村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

83.若い時に苦難や苦労が多いのは当然だ

2007-04-02 20:52:39 | 人生
若い時、まあ10~50歳くらいは、人は真面目な人ほど、努力する人ほど、多くの苦難や苦労が襲いかかってくるものらしい。苦難や苦労が多い人はその人が有能である勲章なのだ。
戦争末期に東京で生まれ・物のない時代に育ち、間違って東京工業大学などと身の丈以上の大学に入ってしまい、親族の全くいない大阪の松下電器に単身赴任し、10年目に会社を一度転職し、38歳で再度ロームに転職し・妻が癌で手術を繰り返し・あげく他界し・子供を育てながら・54歳で会社を辞め・55歳でコンサルタントを自営し・今度は自分が癌になり・・・・まあ世間並みかやや多い苦難や苦労を味わってきた。その都度次のように思ったものだ。

 ①なんで、こんな苦しいことが自分に降りかかるのか
 ②なぜ、いつまでも楽にならないのか
 ③なんで、次から次につらいこと、嫌なことが起きるのか
 ④もうどうにもならない、もう駄目だ、助けてくれ
 ⑤どうしよう、大変だとんでもないことが起きた
 ⑥やっと問題が解決できたと思ったら、またまたもっと困難な問題がおきた
 ⑦いつになったらこんな苦しみから解放される時期が来るんだろう
 ⑧いっそのこと、もう頑張るのを諦めようか
 ⑨いっそのこと苦しいことから逃げて楽な方に進もうか
 ⑩酒だ・女だ・博打だ・・・とあらぬ方向に走る
 ⑪俺はつくづく駄目な人間だ、自分に愛想が尽きた
 ⑫神仏に御願いしても一向にかなえてくれない、自殺でも?

昔の若い頃のことを思い出すと、次から次にいろんな苦難・苦労が降りかかってきて、自信も経験も能力も金も権力ない若さだけしかない自分にとっては、つくづく、「もう勘弁して欲しい」と何度も思ったものだ。占い師が「望ましくない背後霊がついています」なんて口からでまかせを言うが、もしそうであれば若者にはみな望ましくない背後霊がついているということに他ならない。そのとおりほとんどの若者には、何か神がかったものがついているのだ。それがとれるのはかなり年数が経ってからだ。
そういう苦難に対しては、苦しい・しんどい・心配だ・解決の道が見つからない・夜も眠れない・自分の無能さに嫌気がさす・他人がすごく偉く見える・それに引き換え惨めな自分・・・・・となるのは当然なことだ。
「はたらけど はたらけど猶わがくらし楽にならざり じっと手を見る」「友がみなわれより偉く見ゆる日よ、花を買って来て、妻としたしむ」若き石川啄木にしてこうだったのだから、自分ふぜいが惨めさ・お粗末さをつくづく思うのも無理もないことなんだろう。

おかげさまで、どうやら自暴自棄にもならず、自殺もせず、落ちこぼれることもなく、どうにかこうにか歳を重ねてきた。
生き物というのは、なにも人間に限らず、魚でも虫でも鳥でも獣でも例外なく日々つらいことの連続なのである。そういう過酷な自然界や社会において、多くのたまごや子供の中で僅かに無事生き残ったものだけが、成長し次の子孫を産み育てるという繰り返しをしているのだ。人間だけが格別大きな苦難に遭うのではない。むしろ人間の苦難などしれたものだったり、贅沢な悩みなのかもしれないのだ。

私の場合について言えば、、そういう苦しい若き時代を経て、50歳過ぎた在る日突然のように、かなり大きな苦難がまたまた、やってきた、しかしどうだ、そんな大きな苦難に対してかなり冷静かつ的確に対処できるようになっているではないか。
当時を思い起こすと、「なんだこれは・すごく自分も替わったなー」と何となく思ったものだ。「ひょっとして俺って成長したのかな?」「なんでこんな大きな苦難なのに冷静に対処できるんだろう?」「何だろう?」苦しいことでもあるのに拘わらず、少しくすぐったいような嬉しいような気分になったのを今でも覚えている。苦しい状況だから、そんな嬉しがっている場合じゃないのだが、かなり冷静であった、大人になったような気分さえ込み上げてきた。
その後も大きな苦難がやってきたが、あまり物怖じせず、むしろ「何とかやるぜー、何とかなるぜー」と余裕の笑顔で落ち着いて考え・行動できるようになってきた。そして困難・苦難を無事切り抜けたばかりか、むしろ満足するような結果になって自信を深めて行く自分を見出すようにさえなってきた。

