指導や講演を依頼出来ます 村上原基
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
テーマ:思い込みは怖い、思い込みを直さないのはもっと怖い
都会人は、知ってか知らずか、貧相な家や街に気楽に過ごしている
自分の家が狭いだけでなく、隣家と高密度で接しており、息が詰まる
家が狭く密集している道路も空地が極めて少ない:超過密だ
都会は土地価格が高く、大工の手間賃も高いが、大工のレベルは低い
都会人は、そうは感じていない「良い家に住んでいる」と信じ切っている
「だって3000万円もしたんだから良い家に決まっている」・・・
2千万円の都会の家が、今の私には貧相で、3百万円程度にしか思えない
逆に、田舎の3~6百万円の家が2~4千万円に思える
山暮らし20年+田舎3年と京都で賃貸をやってきた私の感想だ
都会の家は投機や賃貸(儲け)の対象であり、住むには不適切なのだ
自分の家は近くの田舎に、都会には賃貸物件を持つのが最良なのだ
金持ちは良いが、大半の人はスラム街と同程度の家に住む事になる
日本では都会はスラム化し、田舎は安くゆったりという逆転現象
「日本の田舎は限界集落」なんて都会人の勝手な思い込みか逆切れ
か考え違いも甚だしい
都会の人は、物知りのようだが、実は田舎のことを全く知らない
田舎に、もっと仕事があれば、都会より数倍・数10倍豊である
工場・会社・仕事を田舎に移す会社は、これから伸びます
日本の経営者も、頭の固い・小粒な人ばかりのようです
ところで物事の基本で大事なものは何か知っていますか?
物事の基本はバランスであり、バランスが悪いことは危険信号
世界は必ずバランスをとる、バランスがとれなければ不安定
都会と田舎の関係もあらゆる面で著しくバランスを欠いている
田舎が限界集落化し、それでも都会に人が集まるのは異常だ
すごい言い難いことを、大胆に言ってしまいましたが、堪忍
元都会暮らし・現在田舎暮らし人からの暖かい忠告です
本来は都会に住む貴方自身が、考えないといけないことです
最近は自家用車を持てない都会の若者が増えたというが、
都会では物理的・経済的に車を持てなくなっているのだ
駐車場を借りるお金もない、交通網が発達していて車は要らない
田舎は一人一台の車を持っており、数台の駐車場スペースがある
ある意味今や、都会は田舎の犠牲になっていると私は思っている
(普通一般的には「田舎の人が都会の犠牲になっている」と言うが
私はその逆もあると思っており、意外に都会の人のほうが田舎の人より
つらい思いをしているのではないかと最近は認識するようになってきた。)
田舎から観ると都会の暮らしは空しい、自由があるようで、
すごく不自由なのだが、そのことに都会人は気づいていない。
都会は自分をすり減らしている
田舎の人は山に住む猿や鹿、都会の人はペットの猫や犬なのだ
ペットの犬や猫は一見いかにも幸せそうだが全くそうではない
彼らは非常につらい、不自由、服なんか着せて欲しくない・・・
自動車をきちんと利用しているのは都会ではなく、田舎の人なのだ
田舎では時間通り目的地にきちんと着くのだ
都会には自由はない、意外だが、自分が自由に行動できる場がない
豊な都会は物で溢れているが、次々買うので狭い室内は更にゴチャゴチャ
おまけに都会自体も溢れかえってゴチャゴチャだ、気が休まる空間はない
都会では大半の物事が他人任せなのだ、自分で主体的にすることは少ない
滋賀県高島市の人口密度は、
京都市伏見区の約1/60 東京台東区の1/180
町の人口密度は我が安曇川の60~180倍、人も物も過密(壇蜜ならよいが)
1軒分の敷地に田舎の100倍の人が詰めて暮している、つらいよねー
田舎では旧家では200坪300坪の敷地なんてのは当たり前
私の超安い家でも50坪ある(家全体で350万円でした)
