評価点:72点/2012年/アメリカ/122分
監督:デヴィッド・O・ラッセル
親父、あんたが一番悪い。
パット(ブラッドリー・クーパー)はある事件を起こし、精神科病棟で治療を受けていたが、ようやく退院が認められ、保護観察の身になった。
精神的に不安定な彼は、妻との再会と復縁を目指してトレーニングを始めていた。
そんなとき、同じように精神に病をかかえたティファニー(ジェニファー・ローレンス)を紹介される。
心弾かれるティファニーだったが、パットはかたくなに妻のニッキ(ブレア・ビー)との復縁に固執する。
ティファニーは妻との間を取り持つことを条件に、彼女の夢であった社交ダンスの出場をパットに提案する。
こちらも飛行機の中で見た一本。
吹き替えがあまりよろしくなかったので、字幕だったらもっと評価が上がっていたかもしれない。
公開していたときには「どうせ軽い恋愛者だろう」と見逃したが、ラヴコメディらしくない、重さがある。
すでにレンタルも発売もされているので、気になる人は見ても良いだろう。
多くの部門でアカデミー賞のノミネートもされている作品だ。
完成度は高く、楽しめる映画となっている。
逆に、重たいのはあまり……という人はちょっと驚くかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
随所に笑えるところはある。
けれども、コメディとして笑えるというよりも、主人公を取り巻く環境があまりにも残酷なことにつらくなってしまう。
コメディというよりも、喜劇に近い気がする。
「こんな厳しい状況、ほんまにあるんかいな」と思ったりもするが、実際私たちの現実の人生を映画化してもこれくらいの「残念な人々」の集まりなのだろう。
不安症やパニック障害といった言葉はすでに特別なことではなくなりつつある。
見渡してみれば、自分の周りにも、会社や学校に一人はいるだろう。
いや、いないよ、そんな人、という人は、きっとあなたがその一人なのだろうと思う。
いや、冗談ではなくて、それほど私たちにとって身近な病気になりつつある。
私の元上司は「会社員の半分はなんらかの知的障害を抱えているもんだ」と豪語していた。
「そう考えれば許せるやろ」というのが彼の持論だった。
確かに、「なんで私だけこんなに八つ当たりされないといけないの?」とか、「あの人何度言っても同じミスを繰り返すんですけど!」という場面はよくある。
そういうとき、「まあ、しゃあないか」と気持ちを落ち着かせるにはそれくらいの心意気が必要なのかもしれない。
話はそれた。
この映画がおもしろいと感じられるのは、そうした社会的背景があるからだ。
私だって、急に不安になることはある。
不安にあって呼吸が乱れて、どうすればいいのだろうとパニックに陥ることは、きっと多かれ少なかれあるはずだ。
この主人公は、明確に課題を抱えている。
妻との復縁に固執するために、「前向きに進めばきっと変われる」というテーゼに囚われすぎている。
すでに終わってしまった関係であることは、観客席から見れば(あるいは飛行機の座席から見れば)明らかだ。
けれども、パットはそれに気づけない。
唯一の希望として、その復縁に向けて自分にすべきことをどんどんこなそうとする。
その姿は見ている側としては痛々しいほどだ。
そのあたりが喜劇なのだ。
彼の個性に対して、輪をかけて苦しめるのが、デ・ニーロ演じる父親だ。
この父親は本当に最低だ。
仕事を辞めて、ギャンブルにのめり込み、レストランの資金を全額かけに突っ込んでしまう。
それは「息子を信じているからだ」と口では話すが、追い込んでいるだけにすぎない。
ラストではおきまりのハッピーエンドを迎えるわけだが、レストランが上手く行くとはとうてい思えない。
しかし、この「どうしようもない男」なども、妙にアメリカの現実、現代の現実を反映しているようで、憎めない。
(いや、そんなことないか。)
この映画を支えているといってもよいのが、ヒロインのティファニーだ。
物語の前半をパットに感情移入させておいて、途中からヒロインのティファニーに私たちは感情移入してしまう。
夫を失った悲しみを、ようやく新たな恋を見つけてそれにすがろうとしている彼女の姿は、素直になれない彼女の性格と合わさって、じりじりと胸を焦がす。
「この手紙は一週間前に書いたんだ。」というパットのことばが感動的なのはそのためだ。
パットは前妻のニッキとの関係を、ニッキと再会するまでもなく、断ち切っていた。
そのことがわかるラストのシークエンスのカタルシスは非常に大きい。
だめかもしれない、私の努力はニッキの登場で壊れてしまった、というティファニーの絶望、彼女を捜すパットとの対比的描写が、ラストのパットの言葉によって収斂されていく。
全くハッピーエンドではない。
問題は山積だろうし、そもそも死んで直すしかない父親の性分は賭けに勝ったことによってさらにややこしくなっているだろう。
けれども、それでも一つの答えを見つけて、私たちはすこしほっとするのだ。
それは現実に生きる私たちの揺れ動きと似ているだろう。
人生は甘くない。
そして、悲劇と喜劇は紙一重である。
だから笑い飛ばせばいいじゃないか、という心強いメッセージのような気もする。
監督:デヴィッド・O・ラッセル
