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2005年 杭州・上海旅行記 その5

2009-07-09 00:46:19 | 旅行記
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【四日目】
四日目の朝は、ホテルの近くで、お粥とチマキを食べた。
この日で、杭州ともお別れ。
午後からは移動で、上海に戻らないといけなかったのだ。
午前中は、茶器を買ったり、中国の本屋をめぐったりして、お土産を買うことに時間を費やした。

お土産を買うときだけ、Dの杭州人の友人とともに行動した。
彼女は、Dが杭州の大学に通っていたときの知り合いで、
日本語もちょこっと勉強している人だった。
杭州は、中国でも美人が多い事で有名で、彼女もその例にもれることなく、美人だった。
後に日本に住む知り合いの中国人に聞いたところ、背が低いのも特徴の一つということだった。
まさに、彼女はそんな人だったのである。

タクシーで移動中、自己紹介しあった。
ただ、日本から来た二人は自分の名前も中国語読みできないし、紹介相手の大学生も、日本語が出来ない。
辛うじて英語が四人共通の言語。
二カ国話せるDが、間に立って、紹介してもらった。
やはりこういうときは、多少でも勉強してりゃ良かったと思うのだった。

お互いの名前を教えあったあと、杭州の友人から、「英語名は何ですか?」と聞かれた。
中国では自分に英語名をつけるという習慣があるそうだ。
彼女は、自分に英語名をつけているという。
日本語と中国語読みがある漢字では、お互い呼びにくいということで、英語名を教えてほしい、といわれたのだ。

Mは、自分のあだ名が「マーク」と“自称”していたので、それを言った。
(あくまで“自称”で、僕は彼を決して「マーク」とは呼ばない。)
しかし、彼の発音が良かったのか、彼女は、「マーク?」
「マイク?」
「マイクル?」
「マイケル?」
とどんどん変化していった。
結局、「マーク」ではなく、「マィク」と僕は決定付けた。
間のイが小さいのは、英語の発音だと「i」の発音が曖昧母音になって、「イ」とはっきり発音しないからである。
かくして、日本から来た日本人の友人は、本名でも、マークでもない「マィク」と呼ぶことになったのである。
(はっはっはっ! ざまーみろ。誰が「マーク」だ、コンチクショー。)

ちなみに、僕は「menfith」と名乗った。
僕のほうはイマイチ反応が悪くてがっかりだったけれども。
(杭州美人の彼女とは、メルヘンチックなことは一切なかった……。)

それにしても、将来子どもに名前をつけるときは、中国語読みしてもカッコイイ名前にしたほうがいいと思う。
これからの日本人は、中国人といかにうまく付き合っていくかだから。

買い物を済ませた後、都合があって彼女とはそこで別れた。

中華のファスト・フードで昼食を済ませた僕たちは、ホテルに預けていた荷物を受け取り、急いで上海行きの長距離バスに乗った。

杭州では、もっとお寺や観光名所に行きたかったのだが、それもタイミングと縁というもの。
実際、杭州にいた三日間は、非常に濃密でタイトなスケジュールで、旅行としては充実したものになった。
さすがは、現地人・Dのガイドである。謝謝。

「またくるよ、杭州」
そう別れを告げて、上海にバスは動き出した。
……とたんに、三人は爆睡したのであった。

上海に到着した時には、あたりにネオンがつきはじめる時間になっていた。
「杭州は俺の庭だ。でも上海は実はほとんど観光したことがないんだよね~」
というDの提案の元、上海の地下鉄「静安寺」駅の周辺までバスで行き、そこから手ごろなホテルを捜し歩いた。

