村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

462.私が滋賀県安曇川は住み良いとする根拠

2018-09-09 14:48:01 | 暮らし
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク⇒人生勉強会

出来た・出来ます
テーマ:私が滋賀県安曇川は住み良いとする根拠
     最近の巨大災害との関連も含めて

東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀県高島市安曇川そして現在は安曇川の町に
都会育ちの私を滋賀県の限界集落の安曇川が何故引き留めているのか?
念のため言っとくが、日本の中で格別安曇川が一番だということではない
結婚相手同様、必しも日本一ではないが、めぐり逢ったのが安曇川だった
もっと素晴らしい地域を見つけて引っ越したいが、簡単にはいかない
年齢や金に制約があるので、結婚同様、ある程度妥協も必要だ

土地を探し、ビビットきたらそこが年貢の収めどころなんだと思う
私の場合それがたまたま滋賀県の琵琶湖畔の安曇川だったということだ
3年前に、更に安曇川の山から町に降りて来て更に田舎暮らしを続けている

都会が良いからと過剰に人や家などが集中する現象は、リスク増大だ。
そういう状況を見逃さず、冷静に「こりゃリスクだ」と認識し、
都会に近い田舎に、より安全で快適な場所を探すことをお勧めする
もし出来れば、私のように都会の家を残して田舎暮らしをするのが最適
その場合、都会の家は、やはり都会らしく便利で快適が良かろう

今回も台風21号や北海道の地震でも都会が安全な場所という保証は
剥ぎ取られた感がするが、私はかなり以前から”都会リスク派”である

災害時に都会が大きく依存しているものが利用できなくなり大きなリスクに
 ・エレベーター利用
 ・交通機関利用
 ・マンションの水のポンプアップ
 ・食料供給
 ・地下ガス配管がズタズタ(田舎は家庭毎のプロパンガス)
 ・超大量な災害ゴミ
 ・大量浸水予定地域住民⇒大量疎開
 ・復旧の困難による長期間
 ・ビル風による風力倍増、瞬間風速80m!!
 ・暴風による大量飛散物

今回の暴風や豪雨などから災害の想定を根本から見直す時期になったと実感した
私が安曇川にログハウスを買い、田舎に住み続けてきたきっかけの一つが防災だった
防災に適した場所に移り住むというのを、別の重要なテーマにしてきた

都会の鉄やコンクリート建築やインフラも安全とは言いきれなくなった
むしろリスクになることが実証された、どこに住むべきか改めて問われている
都会安全神話+被災後どうにかなる神話は崩壊した
都会が良いとか田舎が良いとかでなく、自分自身で調査分析すること
都会は、土地が高いので、そういう意味では、金持ちを除き、不適格だ
災害大国の災害リスク回避を目的に、55歳から田舎住まいを始めた

話変わって旅行・観光・移動についてだが
都会に住むと何かと旅行や観光をする人が多い、頻繁にあちこち移動する
都会人は素晴らしい都会にも拘らず、都会にじっとしていない、落着きがない
そんなに都会が素晴らしいのだったら、あちこちウロウロ観光する必要はない
実はこれもリスクである。私は60歳以降、田舎でじっくり腰を据えている
現実に75歳隠居の私は、旅行しなくなった、どこに行っても大したことはない
一体何のために旅行や観光をするのか?多分都会暮らしのストレス解消だろう
観光地は人が造ったものが大半で、そんなのを素晴らしいと思うのは都会人だけ
元々自然であったものでも、何やかやと人の手をごてごてと付け加えたものだ
その点、安曇川は、そういうことをしない自然の残った町だ(お金がないのだ)

観光は受け身であって、旅行先では主体的に自分を動かすことは出来ない
この広々とした、自分のやりたいことが出来る、自然豊かな田舎の家にくらべ
都会人は、観光でさえも、自分を他人の造った枠組みの中に楽しみを求める
都会人は、もっと素朴さ・自然さ・単純さに慣れ・親しめなければいけない

災害時の田舎の利点は次のように多い、すなわち被害が絶対的に小さくてすむ
田舎はどげんかなる、都会はどげんかならない場合があり、かつ多い
 足は自動車、ガスはプロパン、空地は沢山、火事の類焼の危険が少ない、
 水は川や井戸を使える、人は少ない、避難場所も広く使える、
 地元にも食料ある、田舎から一時都会に引っ越し・帰れる、・・・・・
今回の21号台風の暴風による安曇川の被害は、都会より小さかったように思う
むしろ、今回は田舎の被害が小さいわりに、都会の想像を絶する被害が目立た
恐怖を遥かに超えていた。早く都会から逃げたくなった人もいるだろう?