親父、あんたが一番悪い。
パット(ブラッドリー・クーパー)はある事件を起こし、精神科病棟で治療を受けていたが、ようやく退院が認められ、保護観察の身になった。
精神的に不安定な彼は、妻との再会と復縁を目指してトレーニングを始めていた。
そんなとき、同じように精神に病をかかえたティファニー(ジェニファー・ローレンス)を紹介される。
心弾かれるティファニーだったが、パットはかたくなに妻のニッキ(ブレア・ビー)との復縁に固執する。
ティファニーは妻との間を取り持つことを条件に、彼女の夢であった社交ダンスの出場をパットに提案する。
こちらも飛行機の中で見た一本。
吹き替えがあまりよろしくなかったので、字幕だったらもっと評価が上がっていたかもしれない。
公開していたときには「どうせ軽い恋愛者だろう」と見逃したが、ラヴコメディらしくない、重さがある。
すでにレンタルも発売もされているので、気になる人は見ても良いだろう。
多くの部門でアカデミー賞のノミネートもされている作品だ。
完成度は高く、楽しめる映画となっている。
逆に、重たいのはあまり……という人はちょっと驚くかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
随所に笑えるところはある。
けれども、コメディとして笑えるというよりも、主人公を取り巻く環境があまりにも残酷なことにつらくなってしまう。
コメディというよりも、喜劇に近い気がする。
「こんな厳しい状況、ほんまにあるんかいな」と思ったりもするが、実際私たちの現実の人生を映画化してもこれくらいの「残念な人々」の集まりなのだろう。
不安症やパニック障害といった言葉はすでに特別なことではなくなりつつある。
見渡してみれば、自分の周りにも、会社や学校に一人はいるだろう。
いや、いないよ、そんな人、という人は、きっとあなたがその一人なのだろうと思う。
いや、冗談ではなくて、それほど私たちにとって身近な病気になりつつある。
私の元上司は「会社員の半分はなんらかの知的障害を抱えているもんだ」と豪語していた。
「そう考えれば許せるやろ」というのが彼の持論だった。
確かに、「なんで私だけこんなに八つ当たりされないといけないの?」とか、「あの人何度言っても同じミスを繰り返すんですけど!」という場面はよくある。
そういうとき、「まあ、しゃあないか」と気持ちを落ち着かせるにはそれくらいの心意気が必要なのかもしれない。
話はそれた。
この映画がおもしろいと感じられるのは、そうした社会的背景があるからだ。
私だって、急に不安になることはある。
不安にあって呼吸が乱れて、どうすればいいのだろうとパニックに陥ることは、きっと多かれ少なかれあるはずだ。
この主人公は、明確に課題を抱えている。
妻との復縁に固執するために、「前向きに進めばきっと変われる」というテーゼに囚われすぎている。
すでに終わってしまった関係であることは、観客席から見れば(あるいは飛行機の座席から見れば)明らかだ。
けれども、パットはそれに気づけない。
唯一の希望として、その復縁に向けて自分にすべきことをどんどんこなそうとする。
その姿は見ている側としては痛々しいほどだ。
そのあたりが喜劇なのだ。
彼の個性に対して、輪をかけて苦しめるのが、デ・ニーロ演じる父親だ。
この父親は本当に最低だ。
仕事を辞めて、ギャンブルにのめり込み、レストランの資金を全額かけに突っ込んでしまう。
それは「息子を信じているからだ」と口では話すが、追い込んでいるだけにすぎない。
ラストではおきまりのハッピーエンドを迎えるわけだが、レストランが上手く行くとはとうてい思えない。
しかし、この「どうしようもない男」なども、妙にアメリカの現実、現代の現実を反映しているようで、憎めない。
(いや、そんなことないか。)
この映画を支えているといってもよいのが、ヒロインのティファニーだ。
物語の前半をパットに感情移入させておいて、途中からヒロインのティファニーに私たちは感情移入してしまう。
夫を失った悲しみを、ようやく新たな恋を見つけてそれにすがろうとしている彼女の姿は、素直になれない彼女の性格と合わさって、じりじりと胸を焦がす。
「この手紙は一週間前に書いたんだ。」というパットのことばが感動的なのはそのためだ。
パットは前妻のニッキとの関係を、ニッキと再会するまでもなく、断ち切っていた。
そのことがわかるラストのシークエンスのカタルシスは非常に大きい。
だめかもしれない、私の努力はニッキの登場で壊れてしまった、というティファニーの絶望、彼女を捜すパットとの対比的描写が、ラストのパットの言葉によって収斂されていく。
全くハッピーエンドではない。
問題は山積だろうし、そもそも死んで直すしかない父親の性分は賭けに勝ったことによってさらにややこしくなっているだろう。
けれども、それでも一つの答えを見つけて、私たちはすこしほっとするのだ。
それは現実に生きる私たちの揺れ動きと似ているだろう。
人生は甘くない。
そして、悲劇と喜劇は紙一重である。
だから笑い飛ばせばいいじゃないか、という心強いメッセージのような気もする。
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