評価点:75点/2011年/アメリカ/106分
監督:ルパート・ワイアット
手に負えない技術は、やがて自分たちを苦しめる。
アルツハイマーの新薬を開発していたウィル(ジェーイムズ・フランコ)はチンパンジーでの実験でALZ112が一定の効果があることをつきとめた。
しかしその被験体のブライトアイズは急に暴れだし、射殺されてしまう。
研究が頓挫してしまったが、ウィルはブライトアイズが身ごもっていたことを知り、赤ん坊を発見する。
赤ん坊はプロジェクトが閉鎖された研究所では飼えず、ペットとしてウィルに預けられる。
シーザーと名付けられたそのチンパンジーは、驚くほどの知能を発揮する。
新薬をアルツハイマーの父親に投与し始めると、こちらにも効果があることが分かった。
順調だったはずだが、トラブルが起こってしまう。
44年前に公開された「猿の惑星」が、CGを駆使して蘇った。
舞台は、現代。
いかにして猿の惑星へと侵略されていくかという「創世記」を描いた作品である。
主演は「127時間」での好演が記憶に新しいジェームズ・フランコ。
エンターテイメントとしては上々の出来だ。
観に行っても十分価値がある作品だろう。
ただし、少なくとも初めの「猿の惑星」だけは見た方が良い。
ちりばめられた小ネタに、きっとにやっとできるだろう。
▼以下はネタバレあり▼
東日本大震災が世界にもたらせた衝撃は、M9.0とか津波40M超とかいうものではなかった。
僕たちがもっている技術が、どれだけ素晴らしいものでどれだけ危険であるか、だれも知らなかったという衝撃である。
安易に「だから原発を止めろ」というのは思考停止だと思うし、「でも仕方がないやん」と開き直っても前には進まない。
薄々は気付いていた脅威が、形をもって突然眼前に現れたとき、人は混乱しかできないようだ。
「猿の惑星」はその意味で、非常にタイムリーなモティーフを持っている。
個人のエゴ、企業の利益、科学者としての夢、様々な現代的な思惑を描きながらも、その「発明」を管理できずに持てあましてしまうという矛盾をえぐり出す。
描きふるされた感じは否めないが、完成度の高さによって十分楽しめる映画になっている。
物語は非常にオーソドックスな話だが、その細部の完成度が高い。
たとえばウィルが新薬を開発しようとした動機は、極めて人間らしいものである。
ウィルの父親は認知症に悩まされていた。
ウィルにとってそれは父親を救うとか、介護の煩わしさとかといったものではない。
乗り越えるべき父親の喪失というアイデンティティに関わる根源的なものである。
だからこそ、なんとしても父親の復権のために新薬を開発せざるをえないのだ。
と、同時にウィルはシーザーという「息子」を育て始める。
それはウィルが父親になるという物語でもあるということである。
ウィルは極めて人間的な理由から、新薬の開発にとりかかるのだ。
だからこそ、この映画が単なる科学技術への警鐘といったテーマとは違う、抜き差しならない問題をはらんでいるのだ。
感情移入しやすいのはそのためだ。
父と子の物語を体験する僕たちは、自然と息子のシーザーに感情移入してしまう。
それが最も自覚させられるのが、サルの刑務所にシーザー一人放し飼いされてしまうシークエンスだ。
周りはサルばかり。
もちろんシーザーもサルだが、彼は一人、知能を持ったサルなのだ。
だから、野生(ではないけれど)の動物園の中に一人だけ人間がいるような感覚を観客は体験する。
その時初めて、シーザーは「サルではない」ということを自覚するのだ。
ウィルの「息子」ではなく、サル扱いされることがどれだけシーザーの心を傷つけるか、言わずもがなである。
また、そのサル檻に放り込まれる恐怖は、形容しがたいものがある。
だから彼が人間から決別する道を選ぶ、その契機をしっかりと理解することができる。
