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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

2005年 杭州・上海旅行記 その3

2009-07-09 00:27:50 | 旅行記
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【二日目】
一日目の夜、友人Dから僕らの部屋に電話があった。
そこで旅の無事を知らせ、二日目の予定を聞いた。

ちなみに、この電話にもネタがある。
その電話が掛かってきたとき、僕はシャワーを浴びていたので、友人マィクが受話器を取った。
当然、フロントからかかってきたものと思ったマィクは、英語で「YES?」と話しかけ、友人Dは絶句。
何しろ、この二人面識が全くなく、この時初めて会話したのだ。
いきなりの英語対応に、D君は驚いたようだ。
その話を後で聞いた僕は大爆笑。

二度目に掛かってきたときに、僕も「ハロー?」と話しかけたが、それは難なくかわされてしまった……。

それはさておき、朝食はDの提案により、ホテルのバイキングで済ませることになった。
それは、つまり、中国に来てからの初めての料理ということになる。
その胸中を不安が圧倒的に占める中、かすかな期待を胸に、受付ロビーのすぐ横にある食事スペースへ向かった。

朝食バイキングは12元。
「安っ!」

バイキングのスタイルは、当然ながら、日本と同じ。
並んでいるのは、これも当然、中華が中心。
パン、ワンタン、肉まん、太めの麺の焼きそば、フルーツ、野菜の炒めたもの、煮たものなど、見た目はそれほど悪くない。
それに加えて、お茶、牛乳が飲めるようになっている。

だが、僕は厭な予感がしていた。
昨夜の水のこともある。
果たして12元(約150円)で、まともなものがあるのか……。
ここは、日本でのバイキングのように大量に取るのは控えた方が良い。
そう、僕の直感と鋭い洞察力が告げていた。

その予感はやはり的中した。
ワンタン(中国では、ワンタンはスープよりワンタンの方が多い。スープとしてではなく、食べ物として食べる)のスープが、……あの味がする……。
悪夢、再び。

だが、それだけにとどまらない。
こともあろうか、お茶もその味がする。
「う~ん、微妙……」

それ以外にも食べられる料理はあるにはあったが、強烈な印象の水の味に、記憶が吹っ飛んでしまった。
マィクは心からこう言った。

「フルーツのオレンジが一番うまいな。」

僕らは、入り口の自動ドアが空くたびに、そこから吹きすさぶ冬の風に身を縮めながら、「まずいことより、食べて下痢になるほうが怖いよね」と思いながら、そのレストランを去ったのだった……。

この日は、僕たちだけで、Dが住む杭州に移動しなければならなかった。
ホテルのチェックアウトで、お金が戻ってくることに衝撃を覚えながら(「え? そんなシステムなんですか?」と田舎者丸出し)、ホテルから空港へのシャトルバスに乗った。

空港に着いた僕たちは、空港から直通で出ているという杭州行きのバスを探した。
(バスを探す前に、空港の売店で水を購入したのは言うまでもない。)
前日の電話によって、D曰く「かなり親切に」教えてもらった僕たち。
空港の2Fから、渡り廊下をわたって、エレベーターで中二階のようなところにいけば、長距離バス乗り場がある。
という話だった。

僕らは、シャトルバスが下りた付近から空港のエレベーターに乗り、渡り廊下を進むと、そこは、上海市内へのリニアモーターの乗り場だった。
とても近代的なキレイな乗り場だったが、僕たちが目指しているものとは違う。
日本のコンビニ・ローソンも見つけたが、そんなことはどうでもいい。
渡り廊下からの中二階へのエレベーターは見つかったものの、モータープールしかなく、車が停まっているだけだった。

バスまでの時間はたっぷりあるものの、さすがに焦り始めた。
「おいおいおい、どこやねん!」というキレイな大阪弁で悪態を吐く。
周りには、外国人しかいない。
空港にまで戻ると、「ホテル、サガシテル?」と怪しい日本語で話しかけられる。
(ガイドブックによる鉄則:日本語を話す中国人は絶対に信用するな!)

