
不登校の生徒のなかには、学校で嫌な思いをしたとか、いじめを受けたという明確な理由がなく、学校に行けなくなる子もいます。
不登校の子にとって、家族や先生などのおとなの言葉は重みがあります。
不登校の子にとって、家族や先生などのおとなの言葉は重みがあります。
子どもが学校に行かなくなると、親は当然ですが、焦ります。
つい、こんな言葉を発していまいます。
「学校に行くのがふつうでしょ。なぜふつうのことができないの」
「あなたのことを思って言っているのよ」
「この先どうするの」
しかし、明確な理由や原因がなく、学校に行けない子にとって、これらの言葉は、本人とっては、堪える一言です。
だって、本人にしても、学校に行きたいのに行けないことに、「ふつう」でないことに悶々としているのです。
「これから先どうするの」と言われたって、本人には「今」しかないのです。
「今」しか見えていないときに、過去も将来も見えてきません。
「わたしはずっとこのままかもしれない」という不安な気待ちでいることが多いのです。
だから、おとなは焦らず、現状を受け入れ、いま学校に行けない状態を認めることが必要なのです。
親が焦らず、「いま、この子はこういう状況なのだ」と思うと、子どもの気持ちは落ち着くことが多いものです。
そして、不登校を認めたうえで、たとえ1時間だけでも登校できないかとか、家に友だちとか先生が来てくれたら会ってみようかなど、いま少しでもできること、前に進めることがないかを考えていくのが望ましいと思います。
(本文の内容と写真の人物は、関係がありません。)