています。そのこととも整合性が取れないのではないかと。

 その後、業界から荒茶段階での検査に理解が示され、知事もゴーサインを出されたようで、少し安堵しました。

 

 

 

 私は夏でも、急須で淹れた温かい緑茶を、600cc入るビアマグに一日2~3杯は飲む日本茶党で、この習慣は変えられません。放射性物質が検出されたとしても、急須で淹れる段階で何十分の1にも薄まり、身体への影響はないということですから、こんなことでビビるようじゃ茶どころ静岡県民の名がすたる!・・・といっても、私は茶の作り手や売り手の声を間近に聞く機会があり、彼らに対する絶対の信頼があるから言えることかもしれません。

 お茶をあまり飲まない人や、県外・海外の人には、やっぱり解りやすい“お墨付き”が必要なんだろうと思います。

 

 

 

 先月末、シズオカ文化クラブさんの定例会で、静岡市の茶町通り界隈を散策し、茶商の前田冨佐男さんにお茶のブレンドについて興味深いお話をうかがいました。静岡茶がここまで発達したのは、地形に特徴があり、「山のお茶」と「里のお茶」に違いがあるから、なんだそうです。

 

 

 「山のお茶」は山間の斜面の岩盤土壌に育つ。うまみになる肥料は撒きにくいけど、日中と朝晩の温度差があり、水も豊富だから、お茶本来の香りが引き立つ。浅蒸しで香りを保つように仕上げます。

 私はImgp0730もともと本山、川根本町、天竜など山奥の香りも渋みもある(まるで静岡吟醸のような)山茶が好きなんですが、「山茶は浅蒸しの香り茶」という前田さんの解説にナットクしました。

 

 

 

 一方「里のお茶」は、栄養豊かな平地の土で陽光をたっぷり浴びて作るから、葉が肥える。肥料も撒きやすく旨み成分がたっぷり。香りの山茶とは対照的な「旨みの里茶」になるわけです。

 ただ、茶葉が元気活発で厚くなるので、蒸した後、細くきれいによれない。高級茶に見えないんですね。味はいいが見た目がイマイチ、という難点をカバーする手法として生まれたのが、細かくして深蒸しにするということ。深く蒸すことで、香りは薄まりますが、味はさらに深みを増す。テレビ番Photo組で話題になったように栄養価もさらに増すわけです。

 

 

 

 

 

 他県のお茶というのは、たいていどちらかのタイプに偏っていて、京都・奈良・滋賀・宮崎は朝蒸し(山茶)タイプ、鹿児島・福岡・埼玉は深蒸し(里茶)タイプです。しかし静岡県は両タイプそろっている。つまり、どちらかでもいいし、両方をブレンドして楽しむこともできる。だからこそ茶商さんの腕がモノを言うわけですね。

 

 

 単純に品種の違いではなく、「蒸し」や「乾燥」や「ブレンド」という人の手が加わる工程で変化がつけられるというのは、日本酒でいう「麹造り」「酛造り」での変化に通じるようで、非常に価値のあるものだと思います。

 

 

 前田さんの解説を聞きながら、私は静岡県という地形が生み出したお茶の香味の妙に改めて感動を覚えました。それに呼応して発展した静岡の茶産業の“厚み”には、風評被害の心配なし!と確信しています。


「一千年の富士山信仰~仰ぐ山から登る山へ」

2011-06-03 08:39:53 | アート・文化

 先のブログでご紹介したとおり、5月28日(土)付け中日新聞朝刊30面に掲載された『一千年の富士山信仰~仰ぐ山から登る山へ』を再掲します。委託ライターの身では、直接、読者の感想や反応が解らないので何ともいえないんですが、私自身、この記事の執筆を通して信仰は自然災害と深い結び付きがあることを再認識し、現代の日本人は大震災を受けて何を「信じ」、どう「行動」すべきか、考えさせられました。

 この夏、富士山登山を予定されている方に、ぜひ一読していただきたいと思います。

 なお、執筆と掲載にあたり、静岡県世界遺産推進課、富士山本宮浅間大社、小山町観光協会、ホテル米山館(小山町須走)にお世話になりました。この場をお借りし、お礼申し上げます。

 

『一千年の富士山信仰~仰ぐ山から登る山へ』  文・鈴木真弓

 