台風の強い風を正面に受けるように設置した倉庫の倒壊は多かった

 東南方向は鬼門だ、地面の固定がなかったのも主な原因

駐車場の向きや構造により屋根のプラスチックの剥がれ
 台風の強い風を屋根がまともに受けるような場合はまずい
フェンスの倒壊(倒れたので立て直し、再発防止もしてみた)

 風が抜けるようにするか頑丈に固定することが大事
 暴風でも倒れないように、その時だけ、事前に突っ張りをするように改善

その他波板の飛散はすごく多かった、しっかり固定しましょう
しかし比較すると
暴風に対しては、田舎より都会のほうが大型・重量物が飛散し倒壊する

とにかく都会は狭い土地に多くの人間が住むために万事に無理だらけ
分かりやすいのは停電の場合である、都会では、ほとんど身動きさえ出来なくなる
マンションはエレベーター使えない、水も出ない、風呂もトイレも使えそうもない

 どうにかこうにか維持できているが、余裕のないのが都会だ
 場所さえきちんと選べば、田舎は無理がなく余裕もある、安全係数は高い
 限界集落化する田舎は、ある意味、最高の住まいを手にするチャンスだ
 今すぐに、住み方改革こそ最も大事な政策だと思う


田舎に住む私にとっての理由の基本は次の8つである
 1.自然と自然の恵み
 2.行動の自由度大
 3.田舎と言っても都会近郊
 4.静かさ・穏やかさ
 5.人間本来の生き方
 6.安全でゆったり
 7.安価で広い家と庭
 8.物価安
(駐車場・賃貸料・大工・理容・交通費・土地代負担の大きなもの)

物事を選択する時、その根拠を明確にしておくことは大事なのだが
「何故」「何のため」をきちんと明確にする人は案外少ない
暮らしや人生においても科学的に調査(観察)分析が必要で、
これが出来ない人の人生は危ないし全てを失うこともある、何でも調査(観察)分析だ
私や貴方が人生で選択するものをあげてみよう
それらについて「自分はこういう基準で選択している」と明確に説明できるか?
 1.学校   2.住居   3.夫・妻
 4.友人   5.専門   6.仕事
 7.会社   8.趣味   9.暮らし・生き方
 10.宗教   11.先生・師   12.資産運用
以上について、自分自身の選択基準:”なぜ・何のために”を説明してみよう

田中に都会の人が来ると質問を受ける「何故こんなところに住んでいるんですか?」
「何も言わんでも明らかやないか」「こんな良いところ」「いちいち聞くな」と思う
逆に「何故あんなところに住んでいるんですか?」と都会の人に聞き返すのだ
都会の人は田舎の私に問うが、自分自身に問うことはない「慢心」「怠慢」と言う

説明することは、私の場合ごく最近になってからのことで、若き日には
明確にしないで行き当たりばったりで、ヤクザやフウテンのように過ごしてきた
やっと60歳くらいから、「こりゃいかん」自分が選んだものを
「自分で、しっかり説明できないと駄目だ」という意識がやっと芽生えて来た
住居については、特に私は東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀という経歴から
私なりの自己主張を持っている、これらはすでに何回かブログにも書いている
例えば
 ・都会だけでなく田舎に住め
 ・田舎でも山に10年以上住め
 ・親元から離れよ
 ・住む場所を適時変えよう
 ・自分の住みたい所に住め
 ・出来れば都会と田舎の二重生活
 ・便利で住みやすい場所だからと安易に住み続けない