多分都内23区では、10坪20坪でも、なかなか買えないはず
もう少し分かりやすく言うと、やや緩めに見積もっても
安曇川田中竹の里は坪2万円、京都や東京は坪10~20万円
我が家50坪は100万円が京都や東京は坪500~1000万円
京都の人口が減り滋賀県の大津や草津のマンションに引っ越すのが
最近の顕著な傾向だそうだ。
都会では、正規のお客様が家の座敷に上がったり泊まったりしない
お庭を案内することも全くない、「だってないんだから出来ない」
「ベランダがあります」って言うが、幅1mでブラジャー・パンツの花盛り
所謂、物干し場であって、お世辞でも優雅な憩いの場ではない
無論プールも庭園も倉庫も作業場もない、自転車置き場にも困っている
家の中は立体的配置でいかにも効率的なようだが、とにかく超過密
都会では、少子化、子供1人は、狭い家では当前のことだ
家の外も過密で、近くの道路に車がひっきりなしに走りまくる歩道も狭い
安心して歩けやしない、自動車に乗ったら何時間かかることやら分からん
タクシーは料金が高く、乗っても遅いので、ほとんど乗ったことがない
ちなみに我が安曇川は、目的地にいつも定刻に着く、余分の時間は無用
渋滞なんて起きたことがない、事故や火災や盗難や喧嘩も極めて少ない
警察は暇だそうだ、そのため経験が少なく、あまり出世しないのだとか
都会は汚染水と排気ガス吸い放題、田舎は自然水と自然空気吸い放題
外は人人人、必しも歓迎すべき人ではない、出来ればいないほうがよい
日本が素晴らしいのは何故だか知ってますか?
答え:
島国で、外国人が極めて少なく、長く日本人だけで暮してきたから
訪日外国人2000万~3000万人とか・・・・
変な外国人、特に犯罪を犯すアジア人が多い、良いことばかりではない
都会はますます治安が悪くなっている、都会の空き家を民泊に、恐ろしい
最近は外人が煩い・見苦しい・落ち着かない、 安曇川は外人を見かけない
外国人も京都近郊の田舎町のことは、まだ知らないみたい「しめしめ」
安曇川はビックリするぐらい静か、ご近所の人と「自動車いないのかね?」
訪日外人増やすのも良いが、駅や繁華街や観光地の人にはいい迷惑だ
マンション(豪邸)は嘘、集合ボロアパート、隣家の騒音や紫煙が入って来る
ならば安いと思ったら大間違い、田舎の5倍はする、高い固定資産税
高くて・狭くて・住み難くくて・危険で・落ち着かなくて・庭も駐車場もなし・・・
「最悪の家に住んでいる」「わかっているんですか?」
最近問題になっているのは、マンションが古くなり、積立金もなく修理不能
ウサギ小屋ならまだよいほうで、オンボロバラックなのだ
自分の暮らしをトコトン犠牲にして、平然としているのが理解不能
日本人は、自分の暮らしや生き方をかなり犠牲にしても案外平気だ
何故、そこまでつらい思いをして都会に住まないといけないのか?
京都から45分の場所に快適な田舎があるのに、私には理解出来ない
都会でも近郊の田舎から通っている賢い人も案外いるのに
都会では
①和風の木の家が持てない
②あってもコンクリートの安アパート
③あっても狭い家、実に暮らし難い
④あっても狭い敷地に2~3階建て、一階は駐車場
⑤あっても価格が高い、ローンが大変
⑥庭がない、駐車場がない(一階が全て駐車場その上に住む人もいる)
⑦玄関も風呂場もトイレも洗面所も狭い。押し入れもほんの僅か
⑧大工仕事をする場所がない、物置もない
⑨庭でバーベキューも出来ない、敷地内に内と外がない
⑩床の間や縁側もない、窓か壁か出口
⑪隣の家から騒音やトラブルがひどい、静かに暮らさないといけない
⑫煩い・狭苦しい・危険・夜遅くまで騒々しい
あげていったらきりがない
我が家の安曇川の洗面所、広い、玄関もトイレも台所も広い
お粗末なネズミ小屋に住んで「私、東京に住んでるの」と自慢気に言う
関東・大阪・名古屋・京都・福岡など大都会に住む人、考え直しなさい