しかし、一向にホテルが見つからない。
一軒目のホテル。
一泊500元。高い!
杭州では四人部屋で300元を切っていたので、とりあえず他のホテルへ。

二軒目のホテル。
一泊680元。ますます高い。
道理でやたらとロビーが豪華なわけだ。
入口にSPも立ってるし。

三軒目のホテル。
ますます豪華そうなホテル。
駄目で元々、行って来い通訳(&ガイド&友人)Dよ。
一泊800元!
「ごめんなさい。帰ります」

これでも、日本円で考えると1万円ほどなので、決して高いとはいえないのだが、すっかり中国物価で物を考えるようになっていたので、そんな値段のホテルに泊まる気にはなれなかった。
そんなに出すくらいなら、外で美味しいものでも食べるぜ! というノリだったのだ。
(しかも、これはすべて一部屋あたりの金額なので、二人部屋だとその半額になる。安いです、中国)

四軒目のホテルを発見。
さすがに重たいスーツケースを担いで移動するのも限界に来ていた。
しかし、今度のホテルは大本命。
かなり僕たちクラスのお手軽ホテルの匂いがプンプンしていた。
路地の向うに見える看板の暗さといい、建物のこじんまりした具合といい、まさに安ホテル。

だが、結局そのホテルに泊まることは出来ずに、あきらめて一軒目の500元相当のホテルに泊まることになった。

なぜその安そうな四軒目のホテルを諦めたか。
「どこから入るんですか?」
簡単に言うと、そのホテルは交差点の角の、奥まったところににあった(見えた)。
しかし、表通りからは、錠で堅く閉ざされていて入れない。
裏通りに回ってみると、ヤバイ雰囲気の住宅街で当然入れない。
道路に面しているもう一つの通りから入ろうとするが、たどり着けない。

目の前にホテルは見えている。
だが、どこからも進入できないホテル。

ホテルに付いた後、ガイドブックで地理を確認してみると、回ったホテル全て、ガイドブックに載っていたのだ。
四軒目のホテルも、ガイドブックに名前だけ載っていた。
ガイドブックに載っていて、たどり着けないホテルって、どないなん?

疲労の末、14階のホテルの部屋から僕たちは思った。
「結局、あそこ、どうやって入るんかな~」
部屋が高くついたことよりも、そっちのほうが気になって仕方がなかった三人だった。

日も暮れて、暗くなった上海の街並みを楽しむため、男三人は、地下鉄「人民広場」駅からテレビ塔が見える外灘まで続く、「南京路歩行街」を歩くことにした。

地下鉄に乗って、一路「人民広場」駅へ。
(地下鉄の話は、5日目にする予定)
外灘だけはわかるというDの案内の元、駅からネオン街の道を進んでいった。
そのネオン街は、日本(大阪)でいう道頓堀であり、ありとあらゆる看板が色とりどりに輝いていた。
日本とは違い、道が広いため、道頓堀よりももっときれいに見えた。
道もキレイに舗装されているため(道頓堀のようなアスファルトではない)、
歩きやすく、近代的な都市であることをうかがわせる。
でかい「コカコーラ」、日本の「ユニクロ」、「ミスタードーナツ」、もう見慣れた「ケンタッキー」に「マクドナルド」。
カルフールでも思ったとおり、ここでは日本企業(日本でおなじみの企業)も、中国企業と完全に共存し、その空間を演出していた。

だが、それだけなら日本と同じ。
日本と違う点。
それは一等地であると思われるこの土地、これで「完成」ではないということだ。
これからドンドンビルが立ち並ぶようになることを容易に想像させるほど、「建設中」のビルが多い。
しかも、その土地は、非常に広大なものばかりだ。
なぜかだだっ広いところに出ると、そこは「建設中」という看板が。
巨大都市・上海。
近代都市・上海。
そして、なにより、成長中の都市でもあるのだ。
それは、杭州でも同じだった。

杭州でも、大きなビルと大きなビルの間には、無数といっていいほど建設中、立替中のビルが見えた。
これからもっと大きい街、もっと近代的な街にするぞ、という活気に溢れていたのだ。
しかし、というべきか、だからなのか、「廃墟」となっているビルも数多く見る。

