指導や講演を依頼出来ます 村上原基
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円
安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。 9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル
テーマ
何もない(?)田舎で人生を深める楽しさ⇒田舎こそ都会人の住むところ
都会偏重への警告:都会への集中は第二次大戦の日本人の考え方やあり様に似ていないか?
概要
1.世間の状況 都会が良い、都会を離れたくない・・・政治家や経営者の仕向け・仕掛け
経済発展に伴って、都会で生まれ、都会で育ち、田舎から都会へ、そして都会で老いて行く
田舎や山奥は限界集落などと、いかにもしょうもない、つまらない場所だとレッテルを貼る
地方再生なんて言うが、都会の人間に地方再生なんて任せたらとんでもないことになる
2.問題点 都会が良いところとは単なる思い込み過ぎない、そんな幻想を捨てることだ
都会がいかにも素晴らしいところ、住めば都みたいな認識をしているが、大いに危険である
都会中心の意識が今にとんでもなく困難が生じ、くだらない幻想であったかを知るはずだ
テレビにインターネットと携帯、宅急便などが普及した時代は、田舎に暮らす時代到来である
税金を無駄使いし、過剰な便利さの都会で嘘誤魔化しの暮らしをしている人々の行く末を案じる
都会は経済衰退、インフラの老朽化により、むしろ安全でなく、不安で、不便な場所になって行く
精神的にも、身体的にも、生活的にも、そろそろ限界なのは都会であり、限界都会なのだ
今こそ周辺の田舎に逃げるのにもっとも良い時期であり、最後のチャンスなのだが・・・・・
3.私はどうしたのか、何をしたのか 偶然55歳で山に篭れた、何たる出会い、神の導きか?
東京・大阪・京都と都会生まれ、育ちの私だが、今73歳滋賀県の田舎町で迎えている
それ以前に55歳から山奥ログを購入し、コンサルタントをしながら18年ひっそりと暮らしてきた
目下、山暮らしのログハウスを売りに出しているが買う人はいない、山の暮しをする現代人は激減
でも、現代人だからこそ、単なる腰掛ではなく、山暮らしを長く体験して欲しいと願う私であります
4.私はどうなったのか 山は都会の影・形もなかった、実に爽やかな18年で生まれ変わった
都会育ちの私だったが、都会嫌い、田舎こそが人間が暮らすべき場所という認識に変わった
都会は京都でさえ、今や好きになれない、時々子供が住む京都に帰るが耐えられない
狭い、空き地も野原も畑も川もない、やたらに人と車が多い、魅力など全くない、息が詰まる
私の専門の経営管理の見地から都会を分析すると、一見良さそうだがが、多くの大リスクを実感
これまで都会は良かったし、今も良い、多分今後も良いだろうは、安易すぎるし大間違いだと思う
実は人口減少・高齢化・経済停滞で困るのは地方以上だと私は推察する
膨大なインフラの維持管理のお金がないので50年以上の古い設備も破損が一挙に進む
5.一体なにが原因で出来ないのか 都会育ちは不便・人がいない・面倒・虫・暗闇を怖がる
・いざという時に不安、都会には病院があるが、田舎にはまともな病院がないから田舎は駄目
・友達や知り合いが都会に住んでいるから、離れられない
・田舎はつまらない、買い物も遊びも仲間も限定される
・田舎は地味、あでやかな都会に慣れている人間には到底耐えられない
そういう風に何事も都会は素晴らしい、楽しい、便利で友達も多いと絶賛を止めない
しかし長い山暮らしを体験した私からすると、堕落・依存・博打・快楽・短絡的・・・に過ぎない
6.提言 そろそろ限界に来ている、その限界都会に何故か人がどんどん群がっている
限界集落が増えているのは一体何を意味するのか?巨大鼠集団が崖プチから落ちて行くようだ
都会が良いという意識もそろそろここ数年で剥げ落ちて行くが、それは都会が崩壊しつつあるからだ
都会は、このままずーっと便利で、楽しく、快適であり続けるという幻想がいつまで続くやら・・・?