「夜も終電まで都心で飲める、いいだろ?」そんなの全然良くない
家に帰っても休まらないから外で無駄金使うのだ
何なんでしょうね?都会という将軍様にひれ伏す都会暮らしの人達
京都や大阪でよくみるのが敷地が狭くその上にひょろ高い3階の家が建っている
しかも隣家とのすき間はごく僅か。大地震では大きくぶつかり倒壊する
都会の中高層の建物も隣とのすき間が僅かなのが多いが2~3m揺れると
互いに激しくぶつかり倒壊するそうだが、そんなのは田舎にはありえない
田舎には高層という概念自体が存在しない、山があるから、それでよい
家が隣の家に接近して過密に建てられていることも都市災害を大きくする
地震の被害を大きくするのは津波と火災だということが実証されている
また過密ということは避難場所の余裕がないことにもなる
もっと余裕を持つべきで、だからいち早く都会を逃げるべきなのだ
一言で言えば都会は不自然・異常・不安全な場所である
幸いにも大都会で巨大災害は起きていないが、もし都会で大災害が起きると
・被害は想像以上に巨大になる
・復興に膨大な時間がかかる
・なかなか自分の家の復旧が出来ない
・仮設住宅などが間に合わない
・余裕の金がない、国家財政破綻に拍車をかける
・救護・消防・医療体制も不足
・企業活動が停滞する
田舎で巨大災害が起こっても日本全体としての影響はほとんどない
大都会の場合はどうにもならない、被災者を受け入れる場所もほとんどない
東京から大阪更に京都そして滋賀の山奥で今は田舎町に移り住んだ私に言わすと
・田舎と大都会は正反対
・田舎暮らしをいなかっぺと思うか都会暮らしが悲惨で可哀そうと思うか
・都会で不満があるのに田舎に移らない都会人
・何かを得るために、あるものを失う覚悟がない
・何が重要で何が重要でないかが分かっていない
・何しろ頭が固い、馬鹿みたいに都会を祭り上げる
・意外にだらしない・弱い・小さい・ふんぎりが悪い
・自分独自の人生観がない、見栄をはっているつもり
・孤独に耐えられない、寂しがりや
・何もない退屈な暮らしに耐えられない
・人生に一度くらい大きな断捨離をしようと思わない
皆とは言わないが、私のような老人がわざわざ都会に住む必要はない
「大病院が近くにないと困る」なんてのは、この際、考え直すことだ
正反対の暮らしに飛び込む勇気がない、不安で、考えたくもない
東京から大阪更に京都は関東から関西に、近代都市から古都程度
そして滋賀の山奥から今は田舎町に移り住んで、住む場所の断捨離
今思えば上手いこと、徐々に山暮らしへの道へ導かれて行った私
でさえ、広い庭がある広い家に安く住めることを知ったのは
田舎暮らしをして70歳の頃だからあまり都会人のこと言えないが
一般的に都会に住む人はそんなことは全く知らないのだと思う
東京の賃貸ワンルームマンションをネットで見ていたら、すごくびっくり
月4万円の場合、ひどく狭く風呂もない、とても住めないようなもの
まず東京の場合、都心では月4万円なんてのが、あまりない
京都だったら市内でもそこそこ快適に一人暮らし出来る物件があるのに
月4万円年50万円の賃貸とすると、安曇川では6年で中古の家が買える
東京で月6・5万円だったら年80万円として、たった4年で買えてしまう
のんびりと、人口減少町村の田舎で暮してみたら案外素晴らしいですよ
人口減少の田舎町は、静かでドライブやサイクリングも快適
道路で二人で何かしていてもひかれることもないほど空いている
ネットで”人口減少町村 田舎暮し”で検索してみよう
私の場合、最近まで、京都に3軒安曇川に2軒の家を持っていたが
全部足しても2500万円、東京だったら狭い家一軒分程度のものだ
当時京都で2軒を賃貸していたが安いと言っても
年72万円実質60万円くらいの収入があった
でもさすがワンルームマンションはボロで維持が困難で早めに手放した
