指導や講演を依頼出来ます 村上原基
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
テーマ:やる前に「出来ない」と思う人と「出来る」と思う人
私が20年ひっそりと山暮らしを続けて来たことは、
元々弱気な我ながら、よくぞ辛抱強くやってきたと思っている
東京での19歳以降も私は、
・頭がそんなに良くないのに東京工業大学に入学できたこと
・東京から大阪に単身就職したこと
・松下電器を10年で辞めて転職したこと
・大企業から町の小企業に転職し、会社の業績改善に貢献したこと
・京都に家を買い、京都の会社や社会で定着し暮したこと
・妻が悪性の脳腫瘍になり、看病しながら会社勤めをしたこと
・急遽、知識経験の乏しい地球環境問題の責任者になったこと
・そんな時期に高収益企業のロームを辞めたこと
・経営コンサルタントを自営したこと
・滋賀県の安曇川の山暮らしを続けたこと
・人生勉強会を立ち上げ続けて来たこと
・安曇川の山暮らしで森や道路の荒れ地を綺麗に整備してきたこと
・大工や簡単な工事は自分でやるようになったこと
・あれだけ苦手で逃げまくっていた絵を描き始めた
細かいことになればあれこれまだ沢山ある
まあ、平均的な人に比べて”やや無謀”に見える私であります
自分としては、「出来ない」と思い込まずにやって来たことは
まあ、恰好良く言ってしまったが、自分のことながら「よくやった」と思っている
その経験をまとめて2年前に「出来た・出来ますブログ」も立ち上げた
正直な話、あまり受けはよくなかったが、
現代は「出来ます」なんて話に価値がなくなったのだろう・・・
やる前に「出来ない」と思わずやってみる
それを何度か当然のように、やっているうちに
やる前に「出来る」と思う人になってくるのである
強い思い込み・刷り込み・自分勝手な認識
高所恐怖症とか対人恐怖症なんかも同じ類である
高い処に立つと震えてくる、身動きさえ出来なくなり
人と対面すると固くなる、何も喋れなくなる
単なる思い込みに過ぎないのだが、なかなか治らない
ゴミ屋敷みたいなもので、捨ててしまえば済むことなのだが?
「いやいや俺はそんな自分勝手な認識はしていない」と思っている貴方
「出来るけど」「やる気がしない」、それこそが勝手な認識である
「出来ない」の一言が、やる前の勝手なマイナス姿勢であり、自分を消極的にしてしまう
※但し、自分には到底不可能と思うことまでやれとは言わない
ところで、この話は出来ないだけでなくいろいろなことに通じる
すなわちやる前から次のようなことを言うという点で共通する
・面倒くさい
・つまらん
・どうでもいい
・くだらん
・しんどい
・嫌い
・苦手
・意味ない
など、など・・・、そういう観点でこの話を応用して戴きたい
「村上さんは凄い、よくあんなことが出来る」と
周囲の人が言ってくれることは、正直、嬉しい
正直な話、現代の子供達や周囲の人を見ていると
「出来ません」「やりたくない」「何でそんなことせないかんの?」と言う人ばかり
要するに、出来ない・やらない人なのである
世間には偉そうに「そんなことやってどうなるの?」と言い放つ人がいますよね
いかにも偉そうだが、要するに「やらない人」なのだ
若い人にも増えているが、その人の将来はたいしたものではない
老後にそうなると、もう駄目だ、もう終わりだ、いよいよあの世が近い
それに対して私はというと、とにかくやる人だった
とにかくやる人は大変なのだが、老後に大きな成果が出てくると思っている
むしろ周囲の人が、「やめとけ」と言われる場合が多かったと記憶している
周囲からそう言われ、かつ果敢に挑戦する人のほうが私には好感が持てる
どんなことでも「とにかくやってみる」そうすると予期しない結果が出る
貴方は、とにかくやる癖/やらない癖どちらをお持ちですか?
以前、ある地方の役所に”すぐやる課”というのが出来たと聞くが
私の場合は、さしずめ”何でも、とにかくやる課”であろうか
世の中には、すぐにやらない人や何でもやらない人が多いのである
そういう私から観ると役所も一般人もすごく面白味のない人だらけだ
すなわち、消極的・非肉食・小粒になっている。
でも何でもやれば”出来る”という感覚は捨ててほしくない
世の中は便利になり物質的にも豊になってきたが果たして良いことなのか?