 現在、ユネスコ(国連教育科学機関)の世界文化遺産登録に向けた取り組みが進む富士山。平地から仰ぎ見ることのできる円錐形の美しい姿は、古来、山岳信仰の対象として日本人に崇拝され、「登拝」という独特の文化を育ててきた。

 富士宮市の富士山本宮浅間大社が所蔵する重要文化財「絹本著色富士曼荼羅図」は室町期の富士登山の様子を描いている。登山者は麓の「草山(くさやま)=俗界」、森林地帯の「木山(きやま)=俗界と神の世界の間」、火山礫で覆われた山頂までの「焼山(やけやま)=浄土世界」に区分けされた霊山を往来することで、この世の罪と穢れが消されると信じられてきた。人々は富士山をどのように崇め、いつから登るようになったのだろうか。<o:p></o:p>

 

<o:p> </o:p>フジの名の由来

 富士山本宮浅間大社は、富士山を浅間大神として祀る浅間神社の総本宮。「浅間」とは火山を意味する南方系言語「アサマ」に由来する。富士山史を研究する遠藤秀男氏によると、古い時代はアサマの神が宿る山―すなわち火の山、火を噴く恐ろしい山と呼ばれていた。やがて他の火山と比べてひときわ天に近く壮麗なこの山を、奈良時代に国郡制を整理するにあたって「福慈・不尽・不二・不死」と際立った表現をするようになった。<o:p></o:p>

 

火の神「アサマ」を鎮める

 奈良時代末期の天応元年(781)、延歴19年(800)、貞観6年(864)と大噴火が頻発し、ふたたび「アサマ」的な荒々しさを見せた富士山。浅間大社の名は貞観6年の『三代実録』に初めて「駿河国富Photo
士郡正三位浅間大神」と登場し、他の文献では「貞観6年の大噴火は浅間名神の禰宜や神官が崇敬を怠ったため」とある。<o:p></o:p>

 百年余りの間に再三、激甚災害に見舞われた日本人は、浅間大神への畏怖を深め、火山活動が繰り返されるたびに浅間大社の神階は上がり、延喜7年(907)には「従二位」、延長年間(923~931)には「名神大」、永治元年(1141)には「正一位」の格式を与えられた。現代に置き換えれば、大震災の発生リスクが高い静岡県に防災予算が厚く手当されたというところか。<o:p></o:p>

 やがて火の神の怒りを鎮める象徴として水徳の神=木花開耶姫命が祭神となった。その後、各地で浅間神社が建立され、社名が変更になったものも含めると、全国に1800社以上。東海~関東圏の火山帯の近くや湧泉のほとり、富士山が眺望できる場所等に多く点在する。<o:p></o:p>

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富士登山道の入口にあたる富士宮、村山、須山、御殿場、須走、上吉田、下吉田、河口、勝山には、まるで神霊の山をぐるり取り囲むように浅間神社が祀られている。<o:p></o:p>

 

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富士登山の開拓者

 富士山には、聖徳太子が空飛ぶ馬に乗って登頂したという伝説や役行者が開山したという説もあるが、平安末期から山岳仏教の影響を受けた修行者が富士山を修行の場に選ぶようになる。『本朝世紀』によると、末代上人という僧が富士山頂付近に大日寺を建てたことから修験登山者が増え、浅間大神は仏教と習合して浅間大菩薩と呼ばれるようになり、信仰を集めた。<o:p></o:p>

 「登拝」という日本独特の参詣登山が広まるのは室町以降。戦国末期の行者・長谷川角行が「富士浅間大菩薩を信仰し正しく生きることこそ平和の道」と教え、その後、民衆の現世利益と結びついて江戸期に一大ブームとなったのが「富士講」である。<o:p></o:p>

 

富士講と御師

 富士講の信者は心身を清めて白衣に身を包み、金剛杖、数珠、鈴などを携えて登拝した。登山道周辺には農民ながら浅間神社神官の代役を担う御師(おし)がいて、宿泊の世話や登拝のノウハウを教えた。

 江戸中期には八百八講といわれるほど多くの分派が生まれ、江戸からの玄関口となった富士吉田には多い年で年間約8千人の信者が登拝した。

 やがて幕府から弾圧を受け、明治以降は廃仏毀釈の影響で衰退する。現在、須走で観光旅館を営む米山家は終戦直後まで御師として富士講の人々を世話した(こちらを参照)。七代目米山彰さん(79)は「講を束ねる長も歳を取り、後継者もいなくなった。今、当館でお世話するのは夏季合宿の学生や富士スピードウェイの観客です」と隔世の感を語る。<o:p></o:p>

