村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

351.今年も京都に戻ってきましたが、直後の今の感想です

2013-11-15 09:33:55 | 暮らし
村上和隆 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189?10
村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言

山から帰って3日目になるが、都会は幻滅に近い空虚さ
山に比べて生暖かい、人間の本来的な所業・営みがない
子供達の遊ぶ姿は、凄まじく非人間的な痛々しさがある
老人社会で少数の子供達は、やる気・元気を失っている
子供は冬の猫のように、パソコンやゲームにしがみつき
部屋に篭って、ますます小さく、丸くなる
山から都会に戻ったばかりで物珍しさを少しだけ感じるが
長年山暮らしをする私の目には、都会は、ひどく死んでいる


元気で生きているようだが、確実に老い、病み、死んでいる
周囲はアスファルト・コンクリートで無機質だ
その無機質の中を無機質な人々が必死にうごめく
無機質というものが何かを生み出すとでも信じ

これでもか、これでもかと無機質を増やし求め続ける
無機質をこの上なく好む生物のように、無機質に安住する
何故人間はこんな所に住み着いてしまったのか?
もはや、脱出する勇気さえも完全に失っている
若者は全く違和感を感じることなく同化(どうか)している
歳寄りも事情があって、無理やり同化(どうか)している

なんと最近は蜂も鳥も猿も都会暮らしをすると言う
蜂も鳥も猿、お前もか?
この調子で、人だけでなく獣や鳥や昆虫で溢れかえってしまうのか?

私にとっては、つまらん・くだらん・味気ない・無駄・陰鬱
いかに京都であっても、都会であることに変わりない
「京都は並みの都会とは違い自然や趣がありますえ」でも
むしろ京都はもっとも怪しげな千年の都なのかもしれない
京都も古い良き京都と俗悪な京都が凄まじく入り交ざる

良き日本の伝統を残した京都もご多分に漏れず俗悪都市化が進む
京都や日本は、日本より海外で憧れと称賛をもって迎えらている
日本は世界有数の山国、京都も山や川の自然から文化を発祥している
しかるに今は無機質化の進む都会として京都も息絶え絶えだ

豊さや便利という名の元に、人間は奴隷のようにひれ伏し隷属する
誰もおかしいとも、異常だとも、直そうとも思わない
そんな気力も・情熱も失せて、更にどんどん衰退していく

そんな都会の人々が怪しげに、人間の尊厳や人生の価値を語る
万物はバランス、相反するものをぶつけ合わせて、調和させる
都会に暮らす者は、せめて1/3くらいは自然に暮らすべきだ
極度にバランスを崩すことは非常に危険だ、崩壊の道を辿る

例年のごとく、冬を無機質な都会で暮らして、春の山を待ち焦がれる
都会に身を置くことも私にとっては、あながち無意味でもない
健常者が病気をし、金持ちが貧乏し、自由人が牢獄に入るように
都会に暮らす人には誠に恐縮ですが、地獄の体験、地獄を診る3か月です
3か月の京都暮らしは地獄を私が反面教師にする修羅場、修行の場なのです
私にとっては、嫌々ながら、バランスをとる3か月であるが
人が失ったものを深く見極めるには、ほど良い冬の3か月なのだろう
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