何でもやらない人・出来ない人が増えている原因もそこにある
一日中パソコンやゲームやスマホから離れられない若者は大丈夫だろうか?
中毒患者のように興じる製品を、はたして良い研究開発と言うのだうか?
そんな会社が世界で大儲けをして世の中のやる気を失わせていて良いのか?
海の資源が枯渇し山は木が切られず資源は放置され結果的に環境破壊している
面倒なこと・自分の利益にならないことはやらない、次世代につけを回す
自分達だけ良い思いをして、経済発展しようと、環境破壊では意味がない
「出来ません」「やりません」と「樂をする」ことが人類崩壊の前兆ではないか?
正直私の人生も今振り返ってみると
華々しくはない
楽でもない
儲かることでもない
有名になることもない
実に地味で、面倒で、つらいことばかりだったのだ
しかし今思うに、樂を求めて人生をやり過ごして来たら
今のように充実感・充足感・自立心が味わえただろうか?
いや
多分腑抜けのような老人になって、うろうろさ迷っていたに違いない
やる前から「出来ない」と思って、次々にやり過ごす人に
確かな手ごたえある充実した人生は、いつまでもやって来ない
例え偶然やラッキーに金儲けや仕事で上手くいくことはあっても
それらは、偶然に出来てしまった実に不安定なことに過ぎないのだ
儲かりたい・楽したい・有名になりたい・・・
それ以外で面倒なことは「出来ません」で片づける
難しいことは出来ません、そんな人を友人にはしたくもない
やる前から言ってはならない禁句
・出来ない ・面倒くさい ・つまらん ・どうでもいい
・しんどい ・嫌い ・苦手 ・意味ない
昨年からリフォームを続けている。写真は土間のリフォーム
私が勝手に良いと思って20年作り続けたウゾウムゾウを取り外し
今やログハウスのリフォームに熱中している始末
価格も下げ、見栄えや使い勝手もよくなったので是非お買いげさい
見栄え良く改善、しかも安くである、業者に頼むとバカ高いからね
現在、第一段階、ほぼリフォームは完了したが、
第二段階を続ける予定だ、かつて森や道路の整備も20年かけて続けてきた
家の前の林や周辺の空き地も全面整備し直し、すっかり蘇った
講演例
・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達 ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
テーマ:やる前に「出来ない」と思う人と「出来る」と思う人
私が20年ひっそりと山暮らしを続けて来たことは、
元々弱気な我ながら、よくぞ辛抱強くやってきたと思っている
東京での19歳以降も私は、
・頭がそんなに良くないのに東京工業大学に入学できたこと
・東京から大阪に単身就職したこと
・松下電器を10年で辞めて転職したこと
・大企業から町の小企業に転職し、会社の業績改善に貢献したこと
・京都に家を買い、京都の会社や社会で定着し暮したこと
・妻が悪性の脳腫瘍になり、看病しながら会社勤めをしたこと
・急遽、知識経験の乏しい地球環境問題の責任者になったこと
・そんな時期に高収益企業のロームを辞めたこと
・経営コンサルタントを自営したこと
・滋賀県の安曇川の山暮らしを続けたこと
・人生勉強会を立ち上げ続けて来たこと
・安曇川の山暮らしで森や道路の荒れ地を綺麗に整備してきたこと
・大工や簡単な工事は自分でやるようになったこと
・あれだけ苦手で逃げまくっていた絵を描き始めた
細かいことになればあれこれまだ沢山ある
まあ、平均的な人に比べて”やや無謀”に見える私であります
自分としては、「出来ない」と思い込まずにやって来たことは
まあ、恰好良く言ってしまったが、自分のことながら「よくやった」と思っている
その経験をまとめて2年前に「出来た・出来ますブログ」も立ち上げた
正直な話、あまり受けはよくなかったが、
現代は「出来ます」なんて話に価値がなくなったのだろう・・・
やる前に「出来ない」と思わずやってみる
それを何度か当然のように、やっているうちに
やる前に「出来る」と思う人になってくるのである
強い思い込み・刷り込み・自分勝手な認識
高所恐怖症とか対人恐怖症なんかも同じ類である
高い処に立つと震えてくる、身動きさえ出来なくなり
人と対面すると固くなる、何も喋れなくなる
単なる思い込みに過ぎないのだが、なかなか治らない
ゴミ屋敷みたいなもので、捨ててしまえば済むことなのだが?
