繁盛しているラーメン屋さんがあります。
昼食時には、並んで待つ人が出ます。
店主が張り紙をしました。
「昼の混雑時には、車いすの人はお断りします」という文面が書かれていました。
あなたは、この張り紙について、どう思いますか。
①混雑時であっても、車いすの人がラーメンを食べることができるのが当たり前だ。
②車いすは場所をとるから、遠慮してほしいというのは当然だ。
③店主は、車いすの人をシャットアウトしているのではない。混雑時はご遠慮してほしいと言っているじゃない。
いろいろな意見があるでしょう。
しかし、法に照らして言うならば、①でなければなりません。
障害者差別解消法(2013年成立)が定める「合理的配慮」を、この店は守っていないことになるからです。
障害のある人もない人もお互いを認め合いながら共に生きるために、事業主は合理的配慮を行うことが、この法律に規定されています。
合理的配慮とは、障害のある人が障害のない人と平等に権利を保障され行使できるよう、一人ひとりの特徴や場面に応じて、困難を取り除くために行う個別の調整や変更のことです。
しかし、一般的にいって、いまの日本社会の人びとの意識は追いついていません。
2017年に、奄美空港でバニラエア航空の飛行機に乗ろうとした車いすの男性が、搭乗を拒否されました。
その男性は、腕を使いタラップをよじのぼりました。
この事件は大きな反響を呼び起こし、けっきょくバニラエア航空は男性に謝罪し、以降、階段昇降機の設備を整えました。
こんな例もあるのですが、世間からはバッシングの声が当事者に寄せられたといいます。
飛行機に乗るのなら、なぜ前もって相談しなかったの。
車いすの人は時間がかかるから、離陸時刻を遅らせたりするかもしれない。理不尽な要求だ。
このようにして、障害者が声を上げると世間からはバックラッシュともいえる反動が起きることが多いのです。
SNSでは、匿名で自由にコメントできるので、「炎上」にもなります。
さて、学校教育の中で、児童生徒が学習する際には、前述の事例を紹介して、社会で起きている問題について、正解ありきではなく、どう思うかを自由に話し合わせたらいいと思います。
児童生徒からさまざまな意見が出るでしょうが、言いっぱなしにしてはいけません。
教師が、「こういうことなので、みなさんもそのように思いなさい」と押し付けるのではありません。
合理的配慮という価値観を話し合いの中に組み込むことができるかが、指導者としての力量が試されます。
そして、困難を取り除くために個別の調整や変更が行われるのが当然だという、すべてのこどもが納得できる合意を形成するのです。
このような、話し合いによる納得解を導く学習を展開していく必要があります。
そんな学習を積んだ子は、実際に自分がその場面に出くわしたとき、適切な行動をとれるおとなになれると、わたしは考えます。