 

形態を変えながら息づく

 毎年夏季を中心に多くの登山者が訪れる富士山。環境省自然環境局が登山者数を統計し始めた平成17年は20万3Photo_2百人。平成22年には32万1千人にふくらんだ。世界文化遺産登録に向けた取り組みが注目され、海外からの登山客も年々増えている。

 須走旅館組合では、7月1日に冨士浅間神社で行う開山式で希望者に富士講の装束を貸出すなど、登拝の伝承に努めている(写真)。<o:p></o:p>

 実現が期待される世界文化遺産登録は、自然災害と向き合い、共生する知恵を培ってきた日本人の精神文化に光をあてるものとなろう。長い歴史を持つ富士山信仰は、形態を変えながら脈々と息づいている。<o:p></o:p>

 


「OMOIYARI for フクシマ」ご案内

2011-06-01 08:35:50 | 東日本大震災

 東日本大震災から3カ月目を迎えます。いまだに水・食料が滞っている避難所や集落があり、給食はパンと牛乳だけとか校庭や公園で遊べない子どもたちがいて、大雨の影響で復興どころか復旧作業も一からやり直し、という被災地がたくさんある現実に愕然とさせられます。日本人は優秀な民族だと自負していたのに、政治のゴタゴタを見ていると、なんだか自信喪失してしまいますね。

 

 

 先日、児玉清さんの追悼特集で久しぶりに大河ドラマ『龍馬伝』を観て、先の見えない世の中で名もなき若者たちが大志を持って時代に斬り込もうとする清々しい姿と、深い懐で若者を大海原に送りだそうとする父親の姿に、ドラマとはいえ、ほんの少し癒されました。

 

 幕末とは違う意味で先の見えない今のご時世、政治やメディアなど人前に出てアピールするステージでは、“きれいごと”だと揶揄されても、日本人としての矜持というのか、あるべき理想の姿を愚直に示してほしいと思います。

 

 「だったらオマエは何をやれるんだ」と言われそうですが、私自身は、来週末にふたたび福島県いわき市へ取材と炊き出し支援に行く予定です。大したことはできないけれど、前回の訪問で「来てくれるだけで有難い」と言われたことが胸熱だった・・・。

 その前に、フクシマを応援しようというイベントが今週末、藤枝市で予定されています。私自身が関わったイベントではありませんが、藤枝の“酒縁者”たちが企画し、頑張ったので、ぜひ応援したいと思っています。

 

 


OMOIYARI for フクシマ
~心と体に元気の出る音楽とパフォーマンス、福島の野菜、東北地方の地酒販売、福島の食材を使った料理

 

■主催 居酒屋から藤枝を元気にする会、せとやコロッケの会、スイーツのまち藤枝推進会議、藤枝朝ラー文化軒究会

 

■日時 2011年6月5日(日) 10時~16時(荒天のみ中止)

 

■場所 藤枝蓮華寺池公園・野外音楽堂および滝の広場 こちらを参照してください。

 

■内容 ①野外音楽堂スペースにて音楽イベント(出演予定者/10:15~長谷川玲子&藤枝大好きFレンジャー、10:30~セレノコンパーニョ、11:00~クレイジーM、11:15~稲葉悦子、11:30~Yosu、12:05~SHIGEKI、12:40~ノーザンスター、13:15~木野正人、13:50~湊夏花、14:25~鈴木健太郎、15:00~浅羽由記、15:30~藤枝MYFC、15:45グランドフィナーレ)

 

②滝の広場にて飲食販売ブース(福島の地酒蔵元・・・夢心酒造・曙酒造、福島の農産物、喜多方ラーメン、藤枝朝ラーメン、瀬戸谷のお茶、せとやコロッケ、藤枝スイーツ、おかべ焼そば、あおいそら。のカレー、SAKURA DININNの漬物スティック、やま小屋の焼き鳥、岡むらのせとやプリン、藤枝市場のおにぎり、八っすんばの会津地鶏から揚げ、橙橙の串焼き、沖友の生モズク、亀や浜中商店のドリンクほか)

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