サルでもない、人間でもない、その道を開拓する腹を決めるのだ。
「NO!」と叫ぶシーザーの姿に鳥肌さえ立つだろう。
当然シーザーの映像技術もそれに一役買っている。
一匹の実際のサルも登場していないということに、この映画のCG技術への強い自負が表れている。
ラストに独立を宣言するシーザーはすでに野生を捨てた自立した猿になっている。
多少違和感のある映像もあるにせよ、表情がどんどん知的になる流れは見事というほかない。
とにかく無駄なシークエンス・カットがないことがこの映画をよりスピード感あるものにしている。
隣人がやがて全世界にウィルスをばらまいてくれるのだが、彼がパイロットであることをさりげなく台詞一つで示す。
動物園のサルの様子を入れることで、次の独立までの流れが完成する。
何一つ無理がなく、きれいな流れで展開するので、見ていても気持ちいい。
(オランウータンがロケットの行動について手話でシーザーに伝えるシークエンス。
人間以外に現在でない時制の言語活動はできないはずなので、あれは生物学的におかしいはず。
また、ウィルが急に製薬会社に「開発をせくな!」と詰め寄る展開はちょっと無理があったが。)
過去の作品へのオマージュを忘れないあたりが監督のセンスの良さが光る。
自由の女神を作るシーザー、コーネリアスの名前を出し、火星探査機が地球を出発する。
ニヤリとしてしまう小さな演出が心憎い。
僕は忘れてしまったので、探せばもっとあるのだろう。
エンターテイメントで、予告編を見てしまうとほとんど展開に驚きはない。
けれども、十分に高い完成度を誇り、今更「猿の惑星」という批判にしっかりと答えを出している。
次回作の決定も仕方がないのか。
う~ん、やめといた方がいい気もするが、この完成度なら映画館にいくだろうなぁ。
監督:ルパート・ワイアット
手に負えない技術は、やがて自分たちを苦しめる。
アルツハイマーの新薬を開発していたウィル(ジェーイムズ・フランコ)はチンパンジーでの実験でALZ112が一定の効果があることをつきとめた。
しかしその被験体のブライトアイズは急に暴れだし、射殺されてしまう。
研究が頓挫してしまったが、ウィルはブライトアイズが身ごもっていたことを知り、赤ん坊を発見する。
赤ん坊はプロジェクトが閉鎖された研究所では飼えず、ペットとしてウィルに預けられる。
シーザーと名付けられたそのチンパンジーは、驚くほどの知能を発揮する。
新薬をアルツハイマーの父親に投与し始めると、こちらにも効果があることが分かった。
順調だったはずだが、トラブルが起こってしまう。
44年前に公開された「猿の惑星」が、CGを駆使して蘇った。
舞台は、現代。
いかにして猿の惑星へと侵略されていくかという「創世記」を描いた作品である。
主演は「127時間」での好演が記憶に新しいジェームズ・フランコ。
エンターテイメントとしては上々の出来だ。
観に行っても十分価値がある作品だろう。
ただし、少なくとも初めの「猿の惑星」だけは見た方が良い。
ちりばめられた小ネタに、きっとにやっとできるだろう。
▼以下はネタバレあり▼
東日本大震災が世界にもたらせた衝撃は、M9.0とか津波40M超とかいうものではなかった。
僕たちがもっている技術が、どれだけ素晴らしいものでどれだけ危険であるか、だれも知らなかったという衝撃である。
安易に「だから原発を止めろ」というのは思考停止だと思うし、「でも仕方がないやん」と開き直っても前には進まない。
薄々は気付いていた脅威が、形をもって突然眼前に現れたとき、人は混乱しかできないようだ。
「猿の惑星」はその意味で、非常にタイムリーなモティーフを持っている。
個人のエゴ、企業の利益、科学者としての夢、様々な現代的な思惑を描きながらも、その「発明」を管理できずに持てあましてしまうという矛盾をえぐり出す。
