村上和隆
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言
洪水で山の水が断水1週間なんてことがときどきある
都会の道路・橋・水道・下水・インフラは致命的なまでにひどく傷んでいるが
山もインフラが老朽化している、しかし私有地のため役所の補助は全くない
現地にお金を落とし、山の管理をしているのに冷たい
あくまで貧乏な自治会で100%対処せねばならない
自治会で、山の深い谷底の川の水をせき止めてポンプで汲み上げる
それを更に山の頂上に上げて頂上の大型タンクに貯める
そこから山の道路際に埋め込んである老朽化した水道を経由して家庭に配水されている
自治会に、毎年水道料含めておおかた3万円を払っている
最近段々断水の回数も期間も増えてきた、当然各自防衛しなくてはならない
役所も誰もやってはくれない、最悪自分で水を確保しなくてはならない
地元の麓の農家は水も下水も完備し道路舗装も冬の雪かきも全部役所がやってくれる
別荘地のほうが数倍過酷で地元の数倍大変である、自立・自律・自活なのだ
断水の防衛策として事前に予備のタンクに水を貯めて凌ぐ
麓には市の水道蛇口が一つあり飲み水は、ペットボトルにいつも汲んでくる
水運搬に、専用の軽トラックを使っている、
夏場は、麓の市の水道の蛇口の場所まで身体を洗いに行くこともできる
しかし冬はそうもいかず朽木温泉に行くことになる
(朽木温泉は、バイクで20分、10km、600円也)
よくテレビで毎日温泉に入るなんていうシーンがあるが、
歩いて行けるわけでもなく、そんな毎日行ける状況ではない
昨今、共同風呂、銭湯が少なくなったのは環境に悪く残念だ
自動車も乗合バスにすべきだが田舎では自家用車は一人一台だ
もっと昔のように皆が共同で環境に良いことを真剣に復活させなくてはいけない
でも都会や田舎でも地元の人はもう便利な暮らしや役所まかせの生き方に慣れてしまった
1週間以上も断水すると困るのは洗濯だ、災害の時それを実感するはずだ
私らはほとんど年中そんなことがある、でも今はそんなに驚きも、困ることもない
それなりに自立・自律・自活ができているのだ、環境は人を変える・逞しくするのだ
トイレや風呂や料理や皿洗いは、まあそれでもどうにかなる
洗濯はかなりの量、節水しても、一回で100リッターのタンク一杯使う
改めて100リッタータンク一杯分その多さびっくりする
都会で蛇口からじゃんじゃん湯水のように使う姿を見ると情けなくなる
全く苦労したことのない人間がすごく苦労している人間に文句をぶちまけるくらい無様なものはない
文句言うのならば一通り自分でも苦労してから言え
小さな子供が親に「人生とはなー・・・」なんて文句言っているようなもんだ
山で私は、トラックにステンレスタンクを積み麓から水道水を運ぶ
その水を洗濯漕にバケツで移し替えるのが歳寄りにはつらく困難になる
でも、東南アジアやアフリカで毎日何回も水を汲むつらさは想像を絶する
年寄りには無理なので、約6400円の水中ポンプを購入した
雨の日は、雨水を貯める、これが洗濯に使える
こんなことも山では当たり前になる雨が降るとすごく嬉しい
昔、適水禅師なる高僧が、水の一滴も無駄にしなかったそうな
やっと、その心境がわかるような気がする。以前は大げさな奴だと思っていたが
東南アジアやアフリカでは日々、水を小さなポリタンクに汲み
子供が毎日何回か遠いところまで運ぶ映像を何回か見たが
それに比べると豊かで便利な日本では、どうってことはない
日本でも山奥に住む老人は多いがそういう人でも私以上の苦労を平然とやっている
大震災や大津波、来るのはわかっているが、準備や予防はしていない
起きてから、やれ想定外だの、あーでもないこーでもないと騒ぎ出す
マスコミも一斉に、やれ政治が悪いの、役人が悪いのと騒ぎ出す
都会では蛇口をひねれば、いつでも綺麗で美味しい水が無尽蔵に使える