上海では、それが著しいのか、堅く閉ざされていた門の後ろが、ほとんど戦場のようなところを見つけた。
ほんの一瞬しか見えなかったが、そこは建物が「壊滅状態」であり、とてもそこが世界有数の都市・上海であるとは思えないほどだった。
それは、廃墟、というような生易しいものではなく、「解体」中のビルの風景でもなかった。
まさに、戦争か大きな地震でも起こった直後のような、強烈な光景だったのだ。

破壊と成長。
この二面が中国が日本の高度経済成長期のような、「過渡期」の真っ只中にいるということを教えてくれる。

その外灘への道を歩きながら、見つけたのが日本で見慣れた看板「吉野家」!
正直な話、僕ら三人の目的は、夜景ではなくてこのオレンジの看板だった、と言ってもいいくらいだ。
僕はふだん、あまり吉野家に行くことはないし、日本で牛丼が食べられなくても、全くストレスを感じることもない。
しかし、上海に来たとなれば、話は別。
日本が恋しいわけではないが、話のネタとしては、2005年2月現在の今、最も熱いスポットと言える。

おごられっぱなしだったDに、恩返しを兼ねて一杯200元ほどする「上海ガニ」を食べる予定の夕飯が、日本でおなじみの吉野家に急遽変更。
中国吉野家をデジカメで激写しながら、そのまま三人は店内へと吸い込まれていった。

店内は、中国だからか、異様な広さ。
たとえるなら、一般的な大きさのファスト・フード店の二倍は軽くある。
もちろん、カウンター席などというものはなく、購入方法は、これまたファスト・フードと同じように、カウンターで注文して牛丼を受け取って、席で食べる、というシステム。
メニューは、牛丼のほかに、焼き鳥丼のようなものもあった。
牛丼も、単品で頼むことはできるが、基本はセット。
牛丼と、味噌汁・ドリンク・日本茶から一品選び、お漬物が付いてくる。
値段は確か、セットで20元から30元ほど、だったと思う。

僕たちは、牛丼セットをドリンク(コーラ)で頼み、席に着いた。
紅しょうがは、小さいパック(テイクアウト寿司に付いてくるガリのような感じで)で付いていた。
牛丼と記念撮影した後、思う存分がっついた。

「お、同じだ~!」

「……っていうか、牛丼ってこんな味だったっけ?」

全く同じ味のような、少し中国人向けにしているような……。
イマイチよくわからなかったが、美味しかった。
ただ、セットのコーラがあまりに温くて、びっくりした。
当然、氷も入っていない。
中国では、おなかを冷やすといけないから、というので、コーラもビールもあまり冷やさないらしい。

「マク○」は、やたらと氷で誤魔化そうとしている嫌いがあるので、そう考えると良心的なのか。

「こんなところで吉野家の牛丼と再会できるなんて~」
と上海に来る前から密かに吉野家には行こうと思っていた僕は店を後にした。
それにしても、一番の危惧は、店が広いわりに、客がほとんどいないんですけど、
経営大丈夫なんですか、吉野家さん。

牛肉をあまり食べない中国人にとっては、牛丼はあまりなじみがないのかもしれない。
牛が浸透すれば、きっと売れると思うのだが。
(これは閉店間際だったから、みたい。昼間などは大賑わいという話。)

外灘のテレビ塔の光景については、これはもう実際に行って頂くしかない。
言葉で形容してもかまわないのだが、観に行った方が数倍楽しめる。
ただ、テレビ塔に登るのはやめたほうがいいかもしれない。
一番上まで200元ほどかかる上に、登るのに二時間、降りるのに二時間という異常な待ち時間があるそうだ。
Dは、それを男二人で行って嘆いていた。

この南京路歩行街の目玉は、もう一つある。
日本人観光客を目当てにした「客引き」である。

外灘の夜景は、上海でも有数の観光スポット。
よって、外国人観光客も多い。
中でも、日本人観光客は、かなりの割合を占めている。
こうした観光スポットでは、日本人観光客を狙った客引きの声が絶えない。
杭州では、ほとんど聞くことがなかった「中国人的日本語」で、観光スポットでは、10メートルごとに話しかけられる。

