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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

メメント

2008-06-15 12:39:02 | 映画(ま)
評価点:81点/2000年/アメリカ

監督:クリストファー・ノーラン

その復讐はだれのためか。

レナード(ガイ・ピアーズ)はようやく復讐を果たしたと、記念にインスタントカメラで写真を撮った。
その十分前、テディと呼ばれた男は使われていない廃屋に姿を見せた。
うむをいわさず羽交い締めにしたレナードは、彼の話を聞かずに射殺してしまう。
その十分前……。

プレステージ」や「インソムニア」のクリストファー・ノーランのデビュー作となった、記念すべき映画だ。
たしか単館上映だったと思う。
それまであまりストレスのかかる映画を観たことがなかった僕にとっても、思い出深い作品だ。

記憶できない男が主人公の、リバースムービーである。
サスペンスとして、ひじょうにうまく撮られている。
我こそは、サスペンス好きだという人にこそ、観てもらうべき映画だろう。
これくらいのストレスは、脳にいい影響を与えてくれるはずだ。
ハリウッド映画にマンネリを感じている人にもいいかもしれない。

▼以下はネタバレあり▼

映画館で観て、それからかなりの時間が経ってしまった。
思えばこの映画を観た頃は、本格的な〈読解〉など取り組んだこともないような、
若造だったな、と思う。
(今でも十分若いと自負しておりますが。)

この物語は特殊な条件下であることがポイントだ。
その条件とは、
1 主人公が短期記憶に関する脳障害をもっているということ。
2 映画の構成が巻き戻しのスタイルで展開されているということ。

この二つの条件によって、複雑で、わかりにくい映画になっている。
これは当然監督の意図するところではあるものの、それについては後で触れよう。
まずはとにかく何が起こっているのか、ということを整理したい。

リバースムービーと言えばいいのか、巻き戻し映画なので、事態を整理することも難しい。
だが、この映画を端的に言うのなら、二つの物語が絡み合っていると言えるだろう。
一つはレナードの復讐の物語。
もう一つはナタリーを中心とする麻薬密売に関する物語である。
物語のテーマはその中に隠されている。

主人公は10分しか記憶をとどめておくことができない。
それはラストまで観きったとしても、それは変わらない。
彼の復讐がどこからスタートしたのか、そのスタートそのものが不透明なまま結末を迎えてしまう。
よって、この映画全体が、事実を決定不可能であるという状態に陥っている。
もう少し具体的いわないといけないだろう。
要するに、ラスト(物語時間でいえば発端となる時)で、
テディと名乗っていた男が話していた内容が事実かどうか、決定できない。

だが、僕はそれがそのまま「わからない」という結論に落ち着くとは思っていない。
これは映画だ。
映画には冒頭があり、展開があり、落ちがある。
それはいくらリバースムービーであって同じことだ。
つまり、テディと呼ばれる男がラストに話したことは、「事実だ」と認定してしまってよいのだと思う。
むしろ、そこを事実だと認定することからしか、この映画の〈読解〉は成り立たない。
いや、そんなはずはない、テディは嘘をついていたのだ、という意見が間違っているとは思わない。
先にも書いたようにそれは決定できないのだから、議論の余地はない。
だからこそ、この映画を考える出発点は、テディがラストに話していたことは事実だ、
というところだとしたい。

前置きが長くなった。
そう考えると、次のように説明することができる。
レナード夫婦は賊に襲われた。
妻が襲われているところへ夫が助けに行き、その瞬間にレナードが殴られて昏睡状態に入った。
その後目覚めるが、そのときにはすでに脳に機能障害を来していた。
レナードは妻が死んでしまったのか、襲われたがまだ生きているのか、
物語の発端時点からでは判断できない状態にある。
なぜなら、殴られた瞬間から彼の記憶は10分程度しかとどめておくことができないのだから。

レナードはだが、襲われたことは明確に覚えている。
だから、レナードは妻が死んだと錯覚し、その復讐のために情報を集め始める。
かくして犯人の二人を追い詰め、殺したが、彼にはそれが達成したことを覚えておく記憶能力がない。
レナードはいまだ復讐が達成したかどうかを確信できない。
襲われ、妻を失ったままの記憶で時が止まっているレナードは、再び復讐する相手を探し始める。

それが、冒頭の男の殺人だ。
これが、レナードの生きる世界であり、物語だ。

一方、レナードのいうとおり、世界には外側がある。
それがナタリーやトッドを中心とするもう一つの物語である。
ナタリーは麻薬の売人だった。
その取引に介入しようとしたのが、悪徳刑事だったテディこと、ジョン・ギャメルだった。
ジョンは巧みにレナードを操作して、麻薬取引のお金を略奪しようとした。
もともと汚いお金である。
それで事態はまるく収まり、お金を儲けられると思ったが、ナタリーの反撃に遭ってしまう。
ナタリーはなくしてしまったお金を取り戻すため、テディを捜す。
だが、来たのはテディではなく、記憶障害のあるレナードだった。
レナードが記憶障害のあることを知ったナタリーは、レナードを巧みに利用して、
トッドを街から追い出し(本当は殺させたかったはずだ)、テディに復讐しようとする。
テディが、レナードの復讐相手であるかのように仕組み、(これには半ば偶然も重なっていたが)テディを殺させる。