昔はともかく最近は蛇口をひねって水が出ないなんてことはまるで信じない
彼等のできることは、すぐに役所に電話して文句を言うくらいのことだ
最近の災害の映像を見てもまあ、「誰かが何かをやってくれるはずだ」と言う態度だ
碌な準備も予防もしていないくせに、誰一人自分で何とかしようとはしない
電気もガスも下水も止まるなんてことは想像すらしてない、起きたら抗議
都会ではどんなことでも「政治家や役人のせいだ」で済ませてしまう
テレビは政治家や役人がどのように問題なのかを必死に討議し報道する
水・電気・ガス・下水1週間10日も止まるなんてことは誰も想定していない
水・電気・ガス・下水は自分自身がほとんど何の努力もしていないものなのだ
何も努力してもいない人間が断水や停電になればすごい剣幕で怒りまくる
まあ都会の人は困ったものだ「俺らはお金出しているのに」とさんざ息巻く
一度、東南アジアやアフリカの子供達の暮らしを一月・一年させてみたいのもだ
立派な事を言うが、子供達以下、そういうことを認識できないのが都会人
先にくたばるのは日本人で、現地の子供は平然として暮らすことだろう
私は山であれこれ不便な暮らしを15年して来たが、そのおかげで
長期の断水にも遭遇し、おかげで水の有難味を知り得るようになってきた
たまたま水の場合であるが、山では何事も、都会に比べて不便は多いし
何かあれば自分自身で、役所に文句すら言えず、全部対応しなくてはならない
いざ水に困ると雨水も本当に有難いを実感
人間いざ困ってみないとものの有難味はわからない
1.健康を無くして
2.お金を無くして
3.親を無くして
4.若さを無くして
5.食糧を無くして
6.家を無くして
7.妻や夫を無くして
8.電気・ガス・石油を無くして
9.元気・気力を無くして
10.機械・道具を無くして
11.水を無くして
12.材料・資源を無くして
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無くしてわかること、無くさないとわからない
無・空・虚は物事の根本・原点ですが、現代人は原点を忘れている
都会人は、自分では何一つできないのに威張り散らす
原発反対は私も賛成ではあるが、私はあくまで謙虚に節約している
都会の人間が原発で危険を冒して電気を作っている人を馬鹿よばわりするのは
許せない、そんな人間に限って電気を無駄に使っている、そんなに言うのならば
「自分で電気作れよ」「節約せよ」と言いたくなる
せめても自分でお金出して太陽光発電でもすべきではないか?
「電気・水道・ガス・下水を使わしてもらっているのであれば、文句を言うな」
都会の人間の意識が多くを依存しているのに、
1.感謝しない
2.作らないし、作り方も一切知らない
3.文句ばかり言う
4.批判・非難・批評ばかり
5.何の努力もしない
6.無駄使いは平気
7.予防策・代替策を講じない
8.いざという時何もできない
9.値上がりすれば安易に不満をぶつける
10.自然エネルギーや資源を利用しない
11.節約の努力・工夫は一切やらない
12.いよいよとなればお手上げ
水・電気・ガスに限らない、都会人の根源的な問題が潜在しているのだ
何もできないのに文句ばかり言う、マスコミも同調して文句を手伝う
政治家はその文句をどう解決するかに勤しむ
これが現代の社会や政治の本質となっている、そして
都会だけでなく田舎も含めて日本人のほとんどがそういう体質になっている
山に暮らして是非不便というものに戻って暮してみて欲しいものです
人間の暮しは元々不便なものなんですよ、災害も多いものなんですよ
資源エネルギーはそのうち絶えるのですよ、
便利で豊かな社会は当たり前・永遠ではありませんよ
文句ばかり言うのであれば「貴方、原点に帰りなさい」「山奥で暮らしなさい」
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会
