村上和隆
京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町23ファミール伏見B905
滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町長尾字上塚野1189-10
新:村上和隆総合支援&村上原基人生勉強会
新:関西ISOシニアコンサルタントネットワーク
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
お久しぶりです、目下人生勉強会立ち上げに取り組んでいます
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀人生勉強会・クリック
村上原基健康体操塾
人生勉強会を2年前に立ち上げて、改めて人生を深く考え、自ら実践して行くようになりました。
人生とがっぷり四つになってみると、日々の当たり前の行いの中に新たな気づきがあります。
また、日本の諺や偉い先人の言っていることも一つづつしみじみわかってきます。
諺というか座右の銘というものは、本来人間が苦手で出来ていない事が多いのです。
すなわち人間として本来すべきことだが、案外と出来ないということなんでしょう。
人間は駄目なもんであり、本来の姿から程遠い生き物であるということですかね。
諺とか座右の銘というものは、もっとどんどん自分に当てはめて実践するべきですね。
そうしないと、そこらへんの安っぽい兄ちゃん姉ちゃんと同じ程度のものにしかならないということです。
実践すべき諺等は、沢山ありますが、例えば「楽は苦の種、苦は楽の種」をとりあげましょう。
口には言うがやっていないこの諺を、最近やっと少しづつ実践できるようになって来ました。
諺とか座右の銘は飾り物ではありません、使い込まないと全く意味がないのです。
素晴らしい器や道具なんてのは、それが素晴らしいほど、飾っているのでなく、使わなくちゃ駄目です。
ところが素晴らしいものは使うべからず、もったいない、傷つけたら恐い・・・・と仕舞ぱなしですかね?
ペーパ^ドライバーでは駄目です、どんどん運転しないと運転は上達しないのと同じですね。
山内鹿之助の「われに七難八苦を与えたまえ」を簡単な事出来る事から実践することですかね。
ところで皆様は一体、日常の暮らしの中で楽より苦を求める生き方をどれだけ実践していますか?
私の推測ですが、多分、無意識に苦より楽を求めてしまっていませんか?
私もつい2~3年前迄は、100%当たり前のように、楽のほうを選択していましたから。
何をやるんでも、「まず一番楽な方法はないか」を探し、それを自慢さえしてしまうんです。
そして、面倒で苦が多いものは、絶対にやろうとしないのです。
ところが私は、最近、極力苦のほうを選択するように努めているのです。
偶然に苦がやってきた場合も、むしろ歓迎みたいに思うように努力しているんです。
人々は「村上さん大変でしょ」なんて言うんですが、
まあ「村上さんは大変だ」と言われることは、ある意味素晴らしい事ですよ。やっと半人前かな?
逆に人々から楽ねーとか、何も言われない生き方は悲しいことですよ
楽して、苦をせっせと貯金しているようなもんですからね。
お金を貯める人と、あればあるだけ使ってしまう人の差ですよ。
楽をしている人はやがてそれが大きな苦になって実るのです
苦をしている人はやがてそれが大きな楽になって実るのです
そういうふうに考え方を180度変えると苦を求めることは山内鹿之助の言うとおりなんです。
鹿之助は別に、不可能なことを言っているんでも、物凄いことを言っているんでもないんです。
今の世界や日本の姿は楽を求める生き方や暮らし方にあると断言してもよいでしょう。
苦を苦と思わず、むしろ苦を選択する生き方・暮らし方を実践してみて下さい。
是非今日から一つでも何でもいいですから嫌なこと苦しいことを実践してみて下さい。
まあ、現実には、なかなかできませんがね。そこは、最初のうちは貴方の精神力次第ですよ。
自信と勇気と元気と人間らしさと温かみと、更には嬉しさまで身体の底から湧き上がってくるはずです。
