今回は赤羽から東京に一つ戻って王子に来ました。
王子は路面電車が通っていて(東京でただ一つだけ)、早稲田から王子あたりがちょうど中間となります。
本当に路面電車は楽しいですよね。
路面電車の駅から飛鳥山の方に歩くと、春には桜が奇麗に咲いています。
ここには歩いてもすぐ来れますが、飛鳥パークレール(エスカルゴ)というモノレールが2~3分の距離ですがあります。
それに乗ってみるのもいいでしょう。
今日は、その話ではなく、王子稲荷の話です。
ここは東京都北区岸町に鎮座する神社です。
この神社が建立されたのは不明です。
源義家が奥州征伐(前九年の役)の際に、当社を深く信仰して「関東稲荷総司」と崇めたと伝わっています。
源頼家が「石清水八幡宮」(京都府八幡市)で元服したことから「八幡太郎」と称しました。
関東圏の八幡信仰の神社の伝承にその名を見る事も多く、新興武士勢力の象徴とみなされていました。
義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていきました。
前九年の役とは、奥州の陸奥守に任命された源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(陸奥国)で半独立的な勢力を形成していた有力豪族・安倍氏を滅亡させた戦いのことです。
その後天正十八年(1590)に、豊臣秀吉の小田原攻めによって後北条氏が滅亡。
同年、関東移封によって徳川家康が江戸入り。
天正十九年(1591)、家康は「王子神社」と当社に朱印地200石を寄進。
将軍家祈願所に指定され、大いに崇敬を集めました。
今から約千年の昔、この附近一帯は野原や田畑ばかりでした。
その中に榎の大木がありそこに社を建てて王子稲荷の摂社として祭られたのがこの装束稲荷であります。
この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年十二月の晦日の夜関東八ヶ国の稲荷のお使いがこの社に集まります。
ここで装束を整えて関東総司の王子稲荷にお参りするのが例になっていたそうです。
当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。
これが「王子稲荷の狐火」と呼ばれています。
また、ここで有名なのが歌川広重による『名所江戸百景』より「王子装束ゑの木大晦日の狐火」。
装束榎に集まる狐たちの様子を描いたもの。
大晦日の夜に関八州の狐が装束を改めるために集ったという伝承を描いています。
装束榎の下にいる狐たちに視線を向けがちだがその奥にも注目です。
かなり細かいが小さく数多くの狐と狐火が描かれています。
狐火は実に壮観だったのでしょう。
装束稲荷神社は、王子稲荷神社から300mぐらい離れた場所にあります。
装束稲荷神社を出発して町を歩きながら王子稲荷神社に向かいます。
手狭な境内ではあるが、町の小さなお稲荷様としては綺麗に整備された一画です。
装束稲荷大明神と言われています。
御朱印は向かいにある「くらしの器王子ヤマワ」にて購入が可能です。
器の他、狐のお面も常時展示販売も行っています。
12月31日の夕方から神社を出発して、練り歩きながら王子稲荷に行きます。
王子稲荷では子供たちが踊りを踊って、その後獅子舞があり、1月1日の早朝に
「新年あけましておめでとうございます」となります。
来年もいい年になるといいですね。
12月31日の夕方からとなるのでもうすぐ行われます。
ぜひ皆様も行ってみてください。
王子から5分ほど歩いたところにある「名主の滝公園」です。
昔は東京都が管理していたころはよかったのですが、北区の管理になってからは寂しくなってしまいました。
それでもちょっとした観光ついでに寄ってみてください。
それではまた次回。