村上原基今日の一言
洪水で山の水が断水1週間なんてことがときどきある
都会の道路・橋・水道・下水・インフラは致命的なまでにひどく傷んでいるが
山もインフラが老朽化している、しかし私有地のため役所の補助は全くない
現地にお金を落とし、山の管理をしているのに冷たい
あくまで貧乏な自治会で100%対処せねばならない
自治会で、山の深い谷底の川の水をせき止めてポンプで汲み上げる
それを更に山の頂上に上げて頂上の大型タンクに貯める
そこから山の道路際に埋め込んである老朽化した水道を経由して家庭に配水されている
自治会に、毎年水道料含めておおかた3万円を払っている
最近段々断水の回数も期間も増えてきた、当然各自防衛しなくてはならない
役所も誰もやってはくれない、最悪自分で水を確保しなくてはならない
地元の麓の農家は水も下水も完備し道路舗装も冬の雪かきも全部役所がやってくれる
別荘地のほうが数倍過酷で地元の数倍大変である、自立・自律・自活なのだ
断水の防衛策として事前に予備のタンクに水を貯めて凌ぐ
麓には市の水道蛇口が一つあり飲み水は、ペットボトルにいつも汲んでくる
水運搬に、専用の軽トラックを使っている、
夏場は、麓の市の水道の蛇口の場所まで身体を洗いに行くこともできる
しかし冬はそうもいかず朽木温泉に行くことになる
(朽木温泉は、バイクで20分、10km、600円也)
よくテレビで毎日温泉に入るなんていうシーンがあるが、
歩いて行けるわけでもなく、そんな毎日行ける状況ではない
昨今、共同風呂、銭湯が少なくなったのは環境に悪く残念だ
自動車も乗合バスにすべきだが田舎では自家用車は一人一台だ
もっと昔のように皆が共同で環境に良いことを真剣に復活させなくてはいけない
でも都会や田舎でも地元の人はもう便利な暮らしや役所まかせの生き方に慣れてしまった
1週間以上も断水すると困るのは洗濯だ、災害の時それを実感するはずだ
私らはほとんど年中そんなことがある、でも今はそんなに驚きも、困ることもない
それなりに自立・自律・自活ができているのだ、環境は人を変える・逞しくするのだ
トイレや風呂や料理や皿洗いは、まあそれでもどうにかなる
洗濯はかなりの量、節水しても、一回で100リッターのタンク一杯使う
改めて100リッタータンク一杯分その多さびっくりする
都会で蛇口からじゃんじゃん湯水のように使う姿を見ると情けなくなる
全く苦労したことのない人間がすごく苦労している人間に文句をぶちまけるくらい無様なものはない
文句言うのならば一通り自分でも苦労してから言え
小さな子供が親に「人生とはなー・・・」なんて文句言っているようなもんだ
山で私は、トラックにステンレスタンクを積み麓から水道水を運ぶ
その水を洗濯漕にバケツで移し替えるのが歳寄りにはつらく困難になる
でも、東南アジアやアフリカで毎日何回も水を汲むつらさは想像を絶する
年寄りには無理なので、約6400円の水中ポンプを購入した
雨の日は、雨水を貯める、これが洗濯に使える
こんなことも山では当たり前になる雨が降るとすごく嬉しい
昔、適水禅師なる高僧が、水の一滴も無駄にしなかったそうな
やっと、その心境がわかるような気がする。以前は大げさな奴だと思っていたが
東南アジアやアフリカでは日々、水を小さなポリタンクに汲み
子供が毎日何回か遠いところまで運ぶ映像を何回か見たが
それに比べると豊かで便利な日本では、どうってことはない
日本でも山奥に住む老人は多いがそういう人でも私以上の苦労を平然とやっている
大震災や大津波、来るのはわかっているが、準備や予防はしていない
起きてから、やれ想定外だの、あーでもないこーでもないと騒ぎ出す
マスコミも一斉に、やれ政治が悪いの、役人が悪いのと騒ぎ出す
都会では蛇口をひねれば、いつでも綺麗で美味しい水が無尽蔵に使える