描きふるされた感じは否めないが、完成度の高さによって十分楽しめる映画になっている。
物語は非常にオーソドックスな話だが、その細部の完成度が高い。
たとえばウィルが新薬を開発しようとした動機は、極めて人間らしいものである。
ウィルの父親は認知症に悩まされていた。
ウィルにとってそれは父親を救うとか、介護の煩わしさとかといったものではない。
乗り越えるべき父親の喪失というアイデンティティに関わる根源的なものである。
だからこそ、なんとしても父親の復権のために新薬を開発せざるをえないのだ。
と、同時にウィルはシーザーという「息子」を育て始める。
それはウィルが父親になるという物語でもあるということである。
ウィルは極めて人間的な理由から、新薬の開発にとりかかるのだ。
だからこそ、この映画が単なる科学技術への警鐘といったテーマとは違う、抜き差しならない問題をはらんでいるのだ。
感情移入しやすいのはそのためだ。
父と子の物語を体験する僕たちは、自然と息子のシーザーに感情移入してしまう。
それが最も自覚させられるのが、サルの刑務所にシーザー一人放し飼いされてしまうシークエンスだ。
周りはサルばかり。
もちろんシーザーもサルだが、彼は一人、知能を持ったサルなのだ。
だから、野生(ではないけれど)の動物園の中に一人だけ人間がいるような感覚を観客は体験する。
その時初めて、シーザーは「サルではない」ということを自覚するのだ。
ウィルの「息子」ではなく、サル扱いされることがどれだけシーザーの心を傷つけるか、言わずもがなである。
また、そのサル檻に放り込まれる恐怖は、形容しがたいものがある。
だから彼が人間から決別する道を選ぶ、その契機をしっかりと理解することができる。
サルでもない、人間でもない、その道を開拓する腹を決めるのだ。
「NO!」と叫ぶシーザーの姿に鳥肌さえ立つだろう。
当然シーザーの映像技術もそれに一役買っている。
一匹の実際のサルも登場していないということに、この映画のCG技術への強い自負が表れている。
ラストに独立を宣言するシーザーはすでに野生を捨てた自立した猿になっている。
多少違和感のある映像もあるにせよ、表情がどんどん知的になる流れは見事というほかない。
とにかく無駄なシークエンス・カットがないことがこの映画をよりスピード感あるものにしている。
隣人がやがて全世界にウィルスをばらまいてくれるのだが、彼がパイロットであることをさりげなく台詞一つで示す。
動物園のサルの様子を入れることで、次の独立までの流れが完成する。
何一つ無理がなく、きれいな流れで展開するので、見ていても気持ちいい。
(オランウータンがロケットの行動について手話でシーザーに伝えるシークエンス。
人間以外に現在でない時制の言語活動はできないはずなので、あれは生物学的におかしいはず。
また、ウィルが急に製薬会社に「開発をせくな!」と詰め寄る展開はちょっと無理があったが。)
過去の作品へのオマージュを忘れないあたりが監督のセンスの良さが光る。
自由の女神を作るシーザー、コーネリアスの名前を出し、火星探査機が地球を出発する。
ニヤリとしてしまう小さな演出が心憎い。
僕は忘れてしまったので、探せばもっとあるのだろう。
エンターテイメントで、予告編を見てしまうとほとんど展開に驚きはない。
けれども、十分に高い完成度を誇り、今更「猿の惑星」という批判にしっかりと答えを出している。
次回作の決定も仕方がないのか。
う~ん、やめといた方がいい気もするが、この完成度なら映画館にいくだろうなぁ。
またよろしくです♪
相変わらず本業の方がばたばたしています。
今年28本め。
もうすでに1本見ているので、今年は昨年の30本は超えそうです。
なんとか時間を確保したいと思います。
>けんさん
TBありがとうございます。
こちらからもさせてもらいました。
今後ともよろしくお願いします。