中学2年は「中だるみ」の学年と言われることがあります。中学1年生は入学して中学校生活に慣れるということで、一定の緊張感があります。
中学3年生は最高学年としての自覚が高まり、なんといっても高校受験の準備もあり、目標をもって学校生活を過ごします。
その両方に挟まれる中学2年というのは、中学生活への慣れも働き、目標を見失う子も出やすい学年です。
学習もかなり難しくなります。
中学3年生は最高学年としての自覚が高まり、なんといっても高校受験の準備もあり、目標をもって学校生活を過ごします。
その両方に挟まれる中学2年というのは、中学生活への慣れも働き、目標を見失う子も出やすい学年です。
学習もかなり難しくなります。
友人関係でも「一人ぼっち」にはなりたくなくて、友だちにあわせて、けっこう気を遣い生活します。
表面上みんなにあわせて、ダラダラ過ごすこともなきにしもあらずです。
こんな子どもをみていると、親はつい指示をしたり命令をしたり、きつい口調になりがちです。
しかし、この時期、そのような子どもへの接し方は、適切ではありません。
こんな子どもをみていると、親はつい指示をしたり命令をしたり、きつい口調になりがちです。
しかし、この時期、そのような子どもへの接し方は、適切ではありません。
中学2年の時期は、中学生活の中では、ある意味で超えなければならないハードルのようなものです。
ふだん黙っている子が、ときとして悩みを語りだす、あるいは真剣に問いかけてくることもあります。
そのようなとき、抑えつけたり、「何を言ってるの、この子ったら」とまじめにとりあわないと、子どもはいっそう黙り込みます。
「わかってくれないんだ」とあきらめてしまうことにもなります。
親ができるのは、子どものよい点を認め、年齢相応の自立したいというこころを尊重することです。
あたたかい態度で、一人の人間として、小学生とはちがう高い要求を子どもに求めていきます。
大人として扱ってほしい。けれど一人では自分が思うほどはうまくいかないというもどかしさを抱えています。
思い通りにいかないという弱点につけこんで、相手をやりこめるということだけは親として避けたいところです。
「中だるみ」の時期にあり、自分のもどかしさを感じて、友だちと「群れている」子どもには、上質の文化に触れさせるのが、自立のこころを育てるのにいいようです。
たとえば、視野を広げるとか、大自然の雄大さを体験させるとか、新聞の社会面の記事をとりあげて語り合う、家事を分けてお手伝いをするとかです。
箕面市の中学生が今年の夏休みに体験したことで、次のように書いていました。
「私は夏休みに、雪の残る日本アルプスに登りました。途中からアイゼンをつけて雪の山を登りました。
ふだん黙っている子が、ときとして悩みを語りだす、あるいは真剣に問いかけてくることもあります。
そのようなとき、抑えつけたり、「何を言ってるの、この子ったら」とまじめにとりあわないと、子どもはいっそう黙り込みます。
「わかってくれないんだ」とあきらめてしまうことにもなります。
親ができるのは、子どものよい点を認め、年齢相応の自立したいというこころを尊重することです。
あたたかい態度で、一人の人間として、小学生とはちがう高い要求を子どもに求めていきます。
大人として扱ってほしい。けれど一人では自分が思うほどはうまくいかないというもどかしさを抱えています。
思い通りにいかないという弱点につけこんで、相手をやりこめるということだけは親として避けたいところです。
「中だるみ」の時期にあり、自分のもどかしさを感じて、友だちと「群れている」子どもには、上質の文化に触れさせるのが、自立のこころを育てるのにいいようです。
たとえば、視野を広げるとか、大自然の雄大さを体験させるとか、新聞の社会面の記事をとりあげて語り合う、家事を分けてお手伝いをするとかです。
箕面市の中学生が今年の夏休みに体験したことで、次のように書いていました。
「私は夏休みに、雪の残る日本アルプスに登りました。途中からアイゼンをつけて雪の山を登りました。
登るのはたいへんだったけど、下りていくときには高山植物がいっぱい咲いていて、きれいだったのでゆっくりと高山植物を見ながら下山しました」
中学2年生は、子ども扱いしてはいけません。大人になる節目の時期であり、こころやからだの変化に自らが戸惑っている時期にあります。
親がちゃんと子どもに大人としての要求もして、納得させるためには、「わたしの親は、わたしをすこしずつ大人扱いしてくれている」という信頼感を抱かせていくことだと考えます。