ところが、なぜか
京都のこんなボロマンションも値上がりしていて高く売れたのには驚いた
京都で、かつて、どういうことが起きていたかというと
東京の人が京都の安い物件を買って賃貸し収入をあげている
資金の少ない東京の人が京都で堅実に家賃収入を得ている
安曇川~京都まで45分この時間を書斎や動画を観る時間とすれば
動く書斎と思えばよいのだ、JRもそういう通勤列車を考えればと思う
京都に家を持つより通勤しても安曇川に広い家を持つほうがずーと良い
浮いたお金を資金に京都の安い物件を賃貸すると別途収入も得られる
私が昨年までやっていた手法の一つである(※昨年2軒高値で売却済み)
金稼ぐのは都会だと短絡的に信じこまず、都会に近い田舎から通勤して
より多い収入を得ることもできるという事実を知るべきである
ちなみに安曇川駅から自動車で5分の正しく閑静な我が家は
敷地152㎡(家62㎡ 前庭は60㎡ 他30㎡) 33年中古木造平屋
もし京都で同じ家を買うと2350万円はするが安曇川の6倍以上する
2350万円を頭金350万円の20年ローンにすると月8万円程度の返済
安曇川であれば頭金350万円だけで買えてしまうのでローンは無用
賃貸で月8万円なんて場合、安曇川で家を買えばローンなしで終わり
また観方を変えると京都で(65~90歳)夫婦2人で月6万円の家を借りるより
安曇川で広い一軒家を買うと中古で350万円、月当たりの負担は約2万円
または京都の家を2000万円で処分すれば、
1500万円程度の資産が新たに浮く計算だ、これって、凄くない?
ということで、
70歳で少し頭の良い人は、安曇川みたいな京都近郊の田舎に住む
都会の全てを今すぐに処分し都会暮らしを棄てなされ。 かーつ
なにしろ都会人は近郊の田舎のことを分かってない
ところで
安曇川に来れば困った時は、私が人生相談にも乗りますぞ
晩年の人生をいかに生きるべきか?を真剣に追求し直してみて下さい
安曇川田中の350万円で購入した我が家
同じく安曇川長尾の山のログハウス(私の描いた絵です)
裏庭の大木が倒れる危険があり大枝を伐採した
屋根の端にテレビのアンテナがあり、昨年の風で倒れ掛かっていたので
除去しようとしたがなかなか苦戦している、山では、何でも自分でしないといけない
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
テーマ:思い込みは怖い、思い込みを直さないのはもっと怖い
都会人は、知ってか知らずか、貧相な家や街に気楽に過ごしている
自分の家が狭いだけでなく、隣家と高密度で接しており、息が詰まる
家が狭く密集している道路も空地が極めて少ない:超過密だ
都会は土地価格が高く、大工の手間賃も高いが、大工のレベルは低い
都会人は、そうは感じていない「良い家に住んでいる」と信じ切っている
「だって3000万円もしたんだから良い家に決まっている」・・・
2千万円の都会の家が、今の私には貧相で、3百万円程度にしか思えない
逆に、田舎の3~6百万円の家が2~4千万円に思える
山暮らし20年+田舎3年と京都で賃貸をやってきた私の感想だ
都会の家は投機や賃貸(儲け)の対象であり、住むには不適切なのだ
自分の家は近くの田舎に、都会には賃貸物件を持つのが最良なのだ
金持ちは良いが、大半の人はスラム街と同程度の家に住む事になる
日本では都会はスラム化し、田舎は安くゆったりという逆転現象
「日本の田舎は限界集落」なんて都会人の勝手な思い込みか逆切れ
か考え違いも甚だしい
都会の人は、物知りのようだが、実は田舎のことを全く知らない
田舎に、もっと仕事があれば、都会より数倍・数10倍豊である
工場・会社・仕事を田舎に移す会社は、これから伸びます
日本の経営者も、頭の固い・小粒な人ばかりのようです
ところで物事の基本で大事なものは何か知っていますか?