ただただ広い浦東国際空港では、余計に自分達が矮小な存在に感じられる。

これはもう誰かに聞くしかない!
この結論に至った僕たちは、同行していた「英語ペラペラ」の友人マィクが、英語で聞きに行くことになった。
「持つべきものは友だちだよ」と彼の様子を見ていると(空港は二階が大きく吹き抜けになっているので、二階から一階の様子が見えるのだ)、
こともあろうか、彼はまっすぐ、“憧れ”の「ハイアット・リー・ジェンシー上海」の窓口に向かった。
「泊まりたいとは言ってたけど、なんでそこやねん」

結果的には、その選択はまちがっていなかった。
変な輩に話しかけるよりは、多少「よってくんな、貧乏人」という態度で話すホテルマンに話しかけるほうが、数倍安心できるというものだ。
ホテルマンに話しかけた後、次に空港の案内所に向かって、マィクは戻ってきた。

結局、Dの案内はまちがっていなかった。
渡り廊下は、上海浦東国際空港から三つ伸びていて、そのうち僕たちは、二本しか調べていなかったのだ。
一番遠い三本めが、僕らが目指すべき長距離バスのバス停だったのだ。

バス停で料金100元を払った僕たちは、大きな戸惑いもなく、上海を後にした。
さよなら、上海。
また来るよ、帰りに。

バスは問題なく、高速道路に入り、あとはひたすらまっすぐな道を滑走した。
緩やかなカーブはあるものの、基本的にはまっすぐ。
車線も広く、周りは田園風景。
「田園風景」と書けば聞こえは良いが、実際には非常に苦しい農村の生活が垣間見られる。
中国経済を底辺で支えている、それが建物や農具などで推し量ることができた。
喩えるなら、「昔のジャッキー・チェンの映画に出てきそう」な風景だった。
中国、香港映画なのだから、当然なのだろうが、十年二十年前と変わらない生活を送る人々が、上海から杭州という狭い範囲の移動の中でも見られたのは、少し驚きだった。
四日目には、上海の外灘地区という夜景で有名なところに行った。
それと比べると、まさに光と影という、雲泥の差があった。

何度もうとうとしながら、バスに乗ってちょうど三時間ほどで、急に辺りが開けはじめた。
するとものの数十秒で、高速を下り「杭州」という看板が目に入った。
僕たちはようやく、友だちの住む杭州にたどり着くことができたのだ。

「杭州」の看板を見つけてから、バスは市内を進み、小一時間経つと、ようやくバス停に到着した。
ついた場所はスタジアムの前だった。
「スタジアムって言ってたっけかな~」と不安に思いながら、公衆電話を探す。
「着いたら電話して。会社を抜け出してタクシーで迎えに行くから」と言われていたのだ。

僕たちは、大きな荷物を引きずりながら、電話ボックスを探した。
大きな通りを歩いていたこともあり、公衆電話はたくさんあった。
しかし、見つけたすべての公衆電話は「ICカード専用」であり、そんな気の利いたカードを持っていない僕たちは、コインでもかけられる電話ボックスを探すが、一向に見つからない。
この「ICカード専用」は、コインが入らない。
つまり、杭州にたどり着いたところで、Dに電話をかけられない僕たちは、永遠に彼を呼び出すことができないのだ。
しかも、Dは電話でこう告げていた。
「昼休みが過ぎて、会社抜け出せなくなったら知らんからね~」

しかし、全然見つからない。
電話ボックスと思ったところは、全部カード専用。
途方に暮れながら、ここはどこなのか、ということを調べ始めた。
Dがいるところを予想して、その方向に歩きながら電話を探すか、カードを買うか、タクシーで直接そこに向かうかしようということになった。
しかし、日本で買えるガイドブックは、杭州はクローズアップされていない。
大きなスタジアムだったが、それは観光名所ではないので、ガイドブックには乗っていない。
腕時計についていたコンパスを頼りに、場所を割り出すが、よくわからない。
ここまで来て、電話がかけられないとは……。

ようやく場所を特定した僕たちは、次に、ホテルで電話を借りようということになった。
幸い、ホテルは目の前にあったので、しかもそのホテルがガイドブックにも載っていたので、
電話くらい借りられるだろう、ということになったのだ。

だが、ホテルの受付で聞いて案内された電話も、「ICカード専用」。
しかし、ここは食い下がる。
友人のマィクが、英語で受付に聞く。
「私はカードを持っていません」
すると、受付で20元のカードを売ってくれた。

ようやく電話をかけることができた僕たちは、Dを召還し、感動の対面を果たした。
涙の抱擁……のわけはなく、そのままタクシーで予定していた宿泊施設へ。
久しぶりだけど、何年も会っていたわけではない(せいぜい数ヶ月)ので、特に感動はなかったのだった。

ホテルで荷物を置いた僕たちは、そこから歩いて遅い昼食を食べることにした。
この時点で既に三時過ぎ。
ホテルで食べた、美味しくないバイキング以外、何も食べていなかった僕たちは、夕飯までのつなぎとして、
タピオカ入りのミルクティーと、小籠包を食べることにした。