都会に満足して暮らす姿は、例えると肥溜めに良い風呂だと気持ちよく浸かっている姿に似ている
”都会が良い/田舎は駄目”という思いは、田舎暮らしを体験しないことそれ自身が災いしている
「外国暮らしなら良いが田舎暮らしなんかする意味もないし、したくもない」というのが大方の認識だ
私は全くそうは思わない、親として子供達に山や田舎で暮らすことを体験させてやって欲しい
・都会育ちだからこそ山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
・便利漬けだからこそ山暮らしで不便暮らしをすべきだ
・人が多い町育ちだからこそ人の極端に少ない山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
・社会や周辺の影響を受ける都会育ちだからこそ孤独で自立出来る山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
都会は、良さそうに見えるだけ、現実には自然豊な広々とした山や田舎のほうが数倍楽しい
1)家: ・狭い ・土がない ・庭がない ・自然がない ・川がない
2)人口が密集 ・自動車が多い ・大気汚染 ・人があふれている ・満員 ・高齢化人口減少
3)リスク: ・大地震 ・テロ ・大災害 ・戦争 ・食料確保 ・水確保 ・夏猛暑
4)インフラ: ・水道 ・電気 ・ガス燃料 ・道路 ・介護施設 ・病院施設 ・近所付き合い
こういうストレスによって都会の人間はますます小さく、ひ弱になって行き、悩み・苦しみが増す
追伸
都会は便利で豊ではない、今や田舎のほうがずーっと便利で豊な暮らしを享受できるのだ
今だけで都会と田舎を比較してないか、10年もすると都会の状況は悪化する、後悔先に立たず
友人なんかいらない、病院なんか近くの都会に出かければよい、買い物はネットでやればよい
いつまでもあると思うな親と金 = いつまでもあると思うな都会の暮らしやすさ
少なくとも田舎に暮らすチャンスが来たら、かつての私のように甘んじて受け入れることを勧める
目下売り出し中の私が55歳から住んできた長尾のログハウス付近の秋の景色です
滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
出来た・出来ます
安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円
安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。 9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル
テーマ
何もない(?)田舎で人生を深める楽しさ⇒田舎こそ都会人の住むところ
都会偏重への警告:都会への集中は第二次大戦の日本人の考え方やあり様に似ていないか?
概要
1.世間の状況 都会が良い、都会を離れたくない・・・政治家や経営者の仕向け・仕掛け
経済発展に伴って、都会で生まれ、都会で育ち、田舎から都会へ、そして都会で老いて行く
田舎や山奥は限界集落などと、いかにもしょうもない、つまらない場所だとレッテルを貼る
地方再生なんて言うが、都会の人間に地方再生なんて任せたらとんでもないことになる
2.問題点 都会が良いところとは単なる思い込み過ぎない、そんな幻想を捨てることだ
都会がいかにも素晴らしいところ、住めば都みたいな認識をしているが、大いに危険である
都会中心の意識が今にとんでもなく困難が生じ、くだらない幻想であったかを知るはずだ
テレビにインターネットと携帯、宅急便などが普及した時代は、田舎に暮らす時代到来である
税金を無駄使いし、過剰な便利さの都会で嘘誤魔化しの暮らしをしている人々の行く末を案じる
都会は経済衰退、インフラの老朽化により、むしろ安全でなく、不安で、不便な場所になって行く
精神的にも、身体的にも、生活的にも、そろそろ限界なのは都会であり、限界都会なのだ
今こそ周辺の田舎に逃げるのにもっとも良い時期であり、最後のチャンスなのだが・・・・・
3.私はどうしたのか、何をしたのか 偶然55歳で山に篭れた、何たる出会い、神の導きか?