物事の基本はバランスであり、バランスが悪いことは危険信号
世界は必ずバランスをとる、バランスがとれなければ不安定
都会と田舎の関係もあらゆる面で著しくバランスを欠いている
田舎が限界集落化し、それでも都会に人が集まるのは異常だ
すごい言い難いことを、大胆に言ってしまいましたが、堪忍
元都会暮らし・現在田舎暮らし人からの暖かい忠告です
本来は都会に住む貴方自身が、考えないといけないことです
最近は自家用車を持てない都会の若者が増えたというが、
都会では物理的・経済的に車を持てなくなっているのだ
駐車場を借りるお金もない、交通網が発達していて車は要らない
田舎は一人一台の車を持っており、数台の駐車場スペースがある
ある意味今や、都会は田舎の犠牲になっていると私は思っている
(普通一般的には「田舎の人が都会の犠牲になっている」と言うが
私はその逆もあると思っており、意外に都会の人のほうが田舎の人より
つらい思いをしているのではないかと最近は認識するようになってきた。)
田舎から観ると都会の暮らしは空しい、自由があるようで、
すごく不自由なのだが、そのことに都会人は気づいていない。
都会は自分をすり減らしている
田舎の人は山に住む猿や鹿、都会の人はペットの猫や犬なのだ
ペットの犬や猫は一見いかにも幸せそうだが全くそうではない
彼らは非常につらい、不自由、服なんか着せて欲しくない・・・
自動車をきちんと利用しているのは都会ではなく、田舎の人なのだ
田舎では時間通り目的地にきちんと着くのだ
都会には自由はない、意外だが、自分が自由に行動できる場がない
豊な都会は物で溢れているが、次々買うので狭い室内は更にゴチャゴチャ
おまけに都会自体も溢れかえってゴチャゴチャだ、気が休まる空間はない
都会では大半の物事が他人任せなのだ、自分で主体的にすることは少ない
滋賀県高島市の人口密度は、
京都市伏見区の約1/60 東京台東区の1/180
町の人口密度は我が安曇川の60~180倍、人も物も過密(壇蜜ならよいが)
1軒分の敷地に田舎の100倍の人が詰めて暮している、つらいよねー
田舎では旧家では200坪300坪の敷地なんてのは当たり前
私の超安い家でも50坪ある(家全体で350万円でした)
多分都内23区では、10坪20坪でも、なかなか買えないはず
もう少し分かりやすく言うと、やや緩めに見積もっても
安曇川田中竹の里は坪2万円、京都や東京は坪10~20万円
我が家50坪は100万円が京都や東京は坪500~1000万円
京都の人口が減り滋賀県の大津や草津のマンションに引っ越すのが
最近の顕著な傾向だそうだ。
都会では、正規のお客様が家の座敷に上がったり泊まったりしない
お庭を案内することも全くない、「だってないんだから出来ない」
「ベランダがあります」って言うが、幅1mでブラジャー・パンツの花盛り
所謂、物干し場であって、お世辞でも優雅な憩いの場ではない
無論プールも庭園も倉庫も作業場もない、自転車置き場にも困っている
家の中は立体的配置でいかにも効率的なようだが、とにかく超過密
都会では、少子化、子供1人は、狭い家では当前のことだ
家の外も過密で、近くの道路に車がひっきりなしに走りまくる歩道も狭い
安心して歩けやしない、自動車に乗ったら何時間かかることやら分からん
タクシーは料金が高く、乗っても遅いので、ほとんど乗ったことがない
ちなみに我が安曇川は、目的地にいつも定刻に着く、余分の時間は無用
渋滞なんて起きたことがない、事故や火災や盗難や喧嘩も極めて少ない
警察は暇だそうだ、そのため経験が少なく、あまり出世しないのだとか
都会は汚染水と排気ガス吸い放題、田舎は自然水と自然空気吸い放題
外は人人人、必しも歓迎すべき人ではない、出来ればいないほうがよい
日本が素晴らしいのは何故だか知ってますか?