そしてそれらの結果として73歳から滋賀県高島市安曇川町田中に
終の棲家を見つけ現在75歳で田舎暮しを続けている(住民票は京都)
前半で述べたように、今の場所が日本一ではないので誤解のないように
だからと言って、
とりあえず今住んでいる便利な都会がよいと決めつけ
「悪い意味で、住めば都」と惰性でそこに住んでいるのは生き方が甘い
 ・惰性で住み続ける
 ・惰性で夫婦関係
 ・惰性で会社勤め
 ・惰性で友人と付き合う
 ・惰性で趣味を続ける
 ・惰性で特定の宗教に埋没する


その原因・理由は
 ・自分の強い意志がない
 ・自分の考えがない
 ・自分の信念・信条がない
 ・自分の方針や戦略がない
 ・やる気がない、勇気がない、じっとしている
 ・基本となる自分の人生観そのものがない
 ・自分自身がまだ分かっていない
 ・自分自身が未熟だ、経験も乏しい
 ・・・・


安曇川について、より具体的に細かいことを書き出すと
 ①安曇川には工場が少ない(湖西の特徴/湖東は工場多い)
 ②山・川・湖・木・自然が残っている
 ③電車や自動車で京都から近い
 ④自動車少ない、安全快適なサイクリング出来る
 ⑤自動車少ない、高齢者でも運転安全
 ⑥工場・自動車少ない、人少ない、静か
 ⑦浪費しない、夜遊びするところ少ない
 ⑧大型スーパー3軒、新築平和堂とバロー、更に超大型開業予定
 ⑨高島病院改築済み、ヘリポート有、医院も多い
 ⑩湖西道路北小松~安曇川高架工事、日本海へも近い
 ⑪安曇川湖岸に高級リゾート建設中、過去のログハウスも多い
 ⑫琵琶湖湖畔、周囲が山、川が多い春は山菜、夏は釣り、秋は果物
 ⑬中古の家安い、広い、庭付き、ガレージ付き(京都では2000万円が300万円に)
 ⑭田畑の宅地化許可進む・土地に余裕がある
 ⑮場所が良い、比較的災害の被害が少ない
 ⑯京都・大阪では家が高い、狭い、煩いので近くに逃避
 ⑰自然やゆとりや自由さ・災害の大被害などのリスク回避
 ⑱少し郊外に行くと温泉やひなびた村落や自然がある桜や紅葉も見どころあり
 ⑲京都大阪だけでなく日本海・舞鶴・敦賀・小浜・金沢・福井にも近い
 ⑳ 安曇川駅前でさえ土地は空地が多い
 ・近くでアユ釣りが出来る
 ・近くで登山やスキーができる

 田舎では都会では不可能なことが家や庭や空き地で出来る可能性が高い
 私の経験では、例えば、山菜・大工・サイクリング・釣り・自然と交わり・・・

田舎で安いもの:土地・家・駐車場・大工・自家製野菜や果実・山菜・
   土地:田中坪2~1万円、家1/5以下、駐車場1/4~0、大工1/2
 ・無駄使いしないもの:外食・飲み屋・女遊び・グルメ・贅沢買い物・夜遊び
 ・わざわざ行かないもの:自然・川・湖・サイクリング・温泉・登山・釣り
田舎に移って、それをきかっけに自分が自然に変わる、それが貴重なのだ

今後問題になること(特に都会中心の問題)
 注意すべきは、都会ほど、問題によってより大きな影響や結果を生じる
 例えば巨大災害が都会で起きると、壊滅的になると言ったようなことだ
    田舎で起きても日本全体としても、その町自身にとっても壊滅的ではない
 都会は安全で便利な場所と認識している人が多いが、それは平常時についてだけ
 一度冷静に下記の問題点が起きた場合、都会にいるリスクを深く考えることだ
 ①高齢者自動車運転事故
 ②高齢者介護
 ③水道・電気・ガスなどのインフラの劣化
 ④短時間豪雨、都市直下型巨大地震
 ⑤大災害時の大都会の対応限界、
 ⑥大都市停電・大都市ガス停止・大都市断水
 ⑦異常気象・巨大台風・猛暑・熱中症
 ⑧人件費高騰、自分で大工はやるDIY
 ⑨国力低下・景気悪化
 ⑩財政破綻・円安・インフレ
 ⑪保険破綻
 ⑫年金破綻
 ⑬家族崩壊・一人暮らし
 ⑭格差拡大・政治混乱
 ⑮都市に新たな構想でニュータウンを作るのが困難、
  期間・費用が3倍以上かかる
  買収・解体・工事期間・総費用
 ⑯進歩や便利で本当に幸せになったかという基本的反省
 ⑰高齢者には都市型の町で暮す厳しさ、高齢者に優しい町の要求
 ⑱病院不足・介護施設不足(施設も多いが人も異常に多い)
 ⑲地方中心や都会の郊外で住宅価格の低下
 ⑳山の限界集落化、壊滅、山林崩壊、でも都会も縮小幅は巨大だ