東京・大阪・京都と都会生まれ、育ちの私だが、今73歳滋賀県の田舎町で迎えている
それ以前に55歳から山奥ログを購入し、コンサルタントをしながら18年ひっそりと暮らしてきた
目下、山暮らしのログハウスを売りに出しているが買う人はいない、山の暮しをする現代人は激減
でも、現代人だからこそ、単なる腰掛ではなく、山暮らしを長く体験して欲しいと願う私であります
4.私はどうなったのか 山は都会の影・形もなかった、実に爽やかな18年で生まれ変わった
都会育ちの私だったが、都会嫌い、田舎こそが人間が暮らすべき場所という認識に変わった
都会は京都でさえ、今や好きになれない、時々子供が住む京都に帰るが耐えられない
狭い、空き地も野原も畑も川もない、やたらに人と車が多い、魅力など全くない、息が詰まる
私の専門の経営管理の見地から都会を分析すると、一見良さそうだがが、多くの大リスクを実感
これまで都会は良かったし、今も良い、多分今後も良いだろうは、安易すぎるし大間違いだと思う
実は人口減少・高齢化・経済停滞で困るのは地方以上だと私は推察する
膨大なインフラの維持管理のお金がないので50年以上の古い設備も破損が一挙に進む
5.一体なにが原因で出来ないのか 都会育ちは不便・人がいない・面倒・虫・暗闇を怖がる
・いざという時に不安、都会には病院があるが、田舎にはまともな病院がないから田舎は駄目
・友達や知り合いが都会に住んでいるから、離れられない
・田舎はつまらない、買い物も遊びも仲間も限定される
・田舎は地味、あでやかな都会に慣れている人間には到底耐えられない
そういう風に何事も都会は素晴らしい、楽しい、便利で友達も多いと絶賛を止めない
しかし長い山暮らしを体験した私からすると、堕落・依存・博打・快楽・短絡的・・・に過ぎない
6.提言 そろそろ限界に来ている、その限界都会に何故か人がどんどん群がっている
限界集落が増えているのは一体何を意味するのか?巨大鼠集団が崖プチから落ちて行くようだ
都会が良いという意識もそろそろここ数年で剥げ落ちて行くが、それは都会が崩壊しつつあるからだ
都会は、このままずーっと便利で、楽しく、快適であり続けるという幻想がいつまで続くやら・・・?
都会に満足して暮らす姿は、例えると肥溜めに良い風呂だと気持ちよく浸かっている姿に似ている
”都会が良い/田舎は駄目”という思いは、田舎暮らしを体験しないことそれ自身が災いしている
「外国暮らしなら良いが田舎暮らしなんかする意味もないし、したくもない」というのが大方の認識だ
私は全くそうは思わない、親として子供達に山や田舎で暮らすことを体験させてやって欲しい
・都会育ちだからこそ山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
・便利漬けだからこそ山暮らしで不便暮らしをすべきだ
・人が多い町育ちだからこそ人の極端に少ない山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
・社会や周辺の影響を受ける都会育ちだからこそ孤独で自立出来る山暮らしや田舎暮らしをすべきだ
都会は、良さそうに見えるだけ、現実には自然豊な広々とした山や田舎のほうが数倍楽しい
1)家: ・狭い ・土がない ・庭がない ・自然がない ・川がない
2)人口が密集 ・自動車が多い ・大気汚染 ・人があふれている ・満員 ・高齢化人口減少
3)リスク: ・大地震 ・テロ ・大災害 ・戦争 ・食料確保 ・水確保 ・夏猛暑
4)インフラ: ・水道 ・電気 ・ガス燃料 ・道路 ・介護施設 ・病院施設 ・近所付き合い
こういうストレスによって都会の人間はますます小さく、ひ弱になって行き、悩み・苦しみが増す
追伸
都会は便利で豊ではない、今や田舎のほうがずーっと便利で豊な暮らしを享受できるのだ
今だけで都会と田舎を比較してないか、10年もすると都会の状況は悪化する、後悔先に立たず
友人なんかいらない、病院なんか近くの都会に出かければよい、買い物はネットでやればよい
いつまでもあると思うな親と金 = いつまでもあると思うな都会の暮らしやすさ
少なくとも田舎に暮らすチャンスが来たら、かつての私のように甘んじて受け入れることを勧める
目下売り出し中の私が55歳から住んできた長尾のログハウス付近の秋の景色です
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