答え:
島国で、外国人が極めて少なく、長く日本人だけで暮してきたから
訪日外国人2000万~3000万人とか・・・・
変な外国人、特に犯罪を犯すアジア人が多い、良いことばかりではない
都会はますます治安が悪くなっている、都会の空き家を民泊に、恐ろしい
最近は外人が煩い・見苦しい・落ち着かない、 安曇川は外人を見かけない
外国人も京都近郊の田舎町のことは、まだ知らないみたい「しめしめ」
安曇川はビックリするぐらい静か、ご近所の人と「自動車いないのかね?」
訪日外人増やすのも良いが、駅や繁華街や観光地の人にはいい迷惑だ
マンション(豪邸)は嘘、集合ボロアパート、隣家の騒音や紫煙が入って来る
ならば安いと思ったら大間違い、田舎の5倍はする、高い固定資産税
高くて・狭くて・住み難くくて・危険で・落ち着かなくて・庭も駐車場もなし・・・
「最悪の家に住んでいる」「わかっているんですか?」
最近問題になっているのは、マンションが古くなり、積立金もなく修理不能
ウサギ小屋ならまだよいほうで、オンボロバラックなのだ
自分の暮らしをトコトン犠牲にして、平然としているのが理解不能
日本人は、自分の暮らしや生き方をかなり犠牲にしても案外平気だ
何故、そこまでつらい思いをして都会に住まないといけないのか?
京都から45分の場所に快適な田舎があるのに、私には理解出来ない
都会でも近郊の田舎から通っている賢い人も案外いるのに
都会では
①和風の木の家が持てない
②あってもコンクリートの安アパート
③あっても狭い家、実に暮らし難い
④あっても狭い敷地に2~3階建て、一階は駐車場
⑤あっても価格が高い、ローンが大変
⑥庭がない、駐車場がない(一階が全て駐車場その上に住む人もいる)
⑦玄関も風呂場もトイレも洗面所も狭い。押し入れもほんの僅か
⑧大工仕事をする場所がない、物置もない
⑨庭でバーベキューも出来ない、敷地内に内と外がない
⑩床の間や縁側もない、窓か壁か出口
⑪隣の家から騒音やトラブルがひどい、静かに暮らさないといけない
⑫煩い・狭苦しい・危険・夜遅くまで騒々しい
あげていったらきりがない
我が家の安曇川の洗面所、広い、玄関もトイレも台所も広い
お粗末なネズミ小屋に住んで「私、東京に住んでるの」と自慢気に言う
関東・大阪・名古屋・京都・福岡など大都会に住む人、考え直しなさい
「夜も終電まで都心で飲める、いいだろ?」そんなの全然良くない
家に帰っても休まらないから外で無駄金使うのだ
何なんでしょうね?都会という将軍様にひれ伏す都会暮らしの人達
京都や大阪でよくみるのが敷地が狭くその上にひょろ高い3階の家が建っている
しかも隣家とのすき間はごく僅か。大地震では大きくぶつかり倒壊する
都会の中高層の建物も隣とのすき間が僅かなのが多いが2~3m揺れると
互いに激しくぶつかり倒壊するそうだが、そんなのは田舎にはありえない
田舎には高層という概念自体が存在しない、山があるから、それでよい
家が隣の家に接近して過密に建てられていることも都市災害を大きくする
地震の被害を大きくするのは津波と火災だということが実証されている
また過密ということは避難場所の余裕がないことにもなる
もっと余裕を持つべきで、だからいち早く都会を逃げるべきなのだ
一言で言えば都会は不自然・異常・不安全な場所である
幸いにも大都会で巨大災害は起きていないが、もし都会で大災害が起きると
・被害は想像以上に巨大になる
・復興に膨大な時間がかかる
・なかなか自分の家の復旧が出来ない
・仮設住宅などが間に合わない
・余裕の金がない、国家財政破綻に拍車をかける
・救護・消防・医療体制も不足
・企業活動が停滞する
田舎で巨大災害が起こっても日本全体としての影響はほとんどない
大都会の場合はどうにもならない、被災者を受け入れる場所もほとんどない
東京から大阪更に京都そして滋賀の山奥で今は田舎町に移り住んだ私に言わすと
・田舎と大都会は正反対
・田舎暮らしをいなかっぺと思うか都会暮らしが悲惨で可哀そうと思うか
・都会で不満があるのに田舎に移らない都会人
・何かを得るために、あるものを失う覚悟がない
・何が重要で何が重要でないかが分かっていない
・何しろ頭が固い、馬鹿みたいに都会を祭り上げる