以上の変化・新たなかつ根深い問題など何らかの原因によって、
今後、急速に都会に暮らし難くなる人が出てくるのではなかろうか?
そしてそれ以前に都会離れが進むように推測している 
その理由の最大のものは都会のリスク回避だ
田舎暮らしブームの到来を予想する、過去、私はいつも先を走ってきた

大事なキーワードは
 ①安全性・リスク回避
 ②くつろぎ・やすらぎ
 ③人間的な生き方・暮らし
 ④買い物・物流・移動手段
 ⑤病院・介護施設


特に地震・津波・土石流・浸水・竜巻・暴風・猛暑・インフラ破壊

必しも都会が安全ではないどころか、むしろ巨大災害には意外に弱く
しかも都会で被災すると、被害は壊滅的で処理に長期間かかるのでつらい
巨大地震・直下型地震・地球温暖化・人手不足・病院満杯・運動不足
逃げ場所がない、昔の戦争時のように「疎開」しないといけないが
田舎に親せきはない、都会が良いからと極端な集中は危険だ


栄えたもの・拡大し過ぎたものは、やがて急速かつ大きく崩壊するものだ
栄えたものや増えすぎたもの
日本国・企業・借金・都会・人口・高速道路・交通機関・電気水道ガス・・・

政治家も田舎や地方に国民を誘導しているのだが、なかなか思い通りに行かない
皆が都会都会と言っているうちに、田舎に引っ越す決断が大事なのだと思う
未だに都会に多額予算をかける考えが、矛盾したまま都会集中は直らない
第二次大戦の都会大空襲や終戦後、その時は皆が田舎を目指したのだ
田舎は必要になる時だけ避難するような場所ではないのだ
そろそろ都会偏重を貴方も猛反省してみませんか?
巨大地震と大津波更に巨大台風や猛暑・・・都会は暮らし難くなりませんか?

●最後に参考まで、知者を捨て仁者になれ=身近な例だと、大坂なおみスタイルだ

人は都会の好きな知者と田舎の好きな仁者に分けられると私は勝手に思っている
孔子がいう。「仁者は心に私欲がないので、まず自分の行いがたい義務をやり遂げて、
利益を考えることを後回しにする。このようであれば仁者ということができる」と

「子曰、知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静
知者は事物の道理に通じてその心は水の流れて滞ることのないように動くから、
その好む所は水に在る。
仁者は道理の上に安住してその心は山
知者は事物の道理に通じてその心は水の流れて滞ることのない様に働くから、
その好む所は水に在る。
仁者は道理の上に安住してその心は山がどっしりと落ち付いている様であるから、
その好む所は山に在る。

それゆえに、知者は常に快活であるが、仁者は静かに生きるので寿命を長らえる。
知者は物に渋滞することがなくて心が活動し、仁者は内からも外からも物に煩わされる .
知者と仁者が合わさると理想的かもしれないが、まあ無理なことのようだ
私の友達でも五つに分けられる
 ①知者:たしかにうろうろあちこち動き回る
 ②知者まがい:知恵があるようで大したことがない、動き回るが大したことはない
 ③仁者:都会を離れ、山暮らしをし、自分と向き合っている
 ④仁者きどり:やたらに仁者ぶるが本を沢山読んだ知識のひけらかし
 ⑤単なる凡者:知者でも仁者でもない普通の人、ある意味それで良いのだ

都会人によくあるが、あちこち日本や世界を動き回っている
山暮らしや田舎暮らしを勧めても、全く乗って来ない
都会でやたらにあちこちウロツク、中途半端な難しいことをブツブツ言う
こんな人は心身ともに活力がない、話題も人生論に及ぶことは少ない
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