村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

406.変革(change)するために

2016-11-08 09:45:38 | 人生
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
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メイル

テーマ 変革(change)するために

概要
1.世間の状況     changeと言っても上辺だけだから何も本質的に変わらない
オバマさんがかつてchangeと声高々に唱えたものだが、その後さしたるchangeはなかった
変革・変化とは案外難しい、特に長年染み付いた行動パターンや意識や習性は変えられない
便利で豊な暮らし慣れていると、知らぬ間に精神肉体ともにひ弱で自堕落な人間になっている

2.問題点     あくまで表面的なマイナーチェンジなのだ、人間の深みや重厚さが伴ってない
・変化しようとしない、大きな変化(変革)はやりたくない、変化する価値を認識できない
・変化するのに障害が多い環境に暮し生活している
・変化しようとトライするものの、挑戦が続かないで挫折しやすい(三日坊主型)
・厳しい、困難な問題については、特に改善や変化をトライしない

3.私はどうしたのか、何をしたのか    本質を変えるのに必要な変化を決断実行すべきなのだ   
東京から関西へ、親元から遠い地方へ、大企業から中小企業へ、都会から山奥に、・・・・
私は、人一倍色々変化してきたが、必しも満足する結果は出ず、中途半端さを感じていた
いろいろな変化は有意義であったが、本質的・根本的な変革が起きないと劇的な結果は出ない
55歳でなぜか偶然に安曇川の長尾の山の暮しを始め、約18年ひっそりと暮らしてきた
当初その暮らしが大変革とは気づかず何となく18年経ったが、大きな結果をもたらしてくれた
これは、中途半端な田舎でも、年数が短くても、暮らし方が都会的でも駄目だったような気がする
都会暮らしを離れ、18年間の平凡な山暮らしで本質が見えてきて、最も大きく自分も変わった

4.私はどうなったのか       本質的・根源的に自分を発見するような変革を求める
沢山変ったと言っても表面的であって、それが自分の人生を大きく変えなければ意味がない
小さい人並な変化はいろいろやるが、小ぽけな変化は大した結果をもたらさない、月並みだ
人間が現代社会で失ってきた、本質的なことや根源的なことに関係する変化に挑戦すべきだ
すなわち変化したと言っても、結果的に簡単にリバウンドしてしまう程度のものは無意味なのだ
すなわち、つらい、苦しい、難しい変化で、普通の人はやろうとしない類の変化であろう
都会の人を見ていると確かにいろいろなことをやっているように見えるが、本質的根源的ではない

5.一体なにが原因で出来ないのか     枠や壁を取っ払え
当然のことで人間特に現代人は必要もないのに苦しい思いまでして変革にチャレンジしない
ましてや私の山暮らしのようにあまり意味もなくニーズもないと考えてしまうものには挑戦しない
現実に昨年山をおりて、山の家は売出したが、ネットに大きく出ても買おうとする人は目下なし
私には極上物件だが、並の人は、周辺が賑やかで人も沢山いる中途半端な場所でないと駄目らしい
現代人は老いも若きも、男も女も、一様に金儲けや便利さ楽しさ、豊さを追究しているからだ
私は全くの偶然で大きな、素晴らしい機会を得たが、私だけ例外で、友人や知人は嫌だと言う
現代人は便利で豊な暮らしに慣れたので、あえてつらい変化への挑戦はしたがらない

6.提言       多く変化するうちに、枠や壁を打ち破り人生にとって大事な変化に出会ってほしい
簡単で自分がしたい変化しか、やらないのでは、大事なもの、価値あるものは得られない
私も人一倍いろいろ変化してきたが、安曇川の山や田舎での暮らしでやっと自分を発見した
18年の山暮らしは究極の変革であり、在り来たりの変化ではなかった、
自分を本質的に高める変化を求めるべきなのだ
変化慣れしておくことも大事だ、長年変化しない生き方をし続けていると本質と出会わない人生で終る

在り来たりの変化を大そうな変化と勘違い思い違いしているうちは、本物の変化人にはなれない
”上辺変化人”なのだ、そうではなくて”本質変化人”を目指さないと変革は出来ない
枠を作ってその範囲内でしか変化しようとしない人が多い、枠を取り払って変革して欲しい
・例えば東京や関東の人は関西や京都に暮してみようなんてあまり考えない
・例えば大企業中心の人は零細企業やベンチャー企業に転職しようなんて考えない
・例えば都会暮らしをしてきた人人は田舎や山暮らしをしようなんて考えない

まず枠を外すことが先決、これが出来ない人は変化を語る資格がない
私は東京から関西、大企業から中小企業に都会から田舎への変化はあくまで入門編だった
変化人であることが、やがて大きな変革へと導くきっかけとなるのかもしれない
さして変化人でない人がいきなり大きな変革に出会いそこから大事なものを得るのは困難だ
田舎暮らしを始めたが中途半端な人や田舎に来なくなって、何となく浮かない人を見かける

老後も都会の病院のそばではなく、私のように田舎に70歳で落ち着く場所を見つけることだ
変化変革によって人間として本来あるべき姿を発見する、本質にたどり着くのが理想
そうでないと一体、我が人生とは何だか意味のない味気ないものでしかなくなってしまう
変化の目的は、金儲け、物質的豊かさや便利さなど表面的な利益を得ようとすることではない
変化するのが目的ではなく、本質をつかみ、自由自在に生き生き楽しく暮らせることが大事
私の経験では、そういうことも変化や変革と厭わす続けて行かないと得られないように思う
いろいろ変化し都会だけでなく山奥の暮らしもしてみると本質に近づけるような気がする

追伸
私は年取るということが、老いぼれ(老病死)ることではなく、人間完成への道だと考えている
しかしそのためには歳をとっても変化変革を追究し続けることが不可欠だと思う
老いても肉体精神を劣化させることなく日々動かし続け健全に維持する努力も忘れてはならない
歳だ、現状維持が精いっぱいだなどと考えたら人間完成への道も断たれてしまう(寝たきり老人)
「俺は何もかも分かっている、俺は正しい」と自慢し始めたら周囲から嫌われ糞爺になってしまう

山で引越しした家から古い時計が出てきた、そのまま使える代物ではないが捨てるのも忍びない
そこでアイデア出した
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