3月29日付 読売新聞編集手帳
昨年90歳で亡くなった歌人、
竹山広さんに一首がある。
〈歳月を数ふるにわれら戦ひに敗れたる日をはじまりとせり〉。
日本人は「戦後×年」という数え方で歳月の里程標を刻んできた。
3・11を境に「戦後」は終わり、
「災後」がはじまる――
政治学者の御厨貴(みくりやたかし)さんが本紙に寄せた文章にそうある。
政治の姿も、
経済の仕組みも、
暮らしも一変せざるを得ない、
との指摘には多くの人がうなずくだろう。
原発危機が終息に向かうかどうかは予断を許さず、
1万人を超す不明者の安否も分かっていない。
厳密には「災後」の手前、
「災中」にある。
原発の事故現場では、
いまこの瞬間も被曝(ひばく)の危険と隣り合わせで、
放射能の汚染水と闘う作業員がいる。
母親(81)が津波にさらわれて行方不明のまま、
別の被災地で捜索活動に従事する自衛隊の1等陸曹(49)は本紙に語っている。
肉親を案じるつらさを痛感しているので、
「あと少し頑張れば、
もう少し下まで掘れば見つかるんじゃないか。
そう思うと手が止まらない」と。
あなた方がいるから「災中」に耐えられる。
いまだ明日の見えない今日を、
何とか生きていける。