・意外にだらしない・弱い・小さい・ふんぎりが悪い
・自分独自の人生観がない、見栄をはっているつもり
・孤独に耐えられない、寂しがりや
・何もない退屈な暮らしに耐えられない
・人生に一度くらい大きな断捨離をしようと思わない
皆とは言わないが、私のような老人がわざわざ都会に住む必要はない
「大病院が近くにないと困る」なんてのは、この際、考え直すことだ
正反対の暮らしに飛び込む勇気がない、不安で、考えたくもない
東京から大阪更に京都は関東から関西に、近代都市から古都程度
そして滋賀の山奥から今は田舎町に移り住んで、住む場所の断捨離
今思えば上手いこと、徐々に山暮らしへの道へ導かれて行った私
でさえ、広い庭がある広い家に安く住めることを知ったのは
田舎暮らしをして70歳の頃だからあまり都会人のこと言えないが
一般的に都会に住む人はそんなことは全く知らないのだと思う
東京の賃貸ワンルームマンションをネットで見ていたら、すごくびっくり
月4万円の場合、ひどく狭く風呂もない、とても住めないようなもの
まず東京の場合、都心では月4万円なんてのが、あまりない
京都だったら市内でもそこそこ快適に一人暮らし出来る物件があるのに
月4万円年50万円の賃貸とすると、安曇川では6年で中古の家が買える
東京で月6・5万円だったら年80万円として、たった4年で買えてしまう
のんびりと、人口減少町村の田舎で暮してみたら案外素晴らしいですよ
人口減少の田舎町は、静かでドライブやサイクリングも快適
道路で二人で何かしていてもひかれることもないほど空いている
ネットで”人口減少町村 田舎暮し”で検索してみよう
私の場合、最近まで、京都に3軒安曇川に2軒の家を持っていたが
全部足しても2500万円、東京だったら狭い家一軒分程度のものだ
当時京都で2軒を賃貸していたが安いと言っても
年72万円実質60万円くらいの収入があった
でもさすがワンルームマンションはボロで維持が困難で早めに手放した
ところが、なぜか
京都のこんなボロマンションも値上がりしていて高く売れたのには驚いた
京都で、かつて、どういうことが起きていたかというと
東京の人が京都の安い物件を買って賃貸し収入をあげている
資金の少ない東京の人が京都で堅実に家賃収入を得ている
安曇川~京都まで45分この時間を書斎や動画を観る時間とすれば
動く書斎と思えばよいのだ、JRもそういう通勤列車を考えればと思う
京都に家を持つより通勤しても安曇川に広い家を持つほうがずーと良い
浮いたお金を資金に京都の安い物件を賃貸すると別途収入も得られる
私が昨年までやっていた手法の一つである(※昨年2軒高値で売却済み)
金稼ぐのは都会だと短絡的に信じこまず、都会に近い田舎から通勤して
より多い収入を得ることもできるという事実を知るべきである
ちなみに安曇川駅から自動車で5分の正しく閑静な我が家は
敷地152㎡(家62㎡ 前庭は60㎡ 他30㎡) 33年中古木造平屋
もし京都で同じ家を買うと2350万円はするが安曇川の6倍以上する
2350万円を頭金350万円の20年ローンにすると月8万円程度の返済
安曇川であれば頭金350万円だけで買えてしまうのでローンは無用
賃貸で月8万円なんて場合、安曇川で家を買えばローンなしで終わり
また観方を変えると京都で(65~90歳)夫婦2人で月6万円の家を借りるより
安曇川で広い一軒家を買うと中古で350万円、月当たりの負担は約2万円
または京都の家を2000万円で処分すれば、
1500万円程度の資産が新たに浮く計算だ、これって、凄くない?
ということで、
70歳で少し頭の良い人は、安曇川みたいな京都近郊の田舎に住む
都会の全てを今すぐに処分し都会暮らしを棄てなされ。 かーつ
なにしろ都会人は近郊の田舎のことを分かってない
ところで
安曇川に来れば困った時は、私が人生相談にも乗りますぞ
晩年の人生をいかに生きるべきか?を真剣に追求し直してみて下さい
安曇川田中の350万円で購入した我が家
同じく安曇川長尾の山のログハウス(私の描いた絵です)
裏庭の大木が倒れる危険があり大枝を伐採した
屋根の端にテレビのアンテナがあり、昨年の風で倒れ掛かっていたので
除去しようとしたがなかなか苦戦している、山では、何でも自分でしないといけない