昔はともかく最近は蛇口をひねって水が出ないなんてことはまるで信じない
彼等のできることは、すぐに役所に電話して文句を言うくらいのことだ
最近の災害の映像を見てもまあ、「誰かが何かをやってくれるはずだ」と言う態度だ
碌な準備も予防もしていないくせに、誰一人自分で何とかしようとはしない
電気もガスも下水も止まるなんてことは想像すらしてない、起きたら抗議
都会ではどんなことでも「政治家や役人のせいだ」で済ませてしまう
テレビは政治家や役人がどのように問題なのかを必死に討議し報道する
水・電気・ガス・下水1週間10日も止まるなんてことは誰も想定していない
水・電気・ガス・下水は自分自身がほとんど何の努力もしていないものなのだ
何も努力してもいない人間が断水や停電になればすごい剣幕で怒りまくる
まあ都会の人は困ったものだ「俺らはお金出しているのに」とさんざ息巻く
一度、東南アジアやアフリカの子供達の暮らしを一月・一年させてみたいのもだ
立派な事を言うが、子供達以下、そういうことを認識できないのが都会人
先にくたばるのは日本人で、現地の子供は平然として暮らすことだろう
私は山であれこれ不便な暮らしを15年して来たが、そのおかげで
長期の断水にも遭遇し、おかげで水の有難味を知り得るようになってきた
たまたま水の場合であるが、山では何事も、都会に比べて不便は多いし
何かあれば自分自身で、役所に文句すら言えず、全部対応しなくてはならない
いざ水に困ると雨水も本当に有難いを実感
人間いざ困ってみないとものの有難味はわからない
1.健康を無くして
2.お金を無くして
3.親を無くして
4.若さを無くして
5.食糧を無くして
6.家を無くして
7.妻や夫を無くして
8.電気・ガス・石油を無くして
9.元気・気力を無くして
10.機械・道具を無くして
11.水を無くして
12.材料・資源を無くして
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無くしてわかること、無くさないとわからない
無・空・虚は物事の根本・原点ですが、現代人は原点を忘れている
都会人は、自分では何一つできないのに威張り散らす
原発反対は私も賛成ではあるが、私はあくまで謙虚に節約している
都会の人間が原発で危険を冒して電気を作っている人を馬鹿よばわりするのは
許せない、そんな人間に限って電気を無駄に使っている、そんなに言うのならば
「自分で電気作れよ」「節約せよ」と言いたくなる
せめても自分でお金出して太陽光発電でもすべきではないか?
「電気・水道・ガス・下水を使わしてもらっているのであれば、文句を言うな」
都会の人間の意識が多くを依存しているのに、
1.感謝しない
2.作らないし、作り方も一切知らない
3.文句ばかり言う
4.批判・非難・批評ばかり
5.何の努力もしない
6.無駄使いは平気
7.予防策・代替策を講じない
8.いざという時何もできない
9.値上がりすれば安易に不満をぶつける
10.自然エネルギーや資源を利用しない
11.節約の努力・工夫は一切やらない
12.いよいよとなればお手上げ
水・電気・ガスに限らない、都会人の根源的な問題が潜在しているのだ
何もできないのに文句ばかり言う、マスコミも同調して文句を手伝う
政治家はその文句をどう解決するかに勤しむ
これが現代の社会や政治の本質となっている、そして
都会だけでなく田舎も含めて日本人のほとんどがそういう体質になっている
山に暮らして是非不便というものに戻って暮してみて欲しいものです
人間の暮しは元々不便なものなんですよ、災害も多いものなんですよ
資源エネルギーはそのうち絶えるのですよ、
便利で豊かな社会は当たり前・永遠ではありませんよ
文句ばかり言うのであれば「貴方、原点に帰りなさい」「山奥で暮らしなさい」
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