諺や座右の銘を是非、飾って眺めるだけでなく、実践してみて欲しいですね。
そういうことを日々地道に積み重ねることこそが、人生を深める早道だと思います。
苦は友・苦はくすり・苦は人生・苦は楽・苦は学び・苦は宗教・苦は自律・苦は成長・・・・・・・・
最近読んだ是非お勧めの本です
涙骨抄『生きる知恵』:真渓涙骨(山折哲雄監修)⇒クリック
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人生とがっぷり四つになってみると、日々の当たり前の行いの中に新たな気づきがあります。
また、日本の諺や偉い先人の言っていることも一つづつしみじみわかってきます。
諺というか座右の銘というものは、本来人間が苦手で出来ていない事が多いのです。
すなわち人間として本来すべきことだが、案外と出来ないということなんでしょう。
人間は駄目なもんであり、本来の姿から程遠い生き物であるということですかね。
諺とか座右の銘というものは、もっとどんどん自分に当てはめて実践するべきですね。
そうしないと、そこらへんの安っぽい兄ちゃん姉ちゃんと同じ程度のものにしかならないということです。
実践すべき諺等は、沢山ありますが、例えば「楽は苦の種、苦は楽の種」をとりあげましょう。
口には言うがやっていないこの諺を、最近やっと少しづつ実践できるようになって来ました。
諺とか座右の銘は飾り物ではありません、使い込まないと全く意味がないのです。
素晴らしい器や道具なんてのは、それが素晴らしいほど、飾っているのでなく、使わなくちゃ駄目です。
ところが素晴らしいものは使うべからず、もったいない、傷つけたら恐い・・・・と仕舞ぱなしですかね?
ペーパ^ドライバーでは駄目です、どんどん運転しないと運転は上達しないのと同じですね。
山内鹿之助の「われに七難八苦を与えたまえ」を簡単な事出来る事から実践することですかね。
ところで皆様は一体、日常の暮らしの中で楽より苦を求める生き方をどれだけ実践していますか?
私の推測ですが、多分、無意識に苦より楽を求めてしまっていませんか?
私もつい2~3年前迄は、100%当たり前のように、楽のほうを選択していましたから。
何をやるんでも、「まず一番楽な方法はないか」を探し、それを自慢さえしてしまうんです。
そして、面倒で苦が多いものは、絶対にやろうとしないのです。
ところが私は、最近、極力苦のほうを選択するように努めているのです。
偶然に苦がやってきた場合も、むしろ歓迎みたいに思うように努力しているんです。
人々は「村上さん大変でしょ」なんて言うんですが、
まあ「村上さんは大変だ」と言われることは、ある意味素晴らしい事ですよ。やっと半人前かな?
逆に人々から楽ねーとか、何も言われない生き方は悲しいことですよ
楽して、苦をせっせと貯金しているようなもんですからね。
お金を貯める人と、あればあるだけ使ってしまう人の差ですよ。
楽をしている人はやがてそれが大きな苦になって実るのです
苦をしている人はやがてそれが大きな楽になって実るのです
そういうふうに考え方を180度変えると苦を求めることは山内鹿之助の言うとおりなんです。
鹿之助は別に、不可能なことを言っているんでも、物凄いことを言っているんでもないんです。
今の世界や日本の姿は楽を求める生き方や暮らし方にあると断言してもよいでしょう。
苦を苦と思わず、むしろ苦を選択する生き方・暮らし方を実践してみて下さい。
是非今日から一つでも何でもいいですから嫌なこと苦しいことを実践してみて下さい。
まあ、現実には、なかなかできませんがね。そこは、最初のうちは貴方の精神力次第ですよ。
自信と勇気と元気と人間らしさと温かみと、更には嬉しさまで身体の底から湧き上がってくるはずです。
諺や座右の銘を是非、飾って眺めるだけでなく、実践してみて欲しいですね。
そういうことを日々地道に積み重ねることこそが、人生を深める早道だと思います。
苦は友・苦はくすり・苦は人生・苦は楽・苦は学び・苦は宗教・苦は自律・苦は成長・・・・・・・・
最近読んだ是非お勧めの本です
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