これがおいしかった。
日本では、あまりミルクティーを飲むことがない僕でも、美味しく飲むことができた。

そして、小籠包。八個で6元だった(と思う)。
6元といえば、70円から80円ほどなのだ。
その値段で、小籠包を八個も食べられる。
しかも、美味しい。
行った時間帯が、三時半、四時くらいだったので、出来たてではなかったが、それでも十分美味しかった。

朝のバイキングを食べたときは、食べられるものがあるのかどうか、大きな不安だったが、杞憂だった。
こうした店は、中国の庶民が利用する店で、旅行ガイドブックには勿論載っていない。
そして、観光客も、こんなところは来ない。
これぞ、現地人ガイドの醍醐味である。
このあたりから、ようやく「中国に来て良かった」と思えるようになったのだった……。

そこからバスで移動(運賃はなんと2元、30円弱)。
待ち合わせの時間と場所を確認した僕たちは、いったん現地の友人Dと別れた。
その後、南宋時代の街並みを再現したという、「呉山天風」というところに行き、時間をつぶした。

それでも時間が余った僕たちは、杭州の街並みを楽しむことにした。
(というか、中国語ができない二人にとって、お土産屋が並ぶこの通りでは、素通りしかできなかった……。)

杭州の街並みは、日本のどこかのような雰囲気があり、親近感があった。
それでも、日本とは異なるところもあり、一番の違いはやはり広さだ。
道路が広い。
兎に角広い。

最低片側2車線、大きな通りになると、
バス専用の車線、自転車・原チャ専用の車線などもある。
それに歩道があるわけだから、相当な広さになる。
だから、建物が大きくても、広々した印象を受ける。
日本のような窮屈さがなく、日本人がいかに窮屈な生活を強いられてきたのか、実感することが出来る。
やはり「大陸」と「島国」の都市のなり方は大きく異なるのだ。

「でかいな~」と言いながら、僕たちは本格的に冷え込んできた杭州の街を歩いた。
小雨が降り始めたころ、余りに寒いので、日本でもおなじみの、「マク○ナルド」に入った。
空腹感はなかったので、コーヒーでも飲めれば、と思ったのだが、「マクド」に入って愕然とした。
標準的なセット(バーガー、ポテト、ドリンク)で、20元ほどするのだ。
小籠包が八個で、6元。
量だけを考えるなら、小籠包を二つ頼めば十分にマクドに匹敵する。
やはり海外系のチェーン店は、それなりの値段がするということだ。
それでも、ちゃんと客が入っているのだから、世の中わからない。

その値段を見てげんなりした僕たちは、トイレと椅子だけを借りて、しばし休憩。
先ほど、杭州市内の地図を買っていたので、
それを見ながら、次にどうするかを相談していた。
約束の時間が迫っていたので、大型スーパー・マーケット「カルフール」に行くことにした。
日本では撤退を表明したカルフールは、杭州でも事業展開していた。
日本のカルフールは行ったことがなかったので比較できないが、大きなスーパー・マーケットという感じだった。

だが、僕と友人マィクは、ここで衝撃の事実に直面する。
「中国の物価ってこんなに安かったんだ……」
これまであまり値札のついたものを見てこなかったので、よく分からなかったが、カルフールに来て、ようやく「庶民の相場」を知ったのだ。

その値札は、「¥○○.○○」と書いてある。
「¥」は、「YEN」という意味ではなく、「YUAN」の略。
1元は「1.00」と表示される。
0.1とは、1角で、0.01は、1分という単位。
日本の物価と比べると、おおよそ、「¥○○.○○」=「¥○○○○」程度。
つまり、1元は、100円くらいの物価だということだ。
実際のレートでは、1元=12~3円なので、日中の物価を比較すれば実際には、十分の一ほどということになる。
だから、とにもかくにも安い。
あまり買い物をする機械がなかったので、よくわからなかったが、日本に比べて、かなり安いことがようやくわかった。
スーパー・マーケットという「ものさし」は、こんなところでも役に立ったわけだ。

物価の安さとともに、気づいたことがもう一つある。
それは、日本でも見かける商品が、中国でしか見たことのない商品にまぎれているということだ。
日本でも見かける日本や欧米の商品が、中国でごく一般の商品とともに、混在している。
それほど中国にとって、欧米や日本は、身近な存在なのだ。
お菓子の「ス○ッカーズ」もあるし、水の「エヴィ○ン」もある。
日本でもおなじみの「午後の紅○」は、そのまま「の」で表記されている。
リキュール類の「マスカッ○サワー」なんて、そのままカタカナで表記されていて、完全に輸入ものだ。
惣菜のコーナーでは、その場で握ったお寿司も売っていた。