彼らが売りたいものの中で多いのは、偽ブランド品と、売春だった。
突然、中国人が近づいてきたと思ったら、いきなり「ロ○ックス?」
と話しかけられて、おもむろにカタログを広げる。

面白かったのは、オバちゃん。
外灘を歩いていると、やはりいきなり近づいてきて、「バッグ、イル?」と話しかけてきた。
今度はどこのブランドだろうと思っていると、スーパーのような安そうなビニール袋から、
いきなり「ル○ヴィ○ン」の鞄と財布を取り出したのだ。
「あなたその価値わかってるんですか?」と思わずツッコミたくなる売り方に、僕たち三人は爆笑していた。
ビニール袋から出された財布を誰が買うんだろうか……。

さらに執拗なのは、
「オンナノコ イル?」と話しかけてくる売春の客引きだ。
どこで覚えたか、やたらと日本語の発音が流暢で、変な「専門用語」も飛び交う。
サイトの品格が著しく損なわれるから、具体的には書かないけれど、「ヤスイヨ、ヤスイヨ、オンナノコ イラナイ?」
と執拗に話しかけてくる客引きに、僕たちは大爆笑。
妙に日本語がうまいのと、とても必死なのが、笑いっぱなしだった。
(笑うから余計に勧誘してくるのだろうが)

通りを歩きながら、中国語ぺらぺらのDが悪戯をしかけた。
「100元? 高いよ、1元に負けてよ」(Dが中国語で)
「高くないよ、100元だよ」(客引きも必死)
「3人で1元だったらいいよ」
「それは無理だよ~」(中国人客引きもちょっと困っている)
それでも客引きがあきらめようとしない様子を見て、Dは悪戯を試みる。

「ウソでしょう?」(Dが中国語で)

「ウソ ジャナイ、“ホント”ダヨ」(客引きが日本語で)

「日本語で“ホント”というのは、“ウソ”って言うんだよ」(中国語)

「??? いやいや、“ホント”だよ」(客引き、日本語に自信アリ)

「いや、だから“ホント”じゃなくて、“ウソ”って言うんだよ」

「“ウソ”? “ホント”?」(客引き混乱中)

「ホ、“ホント”ヨ~」(かなり混乱中)

そのままDと僕らは信号を利用して早歩きで立ち去った。
その客引きは、客引きの中でもかなりの日本語を使っていたので、それ以降、「ウソ」と言い続けたかどうかはわからないが、ちょっと楽しかった。

杭州まで中国語のできない二人だけで来させたように、Dの悪ふざけ大好きな性格が出たやりとりだった。
(断言しておくけれど、“買って”ませんから。)

こうした客引きは、犯罪の匂いがする商品だけではなく、中国のどこでも出会うことができる。
そこで、重要になってくるのが、断わり方。
僕が中国へ行って覚えた初めての言葉も、「要らない」と断わる中国語だった。
それは至って簡単。
煙たそうな顔をして「ブーヤオ」と言えばいい。
漢字で書くと、「不要」となって、「要らん!」という意味になる。
必要なければ、とりあえず、「ブーヤオ」と言って通り過ぎる。
表情も大切で、日本のように無表情では相手に伝わらない。
いかにも要らなさそうな顔をして、さあ貴方も一緒に「ブーヤオ!」

日本に帰ってきたあと、知り合いの中国人に「ブーヤオ」と言ったら爆笑していた。
帰国後のネタとしても、結構使えるので便利(?)である。

有名なネオン街も、午後10時を過ぎるとかなり暗くなる。
中国では、外食産業も9時くらいでラストオーダーとなって、夜は意外に早く訪れる。
地下鉄も11時くらいで最終電車。
急いで地下鉄に乗って、そのままホテルへ。
 
→その6へ
(2005/4/26執筆)

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