「いやいや俺はそんな自分勝手な認識はしていない」と思っている貴方
「出来るけど」「やる気がしない」、それこそが勝手な認識である
「出来ない」の一言が、やる前の勝手なマイナス姿勢であり、自分を消極的にしてしまう
※但し、自分には到底不可能と思うことまでやれとは言わない
ところで、この話は出来ないだけでなくいろいろなことに通じる
すなわちやる前から次のようなことを言うという点で共通する
・面倒くさい
・つまらん
・どうでもいい
・くだらん
・しんどい
・嫌い
・苦手
・意味ない
など、など・・・、そういう観点でこの話を応用して戴きたい
「村上さんは凄い、よくあんなことが出来る」と
周囲の人が言ってくれることは、正直、嬉しい
正直な話、現代の子供達や周囲の人を見ていると
「出来ません」「やりたくない」「何でそんなことせないかんの?」と言う人ばかり
要するに、出来ない・やらない人なのである
世間には偉そうに「そんなことやってどうなるの?」と言い放つ人がいますよね
いかにも偉そうだが、要するに「やらない人」なのだ
若い人にも増えているが、その人の将来はたいしたものではない
老後にそうなると、もう駄目だ、もう終わりだ、いよいよあの世が近い
それに対して私はというと、とにかくやる人だった
とにかくやる人は大変なのだが、老後に大きな成果が出てくると思っている
むしろ周囲の人が、「やめとけ」と言われる場合が多かったと記憶している
周囲からそう言われ、かつ果敢に挑戦する人のほうが私には好感が持てる
どんなことでも「とにかくやってみる」そうすると予期しない結果が出る
貴方は、とにかくやる癖/やらない癖どちらをお持ちですか?
以前、ある地方の役所に”すぐやる課”というのが出来たと聞くが
私の場合は、さしずめ”何でも、とにかくやる課”であろうか
世の中には、すぐにやらない人や何でもやらない人が多いのである
そういう私から観ると役所も一般人もすごく面白味のない人だらけだ
すなわち、消極的・非肉食・小粒になっている。
でも何でもやれば”出来る”という感覚は捨ててほしくない
世の中は便利になり物質的にも豊になってきたが果たして良いことなのか?
何でもやらない人・出来ない人が増えている原因もそこにある
一日中パソコンやゲームやスマホから離れられない若者は大丈夫だろうか?
中毒患者のように興じる製品を、はたして良い研究開発と言うのだうか?
そんな会社が世界で大儲けをして世の中のやる気を失わせていて良いのか?
海の資源が枯渇し山は木が切られず資源は放置され結果的に環境破壊している
面倒なこと・自分の利益にならないことはやらない、次世代につけを回す
自分達だけ良い思いをして、経済発展しようと、環境破壊では意味がない
「出来ません」「やりません」と「樂をする」ことが人類崩壊の前兆ではないか?
正直私の人生も今振り返ってみると
華々しくはない
楽でもない
儲かることでもない
有名になることもない
実に地味で、面倒で、つらいことばかりだったのだ
しかし今思うに、樂を求めて人生をやり過ごして来たら
今のように充実感・充足感・自立心が味わえただろうか?
いや
多分腑抜けのような老人になって、うろうろさ迷っていたに違いない
やる前から「出来ない」と思って、次々にやり過ごす人に
確かな手ごたえある充実した人生は、いつまでもやって来ない
例え偶然やラッキーに金儲けや仕事で上手くいくことはあっても
それらは、偶然に出来てしまった実に不安定なことに過ぎないのだ
儲かりたい・楽したい・有名になりたい・・・
それ以外で面倒なことは「出来ません」で片づける
難しいことは出来ません、そんな人を友人にはしたくもない
やる前から言ってはならない禁句
・出来ない ・面倒くさい ・つまらん ・どうでもいい
・しんどい ・嫌い ・苦手 ・意味ない
昨年からリフォームを続けている。写真は土間のリフォーム
私が勝手に良いと思って20年作り続けたウゾウムゾウを取り外し
今やログハウスのリフォームに熱中している始末
価格も下げ、見栄えや使い勝手もよくなったので是非お買いげさい
見栄え良く改善、しかも安くである、業者に頼むとバカ高いからね
現在、第一段階、ほぼリフォームは完了したが、
第二段階を続ける予定だ、かつて森や道路の整備も20年かけて続けてきた
家の前の林や周辺の空き地も全面整備し直し、すっかり蘇った