だが、勿論、日本では見かけない商品もある。
「レモン味のポテトチップス」や、お酒の肴「ひまわりの種」などが、うずたかく並べられている。
冷凍食品の小籠包の大きな袋も見かけた。
お茶も量り売りされていた。
100グラム10元ほどのものから、2000元を超えるものまで様々だった。

時間が余ったときは、カルフールへ、と言いたくなるほど、僕たち二人はスーパー・マーケットを満喫した。
スーパー・マーケットを見て回るだけでも、庶民の生活が見えてくる。
下手な観光地を回るくらいなら、よほど実生活を体験できるのではないだろうか。

ただ、欧米流のこうした大型スーパーは、間違いなく既存の市場や商店を破壊していく。
日本も、デパートやコンビニ、スーパーが商店街や市場を呑み込んだように、
中国も市場主義という波に呑み込まれていくことになるだろう、そんな印象も受けた。
人々はマニュアル化されて、売買される商品も画一化、均一化されていく。
その過渡期に、いま立たされているのだろう、そんな感想も持った。

夜八時、仕事にもどっていたDと合流し、夕飯を食べに行った。
比較的リーズナブルで、本格的な中国料理が楽しめる「玉麒麟」というところで食べることになった。
店内はまさに思い描いていた「中国料理店」であり、雰囲気は高級料理店のような趣だった。

メニューには、初心者(?)にもやさしいように、写真が付けられていて、全くメニューの意味がわからない僕にも、何とかわかった。
しかし、結局何が美味しくて、何が好みに合いにくいといったことがわからないので、Dに一任することにした。
中国語で四品ほど頼んでいるのを、ただ「うわ~ほんまにしゃべってるで~!」と感心しながら、何が出てくるのか楽しみにしていた。

まず、前菜として独特の香りがする香菜と羊の肉とを合えたものが出て来た。
直径十五センチくらいの器に入っているのをみて、四品、五品程度で本当におなかが一杯になるのだろうか、と正直思っていた。
写真を観て、Dの話を聞く限り、もっと大きな器で出てくるものだと思っていたのだ。

ところがどっこい。
次に出てきたのは、えびをお酒で酔わせてから食べるという料理。
その後、出てきたのは、直径五十センチほどの大きな器に載った川魚の煮物。
そして、鳥をまるごと一匹湯がいた料理。
この器も当然大きい。
これぞまさしくテレビなんかでよく見かける中国料理。
でも、で、でかい!
まさかこんなにでかい料理が出てくるとは……。

僕が勘違いした理由は、写真にあった。
メニューの写真は、当然一定の大きさで統一されている。
しかし、実際には料理によって大きさが全然違うのだ。
ちょっと想像すれば気づくことだったのだが、いまいちピンと来なかった僕は、びっくらこいたのだった。

味のほうはと言うと……。
月並みな言い方だが、おいしい。
ただ、人によっては独特の風味が苦手だという人もいるだろう、と思った。
お酒で酔わせたえびだけが、ちょっと苦手(生きたまま食べるという感覚がちょっとネ)だったが、他はものすごくおいしかった。

それに、日本とはやはり全く味付けが違うという面白さもあった。
日本なら、大きな川魚に甘酸っぱく煮たりすることはないだろう。
豚の角煮も、日本より大分濃い味付けになっている。
杭州に来て初日ということもあり、お酒を飲まなかったが、本来の僕なら、ガンガンお酒を飲んでいるところだろう。
これを書きながらも、料理を思い出しながらお酒が飲めそうだ。

それほど、全体的にお酒の肴という印象が強かった。
そのあたりでも好みが分かれるだろう、と思った。
海外旅行に行くと、食べ物で困る、ということをよく聞く。
それがなんとなくわかった気がした。
僕は本当に美味しく食べられたが、日本料理との味覚の差は、ちょっと衝撃的なものがある。
海外に行って初めて自国を知る、ということがあるけれど、まさにその通りで、日本の味覚を再確認した感じだ。

街並みで中国を感じ、そしてカルフールで物価を実感し、食べ物で日本を知る。
あらゆるレベルで驚きに満ちた二日目だった。

→その4へ

(2005/4/21執筆)

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