学校のテストに例えると、若い時は、計算問題や暗記問題は解けるが、応用問題は全く歯がたたない。しかし50歳以降は、かなり難しい応用問題でも余裕をもって、解けていくような感じになってきたのだ。まあもっとも、もしそうでなければ大人になった意味も価値もないのだろうが。
蛇のように、人間にも、心の脱皮の時期がある。そして大人になっても何回か脱皮を繰り返すのである。いつまでたっても脱皮しないまま大きくなった大人は子供のままであるというわけだ。まあ人生には多くの出口と入り口みたいなものがあって、常にそこを入ったり出たりする、そうしているうちに、新しい入り口でもスーと入ってスーと出てこられるようになるようだ。
多分昔の若い頃であったら、深刻に悩み、落ち込み「一体人生とは?神仏の存在は?苦とは?死とは?・・・・」なんて、哲学少年のように狼狽し、ひたすら不安と心配で夜も眠れず、暗い顔して、悩むだけで、結果が出ないまま、ひたすら、うろたえていたであろう。入り口から勇気をもって入ることできず、入れば入ったで中でグルグル堂々巡りし、なかなか出口から出ることができない、そんな時期だったんだろう。
しかし、いつからこんなに変わったのだろうか?若い時から真面目に生きてくれば、幾多の苦難に負けなければ、それなりの大人に変身できる、本当に有難いことだ。苦難に揉まれ。もがいている中に、春になって桜が見事な花を咲かすように、いつの間にか成長して行くんだ。本格的な悟りというのは、何十年もつらい修行をした高僧にだけ起きることらしいが、凡人でもそれなりに努力をし苦難を乗り越えてくれば、ミニミニ悟りみないなものがあるのだろう。

若い時に悩むだけで結果が出ない理由は当然のことなんだ
 ①若い時は、苦しみは皆、初めての体験ばかり
 ②若いから、苦難へ対処した経験がない
 ③若いから、次から次に失敗の連続になる
 ④若いから、知恵もなく、考えることもお粗末
 ⑤若いから、力も金もない
 ⑥若いから、余裕がない、あせる、うろたえる、決断できない
 ⑦若いから、臆病で、失敗を恐れる
 ⑧若いから、いろいろ壁を作ってしまう
 ⑨駄目なわりに、謙虚に人に教えてもらおうとしない
 ⑩全てにおいて、尻が青い
 ⑪未熟者のわりに格好つけたがる
 ⑫未熟者のわりに努力を惜しむ

まあそういうことだが、神様は次々に苦しい宿題・試練・応用問題をお出しになる。そういう苦しみを、黙々と何度も潜り抜けられた者にだけに、ご褒美をお与えになる。人間は初めてのことに臆病だ。分からないし経験がないから当然だが、人生というのは死ぬまで新しいことばっかりだ。とすれば新しいことが向こうからやってきても対処できる能力というものを身につけない者は生涯臆病で、失敗を続け、真の幸せを実感することがないということになる。まあ一生涯かかるのだが、新しい苦難がやってきても動じない・狼狽しないで冷静に対処できる人間になる努力をしようではないか

最後にもう一言、苦しいことを苦しいと思って悶えて切り抜けて行くことは正常なことであり、極めて健全なことだから、くれぐれもそういう苦しみに負けないようにだけはして欲しい。本当に苦しく自殺でもしたいなんて場合は「休め」「一時的に逃げろ」である、というのは、人間や生き物の若い時期は、そんなに強くないのだから。
http://www.meico.org/p19.html
http://www.meico.org/p14.html

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