物語の冒頭のテディの殺害は、ナタリーの仕組んだ復讐だったのだ。
レナードはかくして、自分の信念通りに人を殺したと思い込みながら、
実は記憶障害を利用され、殺人をさせられてしまうのだ。

複雑に見える物語も、それはリバースされていることから起こっている。
実は整理してみると、それほど難解な話ではないはずだ。

この映画には、それでも魅力がある物語に感じられる。
それは、二つの仕掛け、巻き戻しと記憶障害、によるものではない。
そこには、その設定をふんだんに活かすことによって、悲しみを浮かび上がらせる。

記憶をなくした男は
「自分の記憶が間違っていてもいい。自分の信念のために生きるのだ。外には世界があるはずだ」
と、ラストに自分に言い聞かせる。

彼の悲しみは、妻を失ったことではない。
もちろん、復讐できないことでもない。
そして、記憶障害を背負っているということでもない。
そのことによって、彼は「覚えられない男」になったことであり、「忘れられない男」になってしまったことである。

彼は新しいことを覚えることができない。
それはいつまでも同じ時間を生きているということに他ならない。
彼が生きているのは常に今であり、それ以上の蓄積をすることができない。
悲しみを解消することを成就させても、それを記憶することができない。
そうでなくとも、人は忘れてしまう。
どれだけ愛していたとしても、時がいやしてくれるということが確かにある。
悲しみを過去にするという言い方もある。
だが、彼はそうではない。
いつまでも悲しみの中にいるのだ。

言い換えるなら、それは過去を引きづり続けるということであり、忘れられない悲しみの中にいるということなのだ。
彼の本当の悲しみは、前に進めないという悲しみだ。

彼がしきりに口にする「外にも世界があるはずだ」という言葉。
これは、かれが呪文のように唱えることからもわかるが、「外には世界がない」ことを逆説的に証明している。
自分の受け止める世界しか、この世界には存在しないのだ。
ナタリーもテディも、彼を説得しようとしたが、聞く耳を持たなかったが、それが、外には世界が存在しないことの何よりの証明なのだ。

だが、なぜそんな特殊な状況に置かれた人物が、これほどまでに僕たち観客のみに迫るのだろうか。
それこそが、この映画の手法の意図である。
僕たちは因果関係を逆転させて映画を観ることになる。
因果の結果の部分から、原因の部分を探っていくという物語体験だ。
なんとかそれを追うためには、細部まで記憶していくことを要求される。
何度も翻される登場人物たちの台詞をいちいち修正しながら、記憶していく。
人間の記憶の限界とはまではいわないが、負担が大きいことは確かだ。
そのストレス、その努力とは、
何とかメモを残して自分の時間をつなぎ止めようとするレナードと同じだ。

この監督の手法が、単なる奇をてらったものではなく、必要不可欠なものであったことが理解できるだろう。
彼の置かれた状況と全く同じ状況を観客に要求することで、彼の努力がいかに困難なものかを、全く同じやり方ではないにしても、その片鱗を体験させようとしたのである。

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2 コメント

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Unknown (地デジ)
2011-03-05 06:28:37
ダークナイト、ビギンズ、インセプション、プレステージ、インソムニア、フォロイングと観てきて、すっかりノーランの世界にはまりこんでしまった僕は、このノーランの真骨頂といわれるメメントを、ついに鑑賞するに至りました。
風呂上がり、寝る前に観て、気持ちよく眠ろうと考えていたのですが、やられました・・・
油断しているうちにどんどん展開に置いていかれて・・・
まあレナードに似た体験ができたという点ではこれ以上ないほど楽しめたのかもしれませんね笑

断片的な記憶でホントとウソの入り乱れた世界を生きることしか出来ないって悲しいですね。僕らの生きてる世界もそんなもんなんでしょうけど


この映画の巻き戻し形式や、パーフェクトブルーの劇中劇なんかをいろんな映画で観ていくのも、映画の楽しみ方の一つですね。また楽しみが増えちゃいました笑

ソーシャルネットワークで気になったデヴィッド・フィンチャーの『ゲーム』が個人的にツボったので、次はセブンとか観ようと思うんですが、どうなんでしょうか?メッセージ性のあるサスペンスだといいなあ・・・

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クリストファー・ノーランは若いです。 (menfith)
2011-03-06 20:12:26
管理人のmenfithです。

>地デジさん
クリストファー・ノーランは若いのでこれからの活躍も期待できますね。

「アレックス」もおもしろいですよ。
監督は違いますが、「メメント」と同じような構成になっています。
心して見る必要がある、重たい映画です。

「ゲーム」は大好きです。当時は結構叩かれたらしいです。

「セブン」もいいですね。
しかし、是非「ファイト・クラブ」を見て下さい。
これは今でも十分おもしろい、すごい映画です。
そして、是非また感